7月18日(土)曇りのち雨。
愚妻が朝早く上の子供を皮膚科に連れて行ったので、帰りに「ほっともっと」で、得意の「特のりタル弁当」を頼んだ。いい歳をしたオヤジが、朝から一人でホカ弁なとを食べていると、何か侘しいが、家族そろってならばピクニック気分か。昼は抜いた。夜は、ナポリタン、ポークソテー、レタスサラダ。お供は「黒霧島」。
先日の「父の日」に上の子供が、好物の国産ウナギを取り寄せてくれた。うな重にするにもうな丼にするにもちょうどよい器がないので「モノタロウ」で重箱を家族分取り寄せた。たとえ自宅ても、どうせ食べるのならば、本格的にと思った次第。うなぎだけではなく、「カツ重」、「エビ天重」にも使えるので、買って良かったと思っている。
うなぎの名店は多い。まあ名店と言うよりもほとんど自分の好みに合う店が「名店」となるようだ。俗に、東京には、「東の尾花、西の野田岩」と言われている名店がある。両方行ったことがあるが、私は「尾花」の方が好きだ。駒形の「前川」にも一度行ってみたいが、生憎、お世話になっている盟友はうなぎがあまり好きではない。確か「前川」は寅さんの映画に出てきた記憶がある。
私の「食」のスクラップ、『週刊朝日』の2016年の7月29日号のグラビアの特集は「文豪が愛でた鰻」である。
太宰治は東京の国分寺市にある「若松屋」。泉鏡花が『婦系図』の中に「何であろうと三人が風説(うわさ)とりどりの中へ、へい、お待遠様、来たのが竹葉」と書いた銀座の「竹葉亭」。谷崎潤一郎は日本橋小網町の「㐂代川」。夏目漱石が『虞美人草』の中に書いた浅草の「やっ古」。29年間の日記の中にうなぎを食べた記述が902回も出てくる部類のうなぎ好きの斎藤茂吉の好きだった店は道玄坂の「花菱」。上野の「伊豆栄」が出てこないのは残念。
横浜にも好きなうなぎ屋が何軒かあるが、高くてなぁー。
愚妻が朝早く上の子供を皮膚科に連れて行ったので、帰りに「ほっともっと」で、得意の「特のりタル弁当」を頼んだ。いい歳をしたオヤジが、朝から一人でホカ弁なとを食べていると、何か侘しいが、家族そろってならばピクニック気分か。昼は抜いた。夜は、ナポリタン、ポークソテー、レタスサラダ。お供は「黒霧島」。
先日の「父の日」に上の子供が、好物の国産ウナギを取り寄せてくれた。うな重にするにもうな丼にするにもちょうどよい器がないので「モノタロウ」で重箱を家族分取り寄せた。たとえ自宅ても、どうせ食べるのならば、本格的にと思った次第。うなぎだけではなく、「カツ重」、「エビ天重」にも使えるので、買って良かったと思っている。
うなぎの名店は多い。まあ名店と言うよりもほとんど自分の好みに合う店が「名店」となるようだ。俗に、東京には、「東の尾花、西の野田岩」と言われている名店がある。両方行ったことがあるが、私は「尾花」の方が好きだ。駒形の「前川」にも一度行ってみたいが、生憎、お世話になっている盟友はうなぎがあまり好きではない。確か「前川」は寅さんの映画に出てきた記憶がある。
私の「食」のスクラップ、『週刊朝日』の2016年の7月29日号のグラビアの特集は「文豪が愛でた鰻」である。
太宰治は東京の国分寺市にある「若松屋」。泉鏡花が『婦系図』の中に「何であろうと三人が風説(うわさ)とりどりの中へ、へい、お待遠様、来たのが竹葉」と書いた銀座の「竹葉亭」。谷崎潤一郎は日本橋小網町の「㐂代川」。夏目漱石が『虞美人草』の中に書いた浅草の「やっ古」。29年間の日記の中にうなぎを食べた記述が902回も出てくる部類のうなぎ好きの斎藤茂吉の好きだった店は道玄坂の「花菱」。上野の「伊豆栄」が出てこないのは残念。
横浜にも好きなうなぎ屋が何軒かあるが、高くてなぁー。