白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お別れの会へ。

2016-03-07 09:36:23 | 日記
二月二十八日(日)晴れ。

随分前に「男の顔は履歴書」という映画がつくられた。主演は安藤昇氏で、子分は安部譲二さん。映画通に言わせるとやくざ映画の中で隠れた佳作であると言う。残念ながら私は見ていない。私は、個人的に「ヤクザ映画」があまり得意ではない。健さんの任侠映画を見るには見たが、ファンになる、と言うほどではなかった。特に最近のVシネマなどは、全く見なくなった。私が子供のころから夢中になったのは、戦争映画である。戦前、戦後に作られた物はほとんど見ているのではないだろうか。いや私の映画の趣味の話ではない。

青山斎場にて行われた「安藤昇お別れ会」に出席した。といっても私は、生前の安藤昇氏とは一面識もない。主演した映画を見たと言う記憶もない。ただ戦後の一時期、疾風のように駆け抜けた、時代を象徴する方だと、男として尊敬をしている。

青山斎場に来たのは、野村先生の葬儀以来だから二十三年ぶりのことである。乃木坂の駅から歩いて葬儀場に向かう道すがら、降り注ぐ陽射しの中に、野村先生の葬儀のことがが甦ってきた。到着したのは、一時の開式の二時間近く前だったので、一般の来客はほとんどいなかったが、カメラマンが大勢待機していた。お世話になっている三本菅啓二先生にご挨拶して、側に付き添いカメラマンの大役をこなす。

会場には、大きな祭壇に故人となられた安藤氏の遺影が。そのサングラスの奥に秘められた鋭い眼光の遺影を見ていると、大宅壮一氏の「男の顔は履歴書」という言葉が浮かんだ。正にこの言葉は安藤氏のためにあるような気がした。

式が始まり、「惜別の歌」が流れる中で、故人の縁の方たちの弔辞、次いで梅宮辰夫氏の献杯、その後ご焼香。北島三郎氏や芸能関係者、任侠界、マスコミ、民族派関係者などが続く。ご焼香が済めば別室で直会。作家の山平重樹氏や大下英治氏などの知己とお会いする。終了後に、山平重樹氏にご紹介された東京国際大学の福井雄三先生らと銀座の「がんこ」というお店へ。岐阜から、ご子息の下宿探しに来ていた細川嘉彦先生も合流。
細川先生が中座した後に、河岸を変えようと言うことになった。

店を出てもまだ外は明るい。御徒町へ行こうと言うことになって、久しぶりに「新東陽」へ。群青の会の大熊雄次氏が合流。問答無用の酒となった。もうこうなると、矢でも鉄砲でも持って来い。と言う気になる。仕上げは、御徒町駅前の「吉池」。時計を見ると十時近い。さすがに解散。ヘロヘロになって自宅着。
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