白雲去来

蜷川正大の日々是口実

軍艦に乘組みて 我は護らん海の國。 

2020-07-11 12:05:39 | 日記
七月一日(水)雨。

食堂や弁当屋などで食中毒が出ると期間の長短は分からないが、ほぼ営業停止の処分を受ける。それなのにコロナのクラスターが出たお店には何の処分も出ないというのが不思議だ。またニュースでは、検査で陽性となった人が行方をくらます、と言うことがあるらしい。そういった連絡が取れない人の氏名を公表することも必要ではないかと、私は考えている。「無症状」の人から感染しないのならともかく、感染するとしたら、それなりの処置は必要ではないだろうか。

今日から七月。夏が待ち遠しいと思っていたのは十代の頃ぐらいまでだろうか。私が子供の頃は、市電(路面電車)や京急で行ける海があった。屛風ヶ浦、富岡、金沢文庫、八景。本牧の三渓園の先も海だった。最も経済成長のせいで、お世辞にもキレイとは言い難かったが。遠浅の海を歩いていると、足の裏から魚が逃げて行く感触を覚えている。

今では横浜には自然の海浜が一か所しかない。海岸は埋め立てられ、海はコンクリートで囲まれた巨体なドブのようになってしまった。

小学校の頃に歌ったのが、『われは海の子』。この歌は、1914年(大正3年)刊行の「尋常小学唱歌」第六学年用に掲載された文部省唱歌。現在では三番までしか謳われないが、実は、本当はこの歌は七番まであって、海軍国日本の少年たちを鼓舞する内容だった。その七番の歌詞は、

七、いで大船を乘出して 我は拾はん海の富 いで軍艦に乘組みて 我は護らん海の國。 


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