SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

擬似ドキュメンタリーについて その3

2010年06月01日 | Weblog
「フロイトが無意識を発見した19世紀という時代の背景には、考古学をめぐる飛躍的発見があった。シュリーマンやエヴァンズによるミケーネ文明やクノッソス宮殿の発掘は、それまで神話にすぎなかった世界を実在のものとしてしまった。フロイトの収集物から察するに、彼がこの方面に多大な関心を寄せていたことはあきらかだろう。ひとの意識も、それを「発掘」することで神話という領域に行き当たると考えたとしてもおかしくはない。もしそうだとしたら、フロイトの「無意識」とは、意識における考古学的な領域にあたるものだったのではなかろうか。「夢」とは、その発掘のための現場であり、そこで見つかるイメージは過去の神話の破片で、失われた文脈までは読み取れない。夢が断片的で唐突なのはむしろ当然なのだ」(椹木野衣の海外研修報告より抜粋)

 考古学、発掘、収集物、無意識、失われた文脈、過去、夢、断片、そして神話か......。擬似ドキュメンタリー作品の先端研究で藤田直哉(限界小説研究会)に追いつかれないためにも、やっぱりマーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』の解読は必須だな。以前、図書館で借りたときはページを眺めただけで返却したが、こんどは購入してガチ読みするつもりだ。いよいよ覚悟を決めるときが来たのだ。