さて、入学式の2日後は、いよいよアッパ君の開頭手術の日でした。
長丁場になることは分かっていたので、タクシーで帰れるよう、朝は地下鉄に乗って病院へ乗り込みました。
病室に着くと、義父母はすでに来ており、準備万端整ったアッパ君が座っていました。
8時20分、看護師が呼びに来ました。
「うちら、ここで待っとくわ」と義母が言ったので、看護師についてアッパ君と私は並んで歩いていきました。
9階の病室からエレベーターに乗り3階で降りると
「ご家族の方はここまでです」と言われました。
「頑張って」
「おう、行ってくるわ」
右手を上げて手術室の中へ入って行ったアッパ君、ドアが閉まった瞬間、こらえきれず涙があふれ出しました。
泣きながら病室に戻り、しばらく泣いていた私だったのですが、やがて義父母が一旦家に戻ると、そこからは時間との闘いになりました。
ひまつぶしに持ってきた本を読んだり、テレビを見ながらも目はちっとも字や画面を追わず、また泣いて、泣き疲れて眠り、そしてまた本を開き…
そんなとき、本部役員を一緒にやっているS子が息子のR君を連れて病室に入ってきました
偶然R君の診察で同じ病院にきていたのでした。
差し入れでお菓子と雑誌を持ってきてくれたS子はお昼まで一緒にいてくれ、大分気がまぎれました。
午後からはまた↑のような過ごし方をし(但し、お昼寝の時間の率が若干高い)夕方には義父母が晩ごはんを買ってきてくれました。
何時に終わるか分からないので義父母は家で待機すると言って帰り、再び一人に。
入れ替わりに義弟夫婦が少し覗いて帰り、その次はSenkoちゃん、おみっちゃん母子が差し入れを持ってやってきてくれました
いつも会社で見るのよりはるかに豪華な手作りお弁当
長い時間一緒にいてくれ、一瞬でも不安を忘れ、笑っていられました。
そこからはまたまた長い長~い孤独との闘い。
手足がハンパなくむくんできました。
準夜勤から夜勤へと看護師が入れ替わり、その度に挨拶には来るのですが、手術の経過の報告は一向に入ってきませんでした。
アッパ君が手術室に入ってから17時間たった午前2時、看護師さんから報告が入りました!
「今、悪い部分はみんな取り出してあとは縫合するんで、1時間位したら終わります」
よし、あともうちょっとや!アッパ君、頑張れ!
午前3時過ぎ、手術が終わったとの連絡があり、私は看護師について集中治療室へ入りました。
いつも淡々としゃべる教授肌の先生が、手術服のまま私を待っていました。
「実質は14時間程だったんですが、実にスムーズに手術は済んで、ナイダスもきれいに取りだすことができました。今はまだ麻酔がきれかかっているのでぼーっとしていますが、麻痺も残らないと思いますし言葉も徐々に戻って来ると思います」
「ありがとうございます!!!」
実際、そのときのアッパ君は、「お名前言えますかー?」「ここがどこか分かりますかー?」という医師や看護師の言葉に答えることはなかったし、「手握ってみて」と言われるがままに握ってはいたけれど、右が極端に弱かったりしたのですが、面会を待っているカーテン越しに、はっきり
「気持ち悪い」
というアッパ君の肉声が聞こえた瞬間の喜びを何て表現したらいいのか、分かりません。
「奥さん、どうぞ。入ってきて声かけてあげてください」
私は、おそるおそるよびかけました。
「アッパ…アッパ…よぉ頑張ったなぁ」
アッパ君の目がかすかに開き、私を見ましたが、すぐに目は閉じ、また寝てしまったようでした。
「あの、家族に連絡したいので、今日は一旦帰ります」
家族に一通り連絡を済ませ、家に帰って子ども達の為に泊まりに来てくれていた母に報告しておんおん泣き、そうしてる間にすぐに朝になり。
子どもを送り出し、Senkoちゃん始め友達に連絡し、風呂に入って泥のように眠り。
電話の音で目覚めました。私より一足先に病院へ行っていた義母からでした。
「あんたのことえらい探してるわ」
「; ̄ロ ̄)!!すぐ行きます!」
あぁ、もっと早く行ったったらよかった。
目が覚めたとき、おったったらよかった。
集中治療室に着いたら、思ったより落ち着いたアッパ君がいて「ごめんね」と言いました。
「よかったなぁ。頑張ったなぁ」
「なんでや」
「何でやって…生きれたからやんか!」
手術直後で顔はむくみ、熱も出ていましたが、思ったより言葉は出ていました。
ただ、言いたい言葉が頭には浮かんでいるんだけど、それが口に出て来ず、もどかしそうでした。
結局、最後まで私の名前を呼んでくれることもありませんでした。
1日明け、今日はまたまたみちがえたように顔のむくみも取れ、熱も微熱に下がっていました。
「おーい、どない?」
「腰痛い」
言葉も昨日よりずっとはっきりしゃべってます
「なぁ、あたし誰か分かる?」
「…わからん」
「もうええねん」
「わからん」
「…マジ?」
「……けろろ」
「ねー。今日になってこんなシャレならん冗談言うてくれるようになったんですよぉ」
側で聞いていた看護師さんが笑いながら言いました。
相変わらず言葉が出ないもどかしさや、右手の指先の感覚がなかったりするんですけど、あんな壮絶な手術(淡々としゃべる教授先生いわく「頭パカッと開けて頭蓋骨ずらしてねぇ」ヒエェェェェ)をしてまだたったの2日しかたってないのに!!
「焦らずに、ゆっくりゆっくり」今年のけろろ一家のキーワードにしていこうと思います
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
暗いお話しで恐縮ですが、一応我が家の歴史において外せない出来事なので、あえてドキュメントタッチで書かせていただきました
病室に差し入れを持って励ましに来てくれたS子、Senkoちゃん、おみっちゃんはもちろんのこと
不安にかられてたまらずつぶやいたボイス、Twitter、Facebookに応援や励ましのコメントを入れて下さったお友達の皆様。
私はあの日ほど皆様に支えられて生きていることを実感したことはありません。
本当にありがとうございました
長丁場になることは分かっていたので、タクシーで帰れるよう、朝は地下鉄に乗って病院へ乗り込みました。
病室に着くと、義父母はすでに来ており、準備万端整ったアッパ君が座っていました。
8時20分、看護師が呼びに来ました。
「うちら、ここで待っとくわ」と義母が言ったので、看護師についてアッパ君と私は並んで歩いていきました。
9階の病室からエレベーターに乗り3階で降りると
「ご家族の方はここまでです」と言われました。
「頑張って」
「おう、行ってくるわ」
右手を上げて手術室の中へ入って行ったアッパ君、ドアが閉まった瞬間、こらえきれず涙があふれ出しました。
泣きながら病室に戻り、しばらく泣いていた私だったのですが、やがて義父母が一旦家に戻ると、そこからは時間との闘いになりました。
ひまつぶしに持ってきた本を読んだり、テレビを見ながらも目はちっとも字や画面を追わず、また泣いて、泣き疲れて眠り、そしてまた本を開き…
そんなとき、本部役員を一緒にやっているS子が息子のR君を連れて病室に入ってきました
偶然R君の診察で同じ病院にきていたのでした。
差し入れでお菓子と雑誌を持ってきてくれたS子はお昼まで一緒にいてくれ、大分気がまぎれました。
午後からはまた↑のような過ごし方をし(但し、お昼寝の時間の率が若干高い)夕方には義父母が晩ごはんを買ってきてくれました。
何時に終わるか分からないので義父母は家で待機すると言って帰り、再び一人に。
入れ替わりに義弟夫婦が少し覗いて帰り、その次はSenkoちゃん、おみっちゃん母子が差し入れを持ってやってきてくれました
いつも会社で見るのよりはるかに豪華な手作りお弁当
長い時間一緒にいてくれ、一瞬でも不安を忘れ、笑っていられました。
そこからはまたまた長い長~い孤独との闘い。
手足がハンパなくむくんできました。
準夜勤から夜勤へと看護師が入れ替わり、その度に挨拶には来るのですが、手術の経過の報告は一向に入ってきませんでした。
アッパ君が手術室に入ってから17時間たった午前2時、看護師さんから報告が入りました!
「今、悪い部分はみんな取り出してあとは縫合するんで、1時間位したら終わります」
よし、あともうちょっとや!アッパ君、頑張れ!
午前3時過ぎ、手術が終わったとの連絡があり、私は看護師について集中治療室へ入りました。
いつも淡々としゃべる教授肌の先生が、手術服のまま私を待っていました。
「実質は14時間程だったんですが、実にスムーズに手術は済んで、ナイダスもきれいに取りだすことができました。今はまだ麻酔がきれかかっているのでぼーっとしていますが、麻痺も残らないと思いますし言葉も徐々に戻って来ると思います」
「ありがとうございます!!!」
実際、そのときのアッパ君は、「お名前言えますかー?」「ここがどこか分かりますかー?」という医師や看護師の言葉に答えることはなかったし、「手握ってみて」と言われるがままに握ってはいたけれど、右が極端に弱かったりしたのですが、面会を待っているカーテン越しに、はっきり
「気持ち悪い」
というアッパ君の肉声が聞こえた瞬間の喜びを何て表現したらいいのか、分かりません。
「奥さん、どうぞ。入ってきて声かけてあげてください」
私は、おそるおそるよびかけました。
「アッパ…アッパ…よぉ頑張ったなぁ」
アッパ君の目がかすかに開き、私を見ましたが、すぐに目は閉じ、また寝てしまったようでした。
「あの、家族に連絡したいので、今日は一旦帰ります」
家族に一通り連絡を済ませ、家に帰って子ども達の為に泊まりに来てくれていた母に報告しておんおん泣き、そうしてる間にすぐに朝になり。
子どもを送り出し、Senkoちゃん始め友達に連絡し、風呂に入って泥のように眠り。
電話の音で目覚めました。私より一足先に病院へ行っていた義母からでした。
「あんたのことえらい探してるわ」
「; ̄ロ ̄)!!すぐ行きます!」
あぁ、もっと早く行ったったらよかった。
目が覚めたとき、おったったらよかった。
集中治療室に着いたら、思ったより落ち着いたアッパ君がいて「ごめんね」と言いました。
「よかったなぁ。頑張ったなぁ」
「なんでや」
「何でやって…生きれたからやんか!」
手術直後で顔はむくみ、熱も出ていましたが、思ったより言葉は出ていました。
ただ、言いたい言葉が頭には浮かんでいるんだけど、それが口に出て来ず、もどかしそうでした。
結局、最後まで私の名前を呼んでくれることもありませんでした。
1日明け、今日はまたまたみちがえたように顔のむくみも取れ、熱も微熱に下がっていました。
「おーい、どない?」
「腰痛い」
言葉も昨日よりずっとはっきりしゃべってます
「なぁ、あたし誰か分かる?」
「…わからん」
「もうええねん」
「わからん」
「…マジ?」
「……けろろ」
「ねー。今日になってこんなシャレならん冗談言うてくれるようになったんですよぉ」
側で聞いていた看護師さんが笑いながら言いました。
相変わらず言葉が出ないもどかしさや、右手の指先の感覚がなかったりするんですけど、あんな壮絶な手術(淡々としゃべる教授先生いわく「頭パカッと開けて頭蓋骨ずらしてねぇ」ヒエェェェェ)をしてまだたったの2日しかたってないのに!!
「焦らずに、ゆっくりゆっくり」今年のけろろ一家のキーワードにしていこうと思います
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
暗いお話しで恐縮ですが、一応我が家の歴史において外せない出来事なので、あえてドキュメントタッチで書かせていただきました
病室に差し入れを持って励ましに来てくれたS子、Senkoちゃん、おみっちゃんはもちろんのこと
不安にかられてたまらずつぶやいたボイス、Twitter、Facebookに応援や励ましのコメントを入れて下さったお友達の皆様。
私はあの日ほど皆様に支えられて生きていることを実感したことはありません。
本当にありがとうございました
うちも色々と手術に立ち会った事があるけれどこれだけの長時間は経験がない。
待つ身であるけろろさんの気持ち想う
と・・・・・・・
ダメだ、涙出ちゃうよ・・・
でも後一時間で手術終了の報が挙がった時は本当に本当ほんとーーーーーーにほっとした。
焦らずアッパ君を見守っていきましょう(^^)
今、けろろさんの元気な声聴けて良かった(^。^)
うちの父方の伯父が同じ病気だったんだけど、それでも6時間位だったらしく、相当難しい手術だったことが分かります。
お電話くれて本当にありがとう。むちゃ嬉しかった♪
これからも勝手に姉さんと慕わせてくださいね。
ご主人、ジョークセンスが抜群ですね。最後のシャレならん冗談、笑えました。
手術室に行ってしまったら家族って祈ることしかできない…私も思い出しました。
それにしても17時間って!!予定でも14時間ってことは本当に大掛かりだったのでしょうね。
血管が破裂してしまった夫でも9時間くらいで出てきたのに(結局、もうひとつ危ない動脈瘤が見つかって2度めの開頭手術を受けたけど、もしかしたら1度めにもう少し時間かけてたら2度も開けずに済んだのかも…ですね)
でも無事に終わって本当に良かった!
あとは回復を待つばかりですね!入学式に手術にと落ち着かない毎日を過ごされているケロロさんの疲れが出ないことを祈っています。
タチの悪い冗談でしょ?
でも、これも生きてるからこそ言えるんだなぁ、と思うと許せちゃいますよね。
ナイダスに繋がっている血管を1本ずつ切断し、血流を撮影しながら確認し、また1本切って…という気が遠くなるような作業だったのだそうです。
先生達の集中力もハンパないですよねー。
回復までの道のりは長いんでしょうが、ゆっくりゆっくり焦らずに頑張ります。
お気づかいありがとうございます。
これからもいろいろご経験、教えてくださいね。