五月二十九日(日)雨。
台風の影響で、朝から雨脚が強い。沖縄では風速五十五メートルの風が吹いたという。午前中は、原稿書き。どうやらめどがついたので一安心。
今日は、去る二十五日に亡くなられた小早川久之先生の密葬が久保山の一休庵にて行なわれる。四時半にご葬儀に参列される民族革新会議の山口申、犬塚博英の両先生を横浜駅に迎えに行く。バケツで水をまいたような凄い雨となっている。正に涙雨だ。
五時前に、一休庵着。菊水国防連合の三田忠充会長や小早川先生の弟である義烈氏などの人たちがお手伝いをしていた。会場に安置されている小早川先生に手を合わせ、ご家族や親族の方たちにご挨拶をする。六時から、通夜式が開始。山口、犬塚の両先生と共に親族の席に座らせて頂き、ご焼香をした。
終了後に、山口、犬塚の両先生と共に弔いの酒を、前里町の「だんらん亭」にて。小早川先生の思い出話をしながら「白波」をあけた。小早川先生が亡くなられたのは五月の二十五日。この日の夜に、赤坂の乃木神社にて楠公祭が執り行われた。小早川先生が創設した菊水国防隊(その後、菊水国防連合と改称)は、その楠公の精神を受け継ぐことを目的とした団体である。楠木正成は、後醍醐天皇から菊水の家紋を下賜された。菊水国防とは、その楠公の精神を持って国を守るという精神で、小早川先生は団体名に「菊水」の名をとった。
最後に、小早川先生とお会いしたのは、昨年の七月の二十七日の事。足が悪くなって、外に出るのが大変という小早川先生を気遣って、激励会を催そうと山口申先生の音頭でご自宅に伺った。岡田尚平、犬塚博英の両先生に、小川和彦氏、そして小早川先生と古いお付き合いのS氏に私である。S氏に差し入れて頂いた野田岩の「うなぎ」で一献酌み交わした。早いものでそれから一年。正に、時が過ぎて行くのではなく、人が去って行くということを実感した。