昨日 主人の部屋の段ボール箱からすごいものがでてきました。
それは終戦1945年8月15日に主人が書いた作文です。当時主人は国民学校3年生でした。
日本が負けたことを大人から知らされての8歳であった主人の気持ちが素晴らしい文で書かれています。
私はしばらく動くことが出来ませんでした。特に最後の
【ぼくはどんなに苦しくても忍んで科學心を起こしきっと日本の為によい發明發見をしやうと思いました。】
の部分では胸が熱くなりました。その通り立派な科学者医師になりました。
終戦から75年たった今その日その時についての小学生の作文…とても貴重な歴史資料のように感じました。
私だけで感激していてはもったいないので主人の姉妹弟にもコピーして送りました。これも義母が大事に保管していて下さったからです。
この他にも作文・学習帖などが沢山あり、それらをゆっくり丁寧に見たり読みながら小さかった時の主人に思いを馳せ、一日が暮れました。
義母の祥月命日もすぐそこです。義母が「ようやく見てくれたのね。」と言っているような気持になりました。
お義母さま、有難うございます!
【追記】2020/7/15 主人のこの作文を世田谷平和祈念館に寄贈しました。
貴重な日記、資料。
こうして公開して下さり、ありがとうございました。
終戦の時、子供がどんな気持ちであったか、その後どんなに頑張ってきてくれたか、忘れずに、次の世代にも伝えたいです。
ご主人様や、義母様、すばらしいですね。
小3でも戦争に負けた事、しっかりと受け止めていたのです。寿命が50歳と短かった昔は子供も大人っぽくしっかりしていたんだなと思います。
長野の無言館に行ったとき戦地から両親に宛てた手紙が沢山展示されていたのですが、若いのに字は達筆、内容もしっかりしていて昔の若者はすごかったと感動したこと思い出しました。
明治の志士たちも若かったですよね…話が飛躍しましたが。
無言館、私は大人になってから行きましたが、涙が止まりませんでした。言葉を失うというか。
私は戦争を実際には知りませんが、絶対反対の思いが年々強くなっています。
無言館のことがでてきたので、再度コメントしたくなり、失礼しました。
2才上の次兄と学童疎開してました。
家が届けたおやつを気前良く友達に配って食べてしまい、少しづつ大事に食べていた次兄にくれよとねだったそうです。
難しい漢字を使いしっかりした内容の作文。
先生も優を付けて下さる。
昔の子供が皆しっかりしているのではなく、将来立派な科学者医師になる方は子供の頃から優れていたのです。
うちの兄なんか食べ物の事しか考えていません。
地図帳とかはありませんか?
母が私に兄のお下がりの地図帳を使わせようとしたら、
世界地図では日本は赤い色で、日本列島と朝鮮半島、確か中国大陸の一部も赤く塗られていました。
こんな地図はダメだと新しい地図帳を買ってもらえました。
今在ったら、若い方に見せてあげたいと思うのです。