06・8・8(火) マッターホルン ☆☆☆ 快晴
クルマイユール830~全日車移動~カービニア1030~ベルナー峠~スイス・ターシュ1530~登山電車~ツェルマット1600~ターシュ戻り1700
スイスは曇りだといういんちき情報があって、様子見でイタリア・カービニアという村に行く標高2100m。出発時にヤフー見たときも、火曜、水曜は天気悪かったんだ、ところが……。
実はマッターホルン4400mに最も近い村というのは、山の南側イタリアのこの村で、わずか5キロしか離れていないわけだ。スイス・ツェルマットは10キロも離れている。一旦下界にも近いアオスタ標高500mに下ると、やっぱり真夏は暑いものだ。エアコン入れながら運転。しかしそこから2100mまで登っていくわけだから、涼しい。ところがどうだ。途中で早くもマッターホルン南側が見えてくるじゃないか。ドピーカンの快晴である。更にどんどん最奥の村まで行くと、やはり地元イタリア人は知っている。リゾート相当混雑しているわけだ。そしてマッターホルンの南側景観は、これは見慣れないゴツゴツ風景。さほど悪くないぞ、しかも快晴。マッターホルンは不思議な山だ。遠くから見ると平地にいきなり立っているように見える。それが素人だましでもある。稜線から1000m高いだけなら、甲斐駒と同じなのだが、たまたまそぎ落とされて、槍の穂先が1000mもあるように見える。だったら甲斐駒もそぎ落とされてくれ。
両肩1000m低い3500m辺りは、なだらかにイタリア・スイス国境がつながっているぞ。良く見ればスキーリフトもかかっている。ふむ、冬は国境からいきなりスキー場ってわけだ。こんなに整備されていれば、山スキーやる理由はどこにもない気になってくるが、本当か?
しかし南側は見慣れないマッターホルンだというわけで「ちょっと違う」と、結局スイス側に移動することにする。北東側のヘルンリ稜を真ん中にして、北壁~東壁のバランスが取れないと、あの均等景観にはならないというわけ。
30分ほど滞在して、仕方ないスイス側のミーハーのマッターホルンに行くことにしましょう。
アオスタに戻って、ベルナー峠越えていきます。標高2400m。新道トンネルもあったようだが選択は旧道。そうですよ。やはりヨーロッパは車降りなくても、縦走できるんです。明らかに車でハイキングしている雰囲気ですよ。ツールドフランスのレースがそんな感じですね。頂上には湖があって、その向こうコンビ山4300mが見えますが、午後になったのか少しガス。ベルナー峠はもしかして、バーナード峠とも読んで、セント・バーナード犬の発祥の地かも知れません。犬のぬいぐるみが売っていました。ユーロのじゃり銭全部使って一匹購入。
スイスに入って、後は下って、東に行って、ツェルマット方面に行きます。この峠イタリア側の方がおしゃれでしたね。マッターホルン回りこむだけで、走行200キロとはやはりねえ。
頑固なスイス人が、車止めしている最奥の村ターシュでホテル取って、夕方から登山電車でツェルマットへ。ここまで来てようやくマッターホルン北側景観に出会えます。全く写真で見るのと同じだよ。そうそう私のデジカメ撮影設定の、風景無限大のモニター映像がこの山で、これまで1万回見てきた山です。それと全く同じ。しかも午後には逆光で、黒くもやっているだけのもの。しかし、ここに来ると、やはり大勢沸いているのです。ノーキョー団体と30年前から言われている私達団体が。ここだけが有名ですからね。こんなもの一点主義で憧れているだけじゃあ、はっきり言っていつまでも田舎者。
そうでした。下の道走っているときに、左奥に見えた4000mの山は、多分アレッチホルンですよ。アイガー、ユングフラウの仲間で、何だかこの三日で、4000mの雪のつき方ってのを習得してしまいました。それとツェルマットにつく手前、同じような景観は、ウェイスホルン4500mで、偽マッターホルンとは言われるものの、本物よりも高いわけで、どっちが偽か本物か。
やっぱり山は4000m上空でもガスなしで晴れていなくてはダメなのです。
そして私、ツェルマットに来ると、どうしても文句言いたくなるのです。車止めしたこの40年は何だったんだとね。最初は排ガス規制だったのですよ。だから電気自動車になった。街中歩くとその電気自動車がうろうろしてますよ。歩行専用だと思っているのに、後ろから電気が近づいてくると左右に避けて気を遣うのは、どこの町でも同じでうっとうしい。真に受けたのは世界中で日本人だけ。理由は、スイス他に車止めしている町がどこにある。世界でツェルマットは一番空気が綺麗なのか? アメリカは、40年前の排ガス規制にマスキー法で対抗して、ホンダは世界一排ガスが綺麗なCVCC開発して、結局今時車の排ガス公害は世界にはなくなった。排ガス規制の理由はどこにもないわけです。
そして言い換えたのが、狭い村の車混雑。上高地も尾瀬も真似しています。それは入山規制と結びつくもので、車社会のアメリカであってもヨセミテにそれはありますよ。つまりツェルマットは大きな勘違いを摩り替えて、それでも世界的に人気があるから成り立っているだけの、田舎者スイス人の勘違いの代表作というわけなのです。理解できていないのは日本人だけってわけですよ。しかも有難がっているわけだから、ネット映像の時代になったというのに、いまだにブラウン管だけ信じているようなものだね。アホらし。
だから私は、ツェルマットもマッターホルンも世界一嫌いな山と町でしたね。独善的な独りよがり。しかも町中の混雑具合は、まあ草津の温泉街みたいなもんですよ、ノーキョー農協盛りだくさんだし。しかも午後から逆光と来るわけだ。私の連れもその一人みたいなものでした。
8月9日(水)マッターホン・ヘルンリヒュッテ
06・8・9 マッターホン・ヘルンリヒュッテ3200m 曇り~快晴・ガス ☆☆☆ 登行700m
ホテル~ツェルマット~(ゴンドラ)スクワット・パラダイス2500m930~ヘルンリ小屋3200m1210=1300(下山)~ゴンドラ駅1500~ホテル1800
明け方は曇りでガスが2500mくらいまで降りている。辞めようかとも思ったが、朝飯後に一部青空も見えて、出発。登山電車、ゴンドラ乗り継いで2500mまで。料金は決して安くはないが。
この山は、小屋まではハイキングだがそれから上部1000mはザイルが必要なルートになっている。ゴンドラ上部のレストランでも、日本の旗もひらめいているのは、大勢観光客のお陰か。ゴンドラからハイキング客に混ざって登っていく。
ヘルンリ小屋は、雪がつき始めるそこにあるわけで、簡単に登れそうにも思うが、2900mから上部は遠めには意外と岩稜が切り立っている上に見える。しかし道は日本の銃走路よりもしっかりと幅が広い。
ゴンドラから3時間弱で小屋に到着。食事もレストラン風でテーブルに着くと注文取りに来て、自慢のスパゲッティとジャガイモご飯のようなもの食べる。うまい。この適度にうまいもの食いに、客はここまで登ってきて、そして引き返す。小屋にカップラーメンだけじゃ、登っていかないよね。日本人客もここだけはかなりいる。団体8人おばさん宿泊組みも帰りにすれ違った。なかなか日本じゃ味わえない高度感あるハイキング。
それにしても、モンテローザもみえ、雲に隠れているドム4500mはスイス一の山だし、いくらでも周囲に4000m峰があるのだが、このほとんど雪のついていない岩山マッターホンだけが、妙に人気があるのは、その形と、村に近く、眺めが相当いいからである、やはり。
マッターホンはやはりお子様ランチの山です。下界から頂上まで丸見えというのは、おしっこする場所もない。どこかまで、頂上まで登ったとしても、下から見上げた風景と実は同じだということです。登山はどこかに、下界からは見えない何かがあるから、そこまで登ってみたくなる。特に谷沿いに滑るということは、外から見える場所から隠れて、そこに行かないと分からない何かがある。そういうものが、この山にはない。しかも岩稜尾根だけを登り降りするだけの山だからなおさら。このハイキングで何故か満足できないのは、多分それが理由なんじゃないかと思われる。
06・8・10(木)モンテローザ 曇り ☆☆☆
ホテル900~サースフェー1000~シンプロン峠1100~フルカ峠標高2400m1300~インターラーケン1500~ミューレン1700~ラウターブルンネン1830
サースフェー村標高1800mはツェルマットの山を越えた隣の村で、こちらはドム山4500mなどスイスの最高峰に囲まれている。村の中から圧倒的な氷河が目の前に迫っていて、知られたツェルマットよりも何だか気分がいい。高校生連中がスキー装備でゴンドラ上部に上がっていったが、3000mまでゴンドラで行って、そこから地下ケーブルで3500mまで行って滑るという、例によってとんでも環境が揃っていた。
さらにその谷の奥にダム標高2000mがあって、そこの標識に「ツールド・モンテローザ」なんてものが紹介されている。10日間くらいの連続ハイキングで、モンテローザ山標高4500mをぐるりと一周するハイキングが整備されている。ハイキング道の整備は、国立公園の維持管理にしっかり組み込まれているみたいだ。モンテローザは氷河が盛り上がっただけの山に見えて、スキーでも登れそうな感じがする。マッターホン・モンテローザ間にテオデュル峠標高3300mがあって、そこで主稜を超えてハイキング道が通じているとなってるのだが、アイゼンで緩やかな氷河を横断するということみたいだ。経験がないからどのくらい簡単か難しいのか分からない。しかもその峠は、イタリア・カービニアからスイス・ツェルマットへの峠越えと言うわけだから、これで謎が解けたというわけだ。イタリア側からも簡単にマッターホンの稜線に出られるということである。その辺りやはりゴンドラがいくらでも往来していて、冬はスキー場ともなっている。
さてそこから峠越えて、アイガー方面・ベルナーオーバーランドへ行くことにする。途中2000mを超える自動車の峠が5個くらいあるのだが、いくつか見ていく。
小学生の頃に、世界一長いシンプロントンネルと習ったのは、そのマッターホンの稜線超えの鉄道峠標高2000mらしいが、車だとそのトンネルはない。ここは高現状ののどからところだ。戻って分かれ道からフルカ峠2400mまで出るが、ここは付近の峠では最も高い。以前に衝立岩を車の道がトラバースしていると思っていたのはこの峠のことで、向こうのイタリア側が晴れていたのが羨ましくて、スイス側はどうも曇っている。
その対岸にあるグリムセル峠2100mを超えると、目的地に近づく。ここも氷河の岩盤に強引にジグを切っただけの崖っぷち峠だった。過去に通ったこともあったのだが、その崖っぷち地形だけ思い出した。そしてついにアイガー周辺(ユングフラウ周辺)の谷に入ってきた。中心地はインターラーケン。車で走っていると、1500mくらいの標高差は一瞬にして登り降りできて、楽チン過ぎる。この街道は俗に日本人街道とも呼ばれていて、田舎道なのに、アイガー~マッターホン間の峠道で、行きかうバスは皆日本人団体で、誰もいない静かな氷河急行の駅で休んでいたら、団体がバスから列車に乗り換えに来て、ビックリした。
こちらのユングフラウの谷は、スイスの山奥になって、天候も悪い。気温も、朝の村よりも5度くらい低い。スイスの真ん中に入ってきた。
氷河急行(グレッシャー・エキスプレス)という鉄道が人気があるが、ユングの方には金峠急行(ゴールデン・パス)という急行が走っていた。インターラーケンという町から、グリンデルワルド方面に入っていく。分かれ道から支流のラウターブルンネンに入るのだが、しかしちょっと驚いた。
川の両側に屏風岩が立ちはだかって、その中にどんどん入っていく。右に300m以上の岩壁で、ヨセミテ滝みたいのが宙を飛んでいて、その上に、ミューレンという村があるという、標高1600m。下のブルンネンは僅かに800m。本当だろうか。突き当たりのゴンドラに乗ってみる。チルトホーン2900mへ行くゴンドラなのだが、映像見ると雪が積もっていた。夕方から少し雨があって何だか寒かった。上は雪だったようだ。その途中のミューレンで降りてみる。
そうです、横尾が1500mでその上に屏風岩。ラウターが800mで両岸に屏風岩だとすれば、標高はぴったりと合う。岩の形も質も実によく似ているわけです、いやまったく同じ。横尾に50軒のホテルがあって、鉄道が涸沢からトンネル入って、白出コルまで通じていれば、それはスイスのここ、ベルナーオーバーランドなのです、無理だけど。
屏風岩の上にミューレンという村がありました。目の前に岩壁が迫っていて、こんなところに住んでいても落ち着かないと思うけど、彼らは大丈夫なんでしょう。そこにも50軒のホテルがありました。屏風の頭にホテルというわけです。その岩壁、地図良くみればユングフラウ4100mの下部岩壁だったのです。
パンフにユングフラウ4100mからイタリアのコンコルディア小屋2800mまでユング氷河下山するガイドツアーがあると出ていたが、何だか氷河の登下降もおもしろそうだ。
谷底の村ラウターブルンネンは、ウェンゲン、ミューレン地域で、何もグリンデルワルドだけがアイガーの麓じゃない。今日はここで宿泊。お天気は曇りから少し雨。
06・8・11(金)アイガー北壁 曇り ☆☆ 下降700m
ラウターブルンネン(登山電車)アイガー・グレッチャー1115~(アイガー・トレイル)アルピグレン1330=1420~登山電車で下山~ホテル1630
ホテル標高700mから登山電車で2300mまで登る、1時間。上部残念ながらガスで、さらに上ユングフラウ展望台3400mまでいく大勢は気の毒。アイガー北壁の真下を歩くトレイルは現地のパンフにも紹介されていた有名なハイキングで、およそ2時間半をいく。スタートは気温8度。なんと小雪が舞っていて、肌寒い。
この道、到着地点が1600mという下りだけの道なのだが、やはりほとんどの人は下から登ってくる。上から降りていくのはあんちょこ。道はのどかで歩きやすいハイキング道になっていた。放牧された牛のカウベルがガスの下のほうから聞こえてきたが、途中で目の前に牛も出てきた。アイガー北壁と牛。小川が流れているところに牛の糞が多い。高山植物も食べている牛。水飲みながら糞をする。
穏やかに散歩して、2時間少しで下の駅に出た。昼飯くって、電車にまた乗る。途中ウェンゲンで散歩して、ホテルに到着。
昨夜から止まっているこの二つ星ホテルは屋根裏部屋で、ふたりで8千円。今時安い部類になるのだが、こういうのもたまにはいい。無事ハイキング合宿の終了。
ここはラウターブルンネン標高800mの谷と、グリンデルワルド標高1000mの谷が上流に向かって、クライネシャイデック標高2000mの草津のような穏やかな斜面がコルになっている。その向こうにアイガー、ユングフラウがある。車はすべて村で止められて、立山黒部アルペンルートのような登山電車とゴンドラが幾つも行きかう。登山電車は決して安くないし、乗り換えも面倒だ。本当にこんな観光施設が唯一無比なのかと、帰りの電車で居眠りしながら思い返す。
今となっては登山電車の有効性というのは、すでにそこに50年近くも存在しているという既得権と、細い遊歩道だけで道の拡張がいらないということと、上部の観光施設や村への入場制限だけしか目的はないとしか思われない。
従って不便なのは、ミューレンとかウェンゲンとかいう車道のないホテルに宿泊するには、重い荷物を自分で持ち上げて、ゴンドラや電車に乗らなければ予約したホテルには着けないという偏屈な関係になっている。車のトランクにたくさんの荷物があったのでは、駄目なのだ。そして何日も滞在するなら、スイスパスだとか、何とかチケットという数日有効な物を買わなければならないが、いずれにしても相当高い。1週間いれば、電車代が3万円以上にもなる。
私には世界一の観光環境に胡坐かいて、ぼった食っているだけにしか思えないわけだ。草津みたいな高原など、車の道引けばそれでいい。入場制限したいなら、マイカー止めして、そこに指定バス走らせて、それこそアメリカ並みに無料シャトルにすれば、すべて解決する。バスよりも電車は何倍も維持費がかかっていると思われるのだ。今時ギアと歯車の電車など、ローレックスのねじ巻き時計がセイコーよりもカシオよりもいいといっている、偏屈人間だけである。端的にスイスはある意味偏屈だ。学ぶべき点は30%くらいはあったとしても、残りは批判の対象でしかない。間違えるととんでもないことになる。
それと欧米にはウォシュレットは全く普及していなくて、遂に1週間で私はあそこが痛くなってきた。メンタム塗りつけたらひりひりする。野沢温泉の安い民宿でもウォシュレットの時代なのに、欧米のこの遅れぶりは何たることかと呆れる。日本から世界に普及した物は、ノーキョー、カラオケそしてウォシュレットである。
06・8・12(土)帰国 雨・晴れ
ホテル530~ジュネーブ1000=1210~アムステルダム~成田13日(日)午前中
国瀬線のチケット手続きとか、手荷物チェックの煩わしさは、そろそろどうにかならないものかと思うのだが。どうして2時間も前に空港に到着しないと駄目なんでしょ。10分前でもOKとか、もう少しは進歩するべき物だと思いますが。
それでもユーロ圏は、ポケットにライター持ったままでも国際線に乗れます。日本は、およそテロとはほど遠い国なのに、何だか国内線でも見得はって、ライターは没収されますね。アメリカ線はヒステリックに、素足にさせるし、入国に指紋と顔写真とりますよ。んなことまでされて、アメリカに行きたいのか君は、はい、いきたい。
ホテルをさっさと早朝に出発して、200キロくらい走ってジュネーブ空港へ。昼の便に乗り込んで、途中一回乗り継ぎで成田へ。今日も朝の山は雨でした。スイスも山中はお天気安定しませんね。昼頃のジュネーブは雨も上がっています。
何だか1週間事故もなく、いつものように慌しく過ぎました。ハイキング主流でしたから、車の走行も1000キロ程度でした。お疲れ様。
ところで乗り換えアムステルダムは雨で、預けた荷物の乗せ代えも雨に十分さらされたようで、トランクの中まで濡れていたのにはびっくり。荷物詰め替え人夫の質も、相当ひどいものだ。KLMオランダ航空だよ。
クルマイユール830~全日車移動~カービニア1030~ベルナー峠~スイス・ターシュ1530~登山電車~ツェルマット1600~ターシュ戻り1700
スイスは曇りだといういんちき情報があって、様子見でイタリア・カービニアという村に行く標高2100m。出発時にヤフー見たときも、火曜、水曜は天気悪かったんだ、ところが……。
実はマッターホルン4400mに最も近い村というのは、山の南側イタリアのこの村で、わずか5キロしか離れていないわけだ。スイス・ツェルマットは10キロも離れている。一旦下界にも近いアオスタ標高500mに下ると、やっぱり真夏は暑いものだ。エアコン入れながら運転。しかしそこから2100mまで登っていくわけだから、涼しい。ところがどうだ。途中で早くもマッターホルン南側が見えてくるじゃないか。ドピーカンの快晴である。更にどんどん最奥の村まで行くと、やはり地元イタリア人は知っている。リゾート相当混雑しているわけだ。そしてマッターホルンの南側景観は、これは見慣れないゴツゴツ風景。さほど悪くないぞ、しかも快晴。マッターホルンは不思議な山だ。遠くから見ると平地にいきなり立っているように見える。それが素人だましでもある。稜線から1000m高いだけなら、甲斐駒と同じなのだが、たまたまそぎ落とされて、槍の穂先が1000mもあるように見える。だったら甲斐駒もそぎ落とされてくれ。
両肩1000m低い3500m辺りは、なだらかにイタリア・スイス国境がつながっているぞ。良く見ればスキーリフトもかかっている。ふむ、冬は国境からいきなりスキー場ってわけだ。こんなに整備されていれば、山スキーやる理由はどこにもない気になってくるが、本当か?
しかし南側は見慣れないマッターホルンだというわけで「ちょっと違う」と、結局スイス側に移動することにする。北東側のヘルンリ稜を真ん中にして、北壁~東壁のバランスが取れないと、あの均等景観にはならないというわけ。
30分ほど滞在して、仕方ないスイス側のミーハーのマッターホルンに行くことにしましょう。
アオスタに戻って、ベルナー峠越えていきます。標高2400m。新道トンネルもあったようだが選択は旧道。そうですよ。やはりヨーロッパは車降りなくても、縦走できるんです。明らかに車でハイキングしている雰囲気ですよ。ツールドフランスのレースがそんな感じですね。頂上には湖があって、その向こうコンビ山4300mが見えますが、午後になったのか少しガス。ベルナー峠はもしかして、バーナード峠とも読んで、セント・バーナード犬の発祥の地かも知れません。犬のぬいぐるみが売っていました。ユーロのじゃり銭全部使って一匹購入。
スイスに入って、後は下って、東に行って、ツェルマット方面に行きます。この峠イタリア側の方がおしゃれでしたね。マッターホルン回りこむだけで、走行200キロとはやはりねえ。
頑固なスイス人が、車止めしている最奥の村ターシュでホテル取って、夕方から登山電車でツェルマットへ。ここまで来てようやくマッターホルン北側景観に出会えます。全く写真で見るのと同じだよ。そうそう私のデジカメ撮影設定の、風景無限大のモニター映像がこの山で、これまで1万回見てきた山です。それと全く同じ。しかも午後には逆光で、黒くもやっているだけのもの。しかし、ここに来ると、やはり大勢沸いているのです。ノーキョー団体と30年前から言われている私達団体が。ここだけが有名ですからね。こんなもの一点主義で憧れているだけじゃあ、はっきり言っていつまでも田舎者。
そうでした。下の道走っているときに、左奥に見えた4000mの山は、多分アレッチホルンですよ。アイガー、ユングフラウの仲間で、何だかこの三日で、4000mの雪のつき方ってのを習得してしまいました。それとツェルマットにつく手前、同じような景観は、ウェイスホルン4500mで、偽マッターホルンとは言われるものの、本物よりも高いわけで、どっちが偽か本物か。
やっぱり山は4000m上空でもガスなしで晴れていなくてはダメなのです。
そして私、ツェルマットに来ると、どうしても文句言いたくなるのです。車止めしたこの40年は何だったんだとね。最初は排ガス規制だったのですよ。だから電気自動車になった。街中歩くとその電気自動車がうろうろしてますよ。歩行専用だと思っているのに、後ろから電気が近づいてくると左右に避けて気を遣うのは、どこの町でも同じでうっとうしい。真に受けたのは世界中で日本人だけ。理由は、スイス他に車止めしている町がどこにある。世界でツェルマットは一番空気が綺麗なのか? アメリカは、40年前の排ガス規制にマスキー法で対抗して、ホンダは世界一排ガスが綺麗なCVCC開発して、結局今時車の排ガス公害は世界にはなくなった。排ガス規制の理由はどこにもないわけです。
そして言い換えたのが、狭い村の車混雑。上高地も尾瀬も真似しています。それは入山規制と結びつくもので、車社会のアメリカであってもヨセミテにそれはありますよ。つまりツェルマットは大きな勘違いを摩り替えて、それでも世界的に人気があるから成り立っているだけの、田舎者スイス人の勘違いの代表作というわけなのです。理解できていないのは日本人だけってわけですよ。しかも有難がっているわけだから、ネット映像の時代になったというのに、いまだにブラウン管だけ信じているようなものだね。アホらし。
だから私は、ツェルマットもマッターホルンも世界一嫌いな山と町でしたね。独善的な独りよがり。しかも町中の混雑具合は、まあ草津の温泉街みたいなもんですよ、ノーキョー農協盛りだくさんだし。しかも午後から逆光と来るわけだ。私の連れもその一人みたいなものでした。
8月9日(水)マッターホン・ヘルンリヒュッテ
06・8・9 マッターホン・ヘルンリヒュッテ3200m 曇り~快晴・ガス ☆☆☆ 登行700m
ホテル~ツェルマット~(ゴンドラ)スクワット・パラダイス2500m930~ヘルンリ小屋3200m1210=1300(下山)~ゴンドラ駅1500~ホテル1800
明け方は曇りでガスが2500mくらいまで降りている。辞めようかとも思ったが、朝飯後に一部青空も見えて、出発。登山電車、ゴンドラ乗り継いで2500mまで。料金は決して安くはないが。
この山は、小屋まではハイキングだがそれから上部1000mはザイルが必要なルートになっている。ゴンドラ上部のレストランでも、日本の旗もひらめいているのは、大勢観光客のお陰か。ゴンドラからハイキング客に混ざって登っていく。
ヘルンリ小屋は、雪がつき始めるそこにあるわけで、簡単に登れそうにも思うが、2900mから上部は遠めには意外と岩稜が切り立っている上に見える。しかし道は日本の銃走路よりもしっかりと幅が広い。
ゴンドラから3時間弱で小屋に到着。食事もレストラン風でテーブルに着くと注文取りに来て、自慢のスパゲッティとジャガイモご飯のようなもの食べる。うまい。この適度にうまいもの食いに、客はここまで登ってきて、そして引き返す。小屋にカップラーメンだけじゃ、登っていかないよね。日本人客もここだけはかなりいる。団体8人おばさん宿泊組みも帰りにすれ違った。なかなか日本じゃ味わえない高度感あるハイキング。
それにしても、モンテローザもみえ、雲に隠れているドム4500mはスイス一の山だし、いくらでも周囲に4000m峰があるのだが、このほとんど雪のついていない岩山マッターホンだけが、妙に人気があるのは、その形と、村に近く、眺めが相当いいからである、やはり。
マッターホンはやはりお子様ランチの山です。下界から頂上まで丸見えというのは、おしっこする場所もない。どこかまで、頂上まで登ったとしても、下から見上げた風景と実は同じだということです。登山はどこかに、下界からは見えない何かがあるから、そこまで登ってみたくなる。特に谷沿いに滑るということは、外から見える場所から隠れて、そこに行かないと分からない何かがある。そういうものが、この山にはない。しかも岩稜尾根だけを登り降りするだけの山だからなおさら。このハイキングで何故か満足できないのは、多分それが理由なんじゃないかと思われる。
06・8・10(木)モンテローザ 曇り ☆☆☆
ホテル900~サースフェー1000~シンプロン峠1100~フルカ峠標高2400m1300~インターラーケン1500~ミューレン1700~ラウターブルンネン1830
サースフェー村標高1800mはツェルマットの山を越えた隣の村で、こちらはドム山4500mなどスイスの最高峰に囲まれている。村の中から圧倒的な氷河が目の前に迫っていて、知られたツェルマットよりも何だか気分がいい。高校生連中がスキー装備でゴンドラ上部に上がっていったが、3000mまでゴンドラで行って、そこから地下ケーブルで3500mまで行って滑るという、例によってとんでも環境が揃っていた。
さらにその谷の奥にダム標高2000mがあって、そこの標識に「ツールド・モンテローザ」なんてものが紹介されている。10日間くらいの連続ハイキングで、モンテローザ山標高4500mをぐるりと一周するハイキングが整備されている。ハイキング道の整備は、国立公園の維持管理にしっかり組み込まれているみたいだ。モンテローザは氷河が盛り上がっただけの山に見えて、スキーでも登れそうな感じがする。マッターホン・モンテローザ間にテオデュル峠標高3300mがあって、そこで主稜を超えてハイキング道が通じているとなってるのだが、アイゼンで緩やかな氷河を横断するということみたいだ。経験がないからどのくらい簡単か難しいのか分からない。しかもその峠は、イタリア・カービニアからスイス・ツェルマットへの峠越えと言うわけだから、これで謎が解けたというわけだ。イタリア側からも簡単にマッターホンの稜線に出られるということである。その辺りやはりゴンドラがいくらでも往来していて、冬はスキー場ともなっている。
さてそこから峠越えて、アイガー方面・ベルナーオーバーランドへ行くことにする。途中2000mを超える自動車の峠が5個くらいあるのだが、いくつか見ていく。
小学生の頃に、世界一長いシンプロントンネルと習ったのは、そのマッターホンの稜線超えの鉄道峠標高2000mらしいが、車だとそのトンネルはない。ここは高現状ののどからところだ。戻って分かれ道からフルカ峠2400mまで出るが、ここは付近の峠では最も高い。以前に衝立岩を車の道がトラバースしていると思っていたのはこの峠のことで、向こうのイタリア側が晴れていたのが羨ましくて、スイス側はどうも曇っている。
その対岸にあるグリムセル峠2100mを超えると、目的地に近づく。ここも氷河の岩盤に強引にジグを切っただけの崖っぷち峠だった。過去に通ったこともあったのだが、その崖っぷち地形だけ思い出した。そしてついにアイガー周辺(ユングフラウ周辺)の谷に入ってきた。中心地はインターラーケン。車で走っていると、1500mくらいの標高差は一瞬にして登り降りできて、楽チン過ぎる。この街道は俗に日本人街道とも呼ばれていて、田舎道なのに、アイガー~マッターホン間の峠道で、行きかうバスは皆日本人団体で、誰もいない静かな氷河急行の駅で休んでいたら、団体がバスから列車に乗り換えに来て、ビックリした。
こちらのユングフラウの谷は、スイスの山奥になって、天候も悪い。気温も、朝の村よりも5度くらい低い。スイスの真ん中に入ってきた。
氷河急行(グレッシャー・エキスプレス)という鉄道が人気があるが、ユングの方には金峠急行(ゴールデン・パス)という急行が走っていた。インターラーケンという町から、グリンデルワルド方面に入っていく。分かれ道から支流のラウターブルンネンに入るのだが、しかしちょっと驚いた。
川の両側に屏風岩が立ちはだかって、その中にどんどん入っていく。右に300m以上の岩壁で、ヨセミテ滝みたいのが宙を飛んでいて、その上に、ミューレンという村があるという、標高1600m。下のブルンネンは僅かに800m。本当だろうか。突き当たりのゴンドラに乗ってみる。チルトホーン2900mへ行くゴンドラなのだが、映像見ると雪が積もっていた。夕方から少し雨があって何だか寒かった。上は雪だったようだ。その途中のミューレンで降りてみる。
そうです、横尾が1500mでその上に屏風岩。ラウターが800mで両岸に屏風岩だとすれば、標高はぴったりと合う。岩の形も質も実によく似ているわけです、いやまったく同じ。横尾に50軒のホテルがあって、鉄道が涸沢からトンネル入って、白出コルまで通じていれば、それはスイスのここ、ベルナーオーバーランドなのです、無理だけど。
屏風岩の上にミューレンという村がありました。目の前に岩壁が迫っていて、こんなところに住んでいても落ち着かないと思うけど、彼らは大丈夫なんでしょう。そこにも50軒のホテルがありました。屏風の頭にホテルというわけです。その岩壁、地図良くみればユングフラウ4100mの下部岩壁だったのです。
パンフにユングフラウ4100mからイタリアのコンコルディア小屋2800mまでユング氷河下山するガイドツアーがあると出ていたが、何だか氷河の登下降もおもしろそうだ。
谷底の村ラウターブルンネンは、ウェンゲン、ミューレン地域で、何もグリンデルワルドだけがアイガーの麓じゃない。今日はここで宿泊。お天気は曇りから少し雨。
06・8・11(金)アイガー北壁 曇り ☆☆ 下降700m
ラウターブルンネン(登山電車)アイガー・グレッチャー1115~(アイガー・トレイル)アルピグレン1330=1420~登山電車で下山~ホテル1630
ホテル標高700mから登山電車で2300mまで登る、1時間。上部残念ながらガスで、さらに上ユングフラウ展望台3400mまでいく大勢は気の毒。アイガー北壁の真下を歩くトレイルは現地のパンフにも紹介されていた有名なハイキングで、およそ2時間半をいく。スタートは気温8度。なんと小雪が舞っていて、肌寒い。
この道、到着地点が1600mという下りだけの道なのだが、やはりほとんどの人は下から登ってくる。上から降りていくのはあんちょこ。道はのどかで歩きやすいハイキング道になっていた。放牧された牛のカウベルがガスの下のほうから聞こえてきたが、途中で目の前に牛も出てきた。アイガー北壁と牛。小川が流れているところに牛の糞が多い。高山植物も食べている牛。水飲みながら糞をする。
穏やかに散歩して、2時間少しで下の駅に出た。昼飯くって、電車にまた乗る。途中ウェンゲンで散歩して、ホテルに到着。
昨夜から止まっているこの二つ星ホテルは屋根裏部屋で、ふたりで8千円。今時安い部類になるのだが、こういうのもたまにはいい。無事ハイキング合宿の終了。
ここはラウターブルンネン標高800mの谷と、グリンデルワルド標高1000mの谷が上流に向かって、クライネシャイデック標高2000mの草津のような穏やかな斜面がコルになっている。その向こうにアイガー、ユングフラウがある。車はすべて村で止められて、立山黒部アルペンルートのような登山電車とゴンドラが幾つも行きかう。登山電車は決して安くないし、乗り換えも面倒だ。本当にこんな観光施設が唯一無比なのかと、帰りの電車で居眠りしながら思い返す。
今となっては登山電車の有効性というのは、すでにそこに50年近くも存在しているという既得権と、細い遊歩道だけで道の拡張がいらないということと、上部の観光施設や村への入場制限だけしか目的はないとしか思われない。
従って不便なのは、ミューレンとかウェンゲンとかいう車道のないホテルに宿泊するには、重い荷物を自分で持ち上げて、ゴンドラや電車に乗らなければ予約したホテルには着けないという偏屈な関係になっている。車のトランクにたくさんの荷物があったのでは、駄目なのだ。そして何日も滞在するなら、スイスパスだとか、何とかチケットという数日有効な物を買わなければならないが、いずれにしても相当高い。1週間いれば、電車代が3万円以上にもなる。
私には世界一の観光環境に胡坐かいて、ぼった食っているだけにしか思えないわけだ。草津みたいな高原など、車の道引けばそれでいい。入場制限したいなら、マイカー止めして、そこに指定バス走らせて、それこそアメリカ並みに無料シャトルにすれば、すべて解決する。バスよりも電車は何倍も維持費がかかっていると思われるのだ。今時ギアと歯車の電車など、ローレックスのねじ巻き時計がセイコーよりもカシオよりもいいといっている、偏屈人間だけである。端的にスイスはある意味偏屈だ。学ぶべき点は30%くらいはあったとしても、残りは批判の対象でしかない。間違えるととんでもないことになる。
それと欧米にはウォシュレットは全く普及していなくて、遂に1週間で私はあそこが痛くなってきた。メンタム塗りつけたらひりひりする。野沢温泉の安い民宿でもウォシュレットの時代なのに、欧米のこの遅れぶりは何たることかと呆れる。日本から世界に普及した物は、ノーキョー、カラオケそしてウォシュレットである。
06・8・12(土)帰国 雨・晴れ
ホテル530~ジュネーブ1000=1210~アムステルダム~成田13日(日)午前中
国瀬線のチケット手続きとか、手荷物チェックの煩わしさは、そろそろどうにかならないものかと思うのだが。どうして2時間も前に空港に到着しないと駄目なんでしょ。10分前でもOKとか、もう少しは進歩するべき物だと思いますが。
それでもユーロ圏は、ポケットにライター持ったままでも国際線に乗れます。日本は、およそテロとはほど遠い国なのに、何だか国内線でも見得はって、ライターは没収されますね。アメリカ線はヒステリックに、素足にさせるし、入国に指紋と顔写真とりますよ。んなことまでされて、アメリカに行きたいのか君は、はい、いきたい。
ホテルをさっさと早朝に出発して、200キロくらい走ってジュネーブ空港へ。昼の便に乗り込んで、途中一回乗り継ぎで成田へ。今日も朝の山は雨でした。スイスも山中はお天気安定しませんね。昼頃のジュネーブは雨も上がっています。
何だか1週間事故もなく、いつものように慌しく過ぎました。ハイキング主流でしたから、車の走行も1000キロ程度でした。お疲れ様。
ところで乗り換えアムステルダムは雨で、預けた荷物の乗せ代えも雨に十分さらされたようで、トランクの中まで濡れていたのにはびっくり。荷物詰め替え人夫の質も、相当ひどいものだ。KLMオランダ航空だよ。