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多趣味だった作曲家すぎやまこういちとバックギャモン

2021-10-13 13:30:03 | ブツブツ日記

 新宿で将棋の三桂クラブを主催していた宮さんが、すぎやまこういち宅に呼ばれて「俺に将棋を教えてくれ」と依頼受けたのは70年代の頃だったと想像する。道楽者とは、その辺の達人を自宅に呼びつけて、芸を習ったりするものだ。で、その時に宮さんは、バックギャモンというすごろくを、すぎやまさんから逆に教えられたというわけだ。世の中には、カード(トランプ)と、チェス(将棋)ドミノ(麻雀)の世界不変の人気ゲームがあるが、サイコロ使うすごろく(バックギャモン)を含めて、4大ゲームという。
 そのギャモンにはまったのは宮さんだったか、彼の三桂クラブの下平他のメンバーだったかは不明だが、結果的にそのクラブの誰もがギャモンをやるようになった。
 このクラブでは、例えばくっしーという羽生と同期の強豪がいたし、将棋連盟会長の佐藤康光が若い頃にもよく出入りしていた。将棋指しで最もこれにはまったのは、森鶏二と、友人の囲碁打ちの武宮正樹である。クラブに出入りしていた下平もその一人。
 本気でこのゲームをやり始めると、どうやら世界大会がモナコで行われていて、アメリカではラスベガス他、多くのクラブが参加自由で、掛け金5万円程度のリーズナブルな大会が開催されていることが分かった。サイコロの出目が大きければ、一般的にはすごろくには勝てるが、このギャモンは時に必要な目が複雑で、また麻雀くらいの(それはゲームを通じて3割程度の)戦略があって、偶然性と技術をミックスした、夜に酒を飲みながらやるには、実に親和性のあるゲームだったことが分かった。
 さて下平は、新宿で宮さんたちと、日本バックギャモン協会を立ち上げて、メンバー集めてクラブチームを結成して、最初は英文のゲーム戦略本しかなくて、へぼへぼだったメンバーも、そのうち人工知能などの普及で、今はもっちーとか、アッコなどは、世界チャンピオンにもなって、メディアにも紹介されるようになった。どのみち将棋や麻雀に優れたゲーム感が日本人にあるとすれば、ポーカーだけのへぼ外人撃退するのは、さほど難しくないはずでもある。
 私も30年近くもこのゲームをづけているのだが、当初は組織の会長はすぎやまこういちだったと思ったが、どこかで見かけた程度くらいしかないことに、今さらながら残念な思いでもある。ただすぎやまはギャモンの面白さについて、将棋や麻雀のように、「次に何をしたらいいのか、考えながらゲームを進めることが面白い」と、語っていたことがあった。
25年くらい前に、テレビゲームが流行ったときに任天堂からの一つに、このギャモンもあったが、その時の音楽も確かすぎやまこういちだった。彼の名が出ると、タイガースのイメージなのだが、私の趣味の一つも、こう思うとすぎやまこういちがいなかったら出合っていなかったということにもなる。多芸な達人だったのだ。
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