白雲去来

蜷川正大の日々是口実

遥かなるスワニー河。

2024-05-11 06:44:07 | 日記

5月7日(火)雨。

我が陋屋を春の雨が叩く。目覚めつつ 眠りつつ知る若葉雨。とは野村先生の句である。朝食は抜いた。昼は、昔ながらのナポリタン、大根の味噌汁。夜は、クリームコロッケ、メンチカツ、キャベツの千切り添え。トマトサラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

過日、自宅から弘明寺商店街を抜け、大岡川沿いを歩き、京急の井土ヶ谷駅経由を歩くいつもの散歩道を歩いていると、志村馨君親子が卒業した小学校から、音楽の時間なのだろうか、懐かしい歌が聞こえてきた。ん、この景色には記憶がある。そうか、思い出したのは、「寅さん」の映画だ。そのシリーズの何作目かは忘れたが、落魄した名家のお嬢さん役の京マチ子の娘が小学校の先生役の壇ふみ。寅さんの妹のさくらが、壇ふみの勤めるている学校に行った時のこと。二人が話をしていると、音楽の授業をしている教室から聞こえてくるのがアメリカ民謡の「故郷の人々(スワニー河)」だった。この曲が、とてもいい感じにBGMとなって画面を引き立てていた。その歌を聞いていたら、なぜか突然、その歌を歌っていた子供の頃のことが脳裏に浮かんだのである。通っていた山の上の木造の小学校。教室から見た夕暮れの富士山。同級生の顔・・・などが洪水のように脳裏に溢れた。

「故郷の人々」を歌わなくなってから半世紀が過ぎた。そんな歌を歌っていたことすら思い出すこともなかったが、本当に久しぶりに忘れていたその歌を聞いた時、なぜか自身の来し方と相俟ってやるせない気持ちになった。PCで「故郷の人々」を検索してみた。

『故郷の人々(スワニー河)』は、19世紀の作曲家フォスターが1851年(25歳頃)に作曲したアメリカ歌曲。曲のタイトルにもある地名「Swanee River(スワニー河)」は、ジョージア州南部とフロリダ州北部を流れる河。歌の内容は、アメリカ南部での綿花畑(プランテーション)から逃れ、北部の自由州で生き延びる黒人達が、昔の子供の頃を懐かしく哀しく思い出す切ない曲となっている。「故郷」が指す場所については、アメリカで生まれた黒人達にとってはアメリカの綿花畑が「故郷」になり、アフリカ大陸から連れて来られたばかりの黒人達にとっては、生まれ育ったアフリカ大陸の地元の村が「故郷」ということになるだろうか。

1949年には、勝承夫訳詞のもと「故郷の人々」として発表されている。「故郷の人々」は小学校の音楽教科書に掲載されていた。(以上、ウイキより。)

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