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あの戌年の夏の涙

2018年07月04日 | 教育ノート
 「サムライブルー」と言い出したのはいつからだったか。
 今はあまりそんなこと言わなくなったのかな。

 チームプレーとサムライがイメージに合わなかった。
 その意味では、駄文だけれど、なんとなく象徴的な題付けをして書いたものだ。


 サムライの哀しい涙
 ~ 06/26/2006~



 サッカーワールドカップ記事の総括?をもう一つのブログにも書いた。

 それとはまったく違う意味で、印象深かったのは、やはり「中田の涙」である。

 多くの敗因の、ある意味での一つの真実は、スポーツ新聞に書かれた「W杯観戦記」の次の見出しではなかったか。

 悲しいことに1人で涙を流し続けていた


 確かに中村も直後のインタビューには答えられないほどであったし、無念さを抱えた選手は多かったろう。
 しかし、中田とは質が違っていたというべきか。

 いや「質が違う」のは仕方ないのだろうが、敗北後の表情や言葉がそれぞれが自立したような印象を受けないことも確かだ。

 ここはやはり、みんなでピッチで大泣きした方が、日本人らしい?
 お前たちはサムライにはまだなれない、潔さより、集団でぶつかってみろ、玉砕だ!とかね


 それもできなかったチーム事情というか背景というか、そんなこともひっくるめて、中田はどこまでも哀しかったのだろうか。