白雲去来

蜷川正大の日々是口実

歴史的な写真と寄せ書き。

2011-12-27 11:22:04 | インポート

十二月二十三日(金)晴れ。天長節。

 七時に起床。天長節の朝、凛とした寒さの中で玄関に日の丸を掲げ、皇居を拝し、ご皇室の弥栄と今上陛下のご健康をご祈念する。

 

 同志の多くは、皇居へ参賀に行っているのに違いあるまい。年の瀬、売文の生業の片隅にいる私としては、明日までに入稿しなければならない原稿と格闘しなければならない。朝食後にパソコンに向う。

 

 実は、昭和二十八年に熊本の志垣隆邸(大凡荘)において行なわれた「宮崎滔天・民蔵・孫文追悼集会」の際に集った方々の寄せ書きを軸装した物を、志垣隆氏のご子息の故志垣達郎氏から十年ほど前に頂いた。横が一メートル五十、縦が二メートルもの大幅である。大きすぎて我が家では飾るところがない。

 

 なぜ、そんな歴史的な寄せ書きの掛け軸を頂いたと言えば、志垣達郎氏は東映のプロデューサーで、野村先生がプロデュースした「斬殺せよ・切なきもの、それは愛」の映画を担当された。この出合いがご縁となって、親しくさせて頂き、「この掛け軸は私が持っているよりも、君の方が相応しい」と、頂いたものである。

1 ※クリックすると拡大します。

 上記の写真の方々が、その日に集った。前列中央の学生服の方が志垣達郎氏である。写真に写っている方は六十七名。右翼・民族派の錚錚たる人たちや、政財界の方、保田與重郎や日本浪漫派の人、あるいは中国国民党の要人の方などである。

 

 例えば、血盟団事件関係の井上日召、小沼正。浜口雄幸を東京駅にて狙撃した佐郷屋嘉昭。神兵隊事件関係の鈴木善一、中村武彦、影山正治、高橋梅雄、毛呂清輝。玄洋社関係では岩崎茂成、柴田麟次郎や後に福岡市長となった進藤一馬。その他、熊本日日新聞の社長、熊本県議会議長、宮崎滔天のご子息の龍介と滔天の甥の宮崎眞英。国民党関係では、陳中孚、韓雪階、趙雲鶴。(敬称略)

 

 とても小欄では書ききれない。それでも、どうしても判明の出来ない方が幾人かいる。また、写真は写っていないが、寄せ書きの方には柳原白蓮のものもある。現在、資料を集めて、この写真と寄せ書きの方たちの解説をして見たいと思っています。

 

 そんな訳で、今日は、原稿書きと上記の資料の整理で休肝日としました。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 四日分のブログを更新。 | トップ | 頭山満先生縁のお店へ。 »
最新の画像もっと見る

インポート」カテゴリの最新記事