十月二日(火)晴れ。
上の子供は、文化祭の代休で学校は休み。朝食は、昨日の「豚しゃぶ」のスープを濾して一味加え、乾麺のうどんを茹でて、簡単な「煮込みうどん」を作った。丁寧に出汁をとったせいか好評だった。食後は、仕事。午後になって、しばらく歩いていないことを思い出して。天気も良いので愚妻を伴って久しぶりにウォーキングに出た。久しぶりなので、足慣らし程度の散歩と言った方が正しい。途中、弘明寺商店街を冷かして歩いた。大好きな「練り物」の専門店を発見し大喜び。近いうちにぜったいに買いに来ると心に誓った。小腹がすいたので、井土ヶ谷駅の近くの「陳記」という中華料理屋に入った。餃子を頼んで、出てきたら、思わず「ビール」。これでは何にもならないとは愚妻のため息。分かっちゃいるけどやめられない。
夜は、恒例の「蜷川会」を関内の知り合いのお店で開催。その後は、有志で、二軒転戦してからサリーの店へ。サリーを誘って「うさぎ屋」で小腹を満たしてから、野毛に向かう。久しぶりに午前様となって、こそこそと帰宅。
四宮正貴先生が編集をしている「伝統と革新」。保守の理論的な質の高い雑誌である。書き手のほとんどの方を知っているが、毎回楽しみにしているのが、諸先生の論文はもちろんだが、特に民族革新会議の議長をしている犬塚博英氏の連載「「我が体験的維新運動史」と、尖閣防衛の信念を持って石垣島に移住している中尾秀一氏の「石垣島便り」である。
犬塚さんの連載は、そのまま戦後の民族派学生運動の「運動史」といっても決して過言ではない。もちろん、昭和六十年代以降にこの運動に入った人たちには、当時の民族派の学生運動というものの「空気」を理解できないかもしれないが、現在も第一線で活躍している鈴木邦男、山浦嘉久、四宮正貴の諸先輩や若くして亡くなられた阿部勉氏といった方々との関わりや当時の大学の学生運動の様子が良く分かりとても興味深い。
かく言う私も、学生運動の経験はない。大学に行くほどの能力も余裕もなかったので、実際に犬塚さんたちが経験した民族派の学生運動、すなわち日本学生同盟、全国学協に代表される民族派学生運動の渦中にいたわけではない。犬塚さんたちより少し遅れてこの運動に入ったが、出発点は民族派学生から「既成右翼」と呼ばれていた行動右翼からだった。よって学生時代の犬塚さんたちとの接点は全くなかった。
その後、犬塚さんたちと「核拡散防止条約」の反対闘争を通じて、共闘をするようになり、学生運動を経験した前述の方々と運動を共にすることになった。犬塚さんは、民族派では珍しい国立長崎大学の出身である。その犬塚さんが、連載の中にこう述懐している「私は最近になって、基本的な学問に取り組む姿勢を学んでこなかったこと、本の読み方や研究テーマに取り組む基本姿勢を学んでいないことを認めざるを得ない。もう一度、真剣に学問してみたいといった殊勝な考えすら頭をよぎることがある」と。
これを読んだ時に、正に電気ショックを受けたような気がした。「それに比べて俺なんか・・・。」という思いである。ろくに勉強もせずに、大学に行くと言う気力も学力なく、いたずらに馬齢を重ねてきた。犬塚さんの反省は、そのまま私の反省と後悔でもある。
中尾さんは、尖閣防衛の熱い思いをもって石垣島に移った。その情熱には頭が下がる。船が必要と高知から沖縄に漁船を曳航する苦労が綴られているが、本人は、さらりと書いているがそのご苦労は並大抵のことではないことが分かる。こうした方々と、同志であることが私の誇りでもある。是非ご一読をお願いする次第であります。