SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

疑似ドキュメンタリーについて その4

2010年06月07日 | Weblog


>僕は、擬似ドキュメンタリーと言えば手持ちカメラによる手ブレ映像だと思っているのですが、その撮影スタイルが、まさにセカイ系的な世界観そのものであるように思えたのです。これは、セカイ系の話でよく出てくる「ボクとキミ」という話で説明すると分かり易いかもしれません。手持ちカメラを用いて撮影する時、「キミ」当たる、撮るべき対象が画面の真ん中に一人居るわけです。そしてカメラを持つ「ボク」はその対象をずっと追いかけていく。(佐々木友輔

 最古の擬似ドキュメンタリー映像作品は、1967年にロジャー・パターソンによって制作され、公開された。もし佐々木の仮説が正しいのだとすれば、この有名なサスカッチの映像こそが、セカイ系最古の映像作品だということになる。そしてのち、UMA(未確認動物)をめぐる擬似ドキュメンタリーの対象が「スカイフィッシュ」にまで至る頃には、ついに「キミ」への幻想は「昆虫」としてしか捉えられなくなってしまうのである。ここまでくれば、「鉱物」まであと一歩だろう。ずいぶん遠くまで来たものである。

>率直に結論から言うと、このスカイフィッシュはビデオ上にしか存在しません。その向こうの現実の世界にあるのは、実はただの飛翔する昆虫でしかありません。つまり、スカイフィッシュとは、ビデオ上で電子的な残像を身にまとった昆虫なのです。しかしこのあからさまな事実も、少し角度を変えてみると示唆的です。〔...〕現代においては、メディアに記録されたあらゆるものが、ノイズ(雑音、インクのしみ、レンズの汚れ、誤植、ハレーション、イラジエーション)を含め、実在として機能しています。現代においては、メディアの向こうにある現実、結局は生で体験することの不可能な現実よりも、メディアに記録された「現実」、好きな速度で好きな時間にじっくり眺められる切り取られた「現実」の方が、「現実」として機能しているのです。(木原善彦著『UFOとポストモダン』(平凡社新書)161ページ)