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日記らしきページ

いやでもニュース

2021年08月30日 | Weblog
 毎日、毎朝、昼、夜とテレビ、ネット、新聞などの記事を聞いたり、見たり、読んだりする時間がある。
私は朝は新聞は見出しを適当に読んで、読みたい記事が意外と少ないので、ほとんど読まない事が多々ある。 
それ以外には毎朝はNHK第二放送ラジオで流れるニュースを聞き、ニュースの合間に流れる曲を聴き、ニュースに対する専門家などの意見を聞くことが毎朝の習慣でもある。 
さらには、仕事の時にはほとんどTVを見ている時間が多くなるので、昼の情報番組などは良く見ている。
今はまず、必ずどのチャンネルでもコロナ感染情報が多くの時間を割いて放送される。 朝からいろんな専門家や評論家などが番組に登場して、いろんな意見が交わされている。 政府から発信されている情報や声、政府の考え方を考察したり、政策に対する意見が多く散見する。
情報番組はほとんどが今はコロナ関連情報で構成された番組作りが当たり前になっていて、各局はほぼ同じ内容とも言えるだろう。
いろんなコメンテーターがいろんな意見を訴えているけど、どれも言葉だけで終わる。 もちろん、時には直接政府の責任者も登場して、現状の政策、今後の政策、どのような対応をするのか・・・。 直接の話を聞くこともあるが、結局はどれもこれも結局は国民の意思と行動頼りの政策でしかない。
ワクチン接種が決めてと言うけど、そのワクチン接種もまだまだ効果を実感できるような進展が出来ていない。 
最近のニュースではこうした聴きたくない情報があまりにも多く、身近なニュースとしては良いかも知れない。 しかし、身近な物以上にもっと考えないとならない物事がある。 
民間だけではなく、NHKさえも視聴率を考慮した話題やニュースを優先するので、どの番組でも同じことを何度も繰り返して取り上げている。
同じ局の情報番組が朝から夕方までずっと同じ内容を繰り返して放送している点も、見ていてもまったく興味が持てないような気持になるのだ。
それ以上にもっと、本来知りたい情報をしっかりと伝えて欲しいと願う。 

先日からタリバン政権誕生と米軍の撤収状況なども連日伝えている。
さらに、ISのテロも猛威を振るう状況になっていること。
対して、米軍が報復攻撃を再開している事。
アフガニスタンに滞在する各国の市民を安全に撤退させるために、各国の軍隊や、日本の自衛隊なども専用機をアフガニスタンに送り込んでいる。
一度は完全に力を失ったように見えたISが再び復活している現状を考えると、力の抑制はやはり無理が有ることを知らされる。
おそらく、今回も米軍やその他の協力的な国などの援助などでISの力は縮小するだろう。 しかし、根絶することもなく、再度どこかで組織を拡大する活動を継続して、今後も何度も同じテロ行為を繰り返すことだろう。
日本や先進国などで平和に暮らしている市民には、あまり実感も沸かないし、ほとんど関係ない話として受け止められているだろう。
なぜ、アフガニスタンやその周辺国では、これまでもほとんど平和な日常を送ることはない。 タリバン自体が元々が極端に解釈したイスラム教を堅持する姿勢で、これまでも多くの周辺国や国内からの不満や反発を招き、国際社会からも非難されることは知る由も無いだろう。
特に世界遺産すらも平気で爆破し、破壊する行為を強行したことも有名な出来事である。 こうした民主的とは真逆な政策は人間の素直な意識とはかけ離れるのは当然で、中国の国家を上げて個人の意思を抑制する政策や個人の自由意思は許されないような国は、いつかは国内部から氾濫が多発する事態に陥ることも想像できる。 人間の本質的な意思は教育だけでは限りがあり、各個人の感性に依存することが多くある。 
それこそが個性であり、本来、人間としての生き方を確立する要素になる。
しかし、人間はそもそもが、とても自己中心的な動物であり、とても残酷で、時には世界で最も脅威的な生物でもある。 
これまでの人間の発展の過程を見るまでもなく、戦争(知さなコミュニティーとの争いから、内戦、国家間との戦争など)を繰り返して来たのである。
これは人間の飽くなき欲望の結果である。 自己中心的な視野が齎す行為だ。
さらには、自己満足の為には手段を択ばずに同じ民族すら容赦なく排除するyほうな鬼謀な生物だと言っても過言では無いだろう。
大きな戦争を収束して、今は世界的な交流が当然のようになっているが、しかし、国家同士の間には今でも戦争を想定した備えを忘れることもないし、さらに武装を拡大する傾向さえ続く。
今は情報社会で、IT技術の発達などでネット戦争も頻繁になっている。
今後は宇宙的な戦争すら考える事も大袈裟な話でもないだろう。
人間はこうして、何時までも自己中心的な精神から脱却できない動物だろう。
世界がこうした無益な対立を繰り返している以上は、平和はこの世には無い。 
さらには、地球の環境は悪化する方向に進んでいて、世界的な環境の変化による災害も多発している。さらには、化学的な力を借りて進める技術も、時には驚異的な自然破壊、生活空間の崩壊を招いている。
人間は何時もそうなんだけど、真剣に先を考慮した政策が出来ていない国家がほとんどで、原発はその顕著な科学的な負の遺産だ。 未だに使用済みウランの処理が出来ない状態でも、平気でその廃棄物を出し続ける愚かさは、これこそ人間の真の姿なんだろうと思える。 
目先の豊かさを優先してきた姿勢は、とうとう地球環境を破壊する力に変り、人間の欲望を満足させるために、大きな負の遺産を残すことに目を向ける事もしない。 
これはアフガニスタンの問題も同じだろう。 ISなどはそうした人間の愚かさの象徴とも言える行為だ。 人間の本質を垣間見るような気がしてならない。
日本やその他の先進国家でも、人間の本質を露わにする人間も登場する。
無差別に殺人をする人間、(これは人間ではなく、すでに動物での最低の動物に属すのである)、人を騙して欲望を満たす人間、自分の感情を抑制できずに平気で人に危害を与える人間など。 出世や名誉のために正義を捨てる事を暇ない人間。 権利や地位を堅持するために不正な手段を繰り返す人間などなど・・・・。 そうした人間が存在する限りは、この世界に平和は訪れることはない。 
日本でもこれまでもこうした人間が多くの犠牲者を繰り返して生んでいる。
犯罪者にも人権があると言うけど、私は人権は無いと思って居る。
特に殺人やそれに等しい行為をする事は、すでに人間ではない。
世界でも最低の生物だと思う。 
どんな理由でも、他者を殺害したり、他者に同様な行為をする事は正当化することはできない。 正当防衛での殺害は勿論別の話である。
殺害される危険な状態で、その加害者に反撃することは当然の行為だろう。
しかし、単なる感情的な対立や行為に対して、殺意を持つ事は正常な人間の行為ではない。 人間は自分の感情を制御する事が求められる動物だろう。
現代社会では複雑なシステムが絡み合って形成されている世界である。
そうした世界では当然だが、いろんなルースや制約、共通の正義が無ければ成り立つことは出来ない。 
簡単な例えでは、信号の色で車や人などは行動することを制御される。
これを、自分の意思を優先する人間は信号を無視して大きな事故を引き起こして、他者に多大な迷惑や被害をもたらす。
これはすでに人間社会では生きることが出来ない種類の人間である。
いろんな社会的な仕組みは当然であるので、その中で生きる為には絶対的な感情や行動の抑制を守ることは至極当然な社会に生きる人間としてのマナーだ。
マナーと言うと、それこそテーブルマナーなどを想像するけど、そうしたある特定なルールとは違う。 
人間の本質的な正義を基本とする最低限のルールは、どの国でも同様だ。

連日のコロナ感染関連のニュースを見ていても、緊急事態宣言だろうと平気で自己満足を満たすために感染拡大を助長させる行為を繰り返す人々も少なくない。 当然だけど、行動制限を規制するような法律も無い状態で、自由な行動は罪ではない。 しかし、こうした人間の意識が戦争が終わらない最も大きな人間の欲望なのである。 自分の満足を満たすためには感染拡大は自分には関係ない要因だと思うこと。 自分の行動や意識を正当化する不義理な理論は平和への反逆行為である。 
本当に豊かで平和で温和な社会を目指すなら、人間は常に正義を愚直に生きる事が求められると思う。
自由と好き勝手は全く次元が異なる。 もちろん、例えば、自分の住む部屋がどれほど汚くても、不要な物で溢れかえっていたとしても誰にも迷惑を掛けていないし、誰もそれをとがめる人もいないだろう。
しかし、そうした自分勝手な環境は他人との生活を拒否する行為と同様だ。
さらには、社会的な立ち位置では全く理解されないだろう。
自己中心的な精神がそうした部屋を作り出している。 常に整理整頓されている部屋、何時も清潔に保つ事を心がける精神は、自分に対してもいつも抑制する姿勢であり、どんな場面でも人間としての正義を守る精神に尽きる。
これは個人的な意見だけど、その人の生活空間を見るとその人物の人格が解る。 着ている服をそのまま放置する姿勢や、食べた物をそのまま放置している姿勢。 ゴミを散乱していても気になることもない精神。 
物で溢れるような部屋でも平気な精神。 汚れなんて気にすることもない精神。 普段から身だしなみなども気にしない精神。
こうした精神は他人に対しても、さらには社会に対しても、さらには世界に対しても、当てはまるのである。
自由とは自分の欲望を満足させることではない。 少なくとも、無人島で独りで暮らす人間なら別の話だろう。 この社会で生きる以上は社会の公序良俗を犯すような行為は自由とはかけ離れた物である。

さて、さて、今日はこうした事をいろいろ考える事になった。
以前から、私はずっと若い頃から人間の醜さや欲望が平和を犯す癌気だと実感している。 一人ではない限り、他者との共存を意識した精神が重要だし、それが全てだ。 それは家族でも同様で、人間である以上は複数人である限りは同じルールが必要だろう。
家族間でも尊重し、意思を確認し、最低限のルールが必要になる。
これが無ければ、生活は成立しない。 
経済的な問題だけではなく、普段の生活環境すら作れないだろう。

さて、さて、今日も休みなので、今日は午前中からしっかりとギターの練習をしようと決めている。 買い物などもないし、今日は妻も家に居るので、家事の心配もない。 のんびりとギターを弾けるのだ。










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