実は、お義父さんは4月に来る予定であったが、震災でキャンセル。半年過ぎた為、年寄り(お義父さん)と障害者(私)も行っていいかなと思った。
お義父さんと一緒にホテルを出て、東京駅から車椅子で新幹線「はやと」に乗った。東京駅の係員が誘導してくれた。お義父さんは車椅子を押してくれた。この旅で、お義父さんは車椅子をずっと押してくれた。亡くなったお義母さんの車椅子を思い出そうと違いないと私は思った。
一ノ関に着くと大船渡線で終点・気仙沼まで行った。電車はワンマンカーである。お年寄りに話を聞いた。私の耳がお年寄りに理解できなかった。
そこでレンタカーを借りて漁協に行ったが唖然とした。何もないか、あっても建物の中はグチャグチャだ。
漁協の港の近くに気仙沼商会という処があって、小さなテーブルの上に弁当やカップヌードルを売っていた。そこも何もないが、アルバイトの人に話を聞いた。例えば、地盤沈下があり、1m位、嵩上げをしたし、道路や建物を嵩上げをしたと言った。そして、弁当やパン・カップヌードルを買った。
高知の船が泊っているが船員に話しを聞いた。鰹の一本釣りをすると言った。そこも地盤沈下で鉄板を敷いた。女房が話を聞いたが私は理解が出きなかった。
陸前高田に行った。ここも瓦礫の山が、いっぱいで息を飲んだ。3.11.は8ヶ月になるのに瓦礫や失業者は、ほとんど、手付かずの儘だ。
ある民家のガラス窓に「まだ壊さないで下さい」と張り紙を見た。涙がこぼれる。小中学校の廃屋や大きな打ち上げの船(第十八共徳丸)・・・。
何にもできないが、小さい掘立小屋の酒屋に入って酒を買った。「お魚いちば」に行って、魚を買った。
気仙沼発・一ノ関着のワンマンカーに乗って、中学生に話を聞いた。全員、無事だったと言った。地震は揺れが大きく時間も長かったと言った。失語症であまりしゃべれないが、休み休み、なんとか話は通じた。
お地蔵様は、きっと、守っているよ。