すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

小市民のそんな在りかた

2018年07月17日 | 読書
 久しぶりに「宿題」を仰せつかり、ここ数日あれこれと忙しく、また悩ましい。ある会議のための資料作成ということだが、ちょっと創造力が必要な事項なので、夏休みの自由研究で悩む小学生のようなものか。時間はたっぷりあるが、やり遂げないと自分の好きなことはできない。


 性格的には、ぎりぎりになるまで手をつけないタイプというより、早くワッパガして、のんびりしたいと思う方だ。しかしこれが構想を練る段階を伴う内容だと、結構な時間が割かれることになる。考えることは苦痛ではないが、あまり出てこないと自らの非力を嘆くことになる。


 とはいえ大事な「約束」(ノルマではなく)だから、追い付詰めてみれば、何かしらのアイデアは絞り出せるものだ。それでも期限が迫ったら「見切り発車」。これはかの酒井臣吾先生の教えである。子どもたちに向かって、その考え方を説いたときもある。一つの覚悟の持ち方だろう。


 ふと、PC画面のデスクトップにある画像の文章が目に入る。久しぶりの「キニナルキ」として残しておこう。

Volume113
 「持つ人間でなく、ある人間になる。目的を持ち、その達成を目指すというより、今日、この瞬間、だれかのために存在している人になれ。」(エーリヒ・フロム)


 宿題はなんとか目途がたった。今日も暑いがビールは美味いだろう。なんだ、結局、そんな在りかたになってしまったか。