まだできる事はある

人間を慈しむ事さえ出来ない人が、わが国を指導してきたとしか、思えません。今こそ私達の目指すべき道を本気で考えるべきでは。

チェルノブイリを超え最悪となった福島原発

2011-05-12 20:42:52 | 東日本大震災

チェルノブイリを超え最悪となった福島原発 5/12

 

電源停止の翌日に於ける水素爆発により、大方の予想はしていたが、やはりこの時点、3月12日のこの時点で、福島原発の爆発は既にレベル7のチェルノブイリ級の大事故であった事が避けられ無かった様です。

 

この大事故をレベル4と言い張り、緊急なる手立てを怠ったがための、東電と官僚による人災であった事が本日の調査で証明されてしまいました。

 

当初の電源停止より10時間以内にベントに着手していれば、この災害はそもそも発生していなかったのですが、もう後の祭りのようです。

 

溶解した燃料棒の爆発を防ぐには水を注ぎ続ける以外の手段は無く、放射能に汚染されたこの水は海洋へと垂れ流され続ける以外の選択肢は既に無くなってしまったようです。

 

チェルノブイリを超える最悪なる事態となってしまいました。

福島原発の周辺へは、今後少なくとも10年か20年は立ち入り出来ないでしょう。

全世界を騙し続けていた保安院と枝野氏の罪は重大です。

 

 


もう少しだけ勇気を持って

2011-05-10 22:24:36 | 東日本大震災

もう少しだけ勇気を持って 5/10

掲載日:2008131

 

もう少しだけ勇気を持って前へ進もう

 

誰も皆、諦め挫けそうになる事ばかりです。

あなただけでは有りません。誰しも、私だって毎日の様に感じているのです。

 

しかし、あとほんの僅かで好いのです。あなたが持っている勇気、あなたが忘れていた、勇気を信じてみませんか。

あなたが持っている、勇気をふりしぼってみませんか。

 

そうすれば、あなたが今まで不安に思っていた事など嘘の様に、

さも今迄の心配なんか、全く別な世界の心配かの如く思われるかも知れません。

あなたが、何かに絶望し、そして諦め、もう駄目かもしれない。

そう思った時にこそ、あなたの心を奮い立たせる、勇気が必要です。

 

気持ちを切り替えよう、あなたは、新しき心を手に入れよう。

そうすれば、必ずや新しき世界が開けてくる事でしょう。

自分自身に負けてはならないのです。

 


情けなき宰相のとんでもなき失態

2011-05-09 22:32:25 | 東日本大震災

九電、中部電から電力融通 浜岡停止なら困難に 九州の供給懸念

2011年5月8日 10:04

 

 九州電力が5月に入り、電力の供給不足に対応するため中部電力から40万キロワット程度(一般家庭15万戸分相当)の電力の融通支援を受けていることが7日、分かった。中部電力は、政府による浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面停止要請を受け入れれば供給余力が一転して逼迫(ひっぱく)するため、九電への融通継続が難しくなることが確実。原発3基が同時停止する九州の電力不足への懸念がさらに強まることになる。

 

 関係者によると、福島第1原発事故を受け、九電は定期検査のため停止した玄海原発2、3号機(佐賀県玄海町)の運転再開を3-4月に予定していたが延期。一方で夏場の電力最需要期を控え、石油などの代替燃料の量的確保が見通せず、少しでも燃料の使用を抑えるため、5月初めから当面1カ月の期間で余力のある中部電力などと契約した。北陸電力からも数万キロワットの融通を受けているもよう。

 

 中部電力は東日本大震災後、東京電力への融通を始め、現在も続けている。だが突然の浜岡原発停止要請を受け、中部電力は「全面停止すれば供給力が不足し、一般論として他社への融通は難しくなる」(広報部)として中止する方針。九電への融通も予定通り続けるのは困難な情勢だ。

 

 政府は関西電力に中部電力への供給支援を要請したが、関西電力も美浜原発(福井県美浜町)などの運転再開のめどが立っておらず「むしろ需給は逼迫しており、支援する余裕はない状態」(電力業界関係者)といい、電力各社で供給不足が連鎖的に拡大する様相を呈している。

 

 九電は玄海2基に続き、今月10日から川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)も定期検査に入るため、原発6基中3基が停止する見通し。佐賀県などに再開の理解を求めるのと併せ、大口需要家などに大幅な節電要請を行う検討を本格化する。

 

2011/05/08付 西日本新聞朝刊=

 

菅直人の、場当たり的な人気取り政策が、都民に電力不足を齎し、日本国の経済停滞を決定付けた訳です。情けなき宰相のとんでもなき失態です。

 


二ヵ月後の計測値が700ミリシーベルトであったこと

2011-05-09 21:14:47 | 東日本大震災

二ヵ月後の計測値が700ミリシーベルトであったこと 5/09

 

まもなく二ヵ月を経過しようとしている福島原発の建屋内部に本日初めて決死隊が突入した。

その建屋内部の計測値とは、何と700ミリシーベルトであると本日公表された。

 

卓越した技術力を誇っていた我が国のロボット工学であったが、何時の間に全くの骨抜きと為ってしまったのだろうか。

 

あのおもちゃの様な借りてきたロボットの役立たずさは、どうでしょう。

何故地震国日本で、卓越した技術力を誇っていた我が国のロボット研究を継続していなかったのでしょうか。

 

700ミリシーベルトの計測値では、このただ一基の原発でさえ六ヶ月以内の復旧は困難な事です。まして全基の冷温安定など何年先となる事でしょう。

残念無念な事であると思います。

 

中電の原発停止を菅直人の突然の指示により決定

しかし、福島原発の建屋が爆発したとしても原因は地震に拠る破損では無くあくまでも外部電源の津波による破損でした。

 

ところが本日、中電の原発停止を菅直人の突然の指示により決定したようです。

さすが何も考えない菅直人。

 

中電の原発停止を指示するのであれば、代替電力の供給の目処を第一に考慮すべきではありませんか。

 

今回の福島原発建屋の爆発は地震に拠る破損では無く、外部電源の津波による破損だったではありませんか。

 

意味が無い中電の原発停止を命じ、電力不足による日本国の経済停滞を自ら望むとは何たる恥さらしな宰相でありましょうか。

 

 

追記

本日、中部電力は、東京電力への電力供給をしないと公表した。

菅直人の、場当たり的な人気取り政策が、都民に電力不足を齎し、日本国の経済停滞を決定付けた訳です。情けなき宰相のとんでもなき失態です。

 


福島県内の児童生徒を助けてあげたい

2011-05-08 22:46:56 | 東日本大震災

福島県内の児童生徒を助けてあげたい。 5/08

 

福島県内の幼稚園や学校などでの子供の屋外活動を制限する放射線量について、

政府は「年間20ミリシーベルト」までを学校への指針として許容しているが、

小佐古敏荘(こさことしそう)・東京大教授(放射線安全学)が30日、涙ながらに内閣官房参与を辞任したように、国際的基準値としては文字通り殺人的な数値である事は間違い有りません。

 

この「年間20ミリシーベルト」と政府が定めた理由とは、児童の健康を考慮したものでは無く、「年間20ミリシーベルト」であればほんの十数校で済むが、「年間10ミリシーベルト」とすれば、福島県民の過半数を避難させなければ為らない。

補償費用は払いたく無いから、「年間20ミリシーベルト」にしよう。

 

残念ながら、これが菅直人政権の本質なのです。

この「年間20ミリシーベルト」とは、原発作業員の被曝上限値と同一です。

また、被曝による影響は年少者ほど被曝による後遺症が大となるので、

これではまるで年少者への被曝実験、児童生徒はモルモットそのものです。

 

何か出来る事はないのでしょうか。

 

福島県内の児童生徒を助けてあげたい。

 

まずは校庭の表土を除去しましょう。

これだけで児童生徒への影響は三分の一程度にはなるでしょう。

 

さて次にはどうすれば良いのでしょうか。

児童生徒へは、外出厳禁としてマスクを常用させる。

空気中に飛散している放射性物質の吸引による被曝を緩和するためにヨウ素剤を与える。

 

水フィルターによる放射性物質の除去

しかし、これらの方法では何ら根本的解決には為らない可能性が高いと考えます。

空気中に飛散している放射性物質の吸引を防ぐ最良の方策とは。

 

私は水フィルターによる放射性物質の除去を提案したいと思います。

何も難しい事はありません。費用もごく安価です。

 

冷風扇をご存知と思います。

濡れタオルを水中で回転し扇風機で送風することにより空気中のホコリを吸着し、また気化熱を利用して室温を下げる、移動型室内用の打ち水機器のことです。

 

原発建屋に先日配置され、放射性物質を吸着する、あの機器と原理は一緒です。

冷風扇は一台僅か5000円で購入可能です。

児童生徒一人当たり一台購入して放射性物質を吸引しましょう。

 

校舎の全室、トイレ、廊下、には各室三台は常備しましょう。

勿論、講堂、体育館等には空間に対して50立方メートルあたり一台を常備しましょう。

 

また付近の家庭の各室に一台の冷風扇を政府で支給しましょう。

空気中に飛散している放射性物質による放射線量は激減する筈です。

使用済みの冷風扇は計測のうえ、基準値に達したならば、破棄すれば良いのです。

驚くべき数値の放射性物質が吸着している事でしょう。

 


呆れ果てた大臣がいたものだ

2011-05-06 21:50:34 | 政治

呆れ果てた大臣がいたものだ 5/06

 

沖縄のアメリカ海兵隊のグアム移転計画について、日本側の負担額を少なく見せるために費用の水増しが行われていたとすれば、虚偽の請求による過大請求であった訳ですから、その虚偽の請求により過大請求された費用の返還を米国に要請するのが筋ではなかろうか。

 

ところが、費用の水増しが行われていたことなどを示すアメリカの外交公電が暴露されたにも関わらず、松本剛明 外相は、「不正な方法で外交上の秘密が公表されるのは遺憾だ」と述べたそうです。

 

この松本大臣は、何処の国の国益を第一と考えているのでしょうか。

日本国の大臣が、日本国の国益を第一と考えず、米国追従を第一義とするとは、

全くもって呆れ果てた大臣がいたものです。

 

 

米公電暴露、「おもしろく読みました」

TBS系(JNN) 5月6日(金)19時26分配信

 

 「(外務省としては一切コメントしない?)おもしろく読みました」(松本剛明外相)

 

 ウィキリークスには、2006年に日米両政府が合意した沖縄のアメリカ海兵隊のグアム移転計画について、日本側の負担額を少なく見せるために費用の水増しが行われていたことなどを示すアメリカの外交公電が暴露されました。

 

 松本大臣は、「不正な方法で外交上の秘密が公表されるのは遺憾だ」とも述べました。

 


金の卵を産むニワトリの腹を割いては全てを失う

2011-05-05 22:12:27 | 東日本大震災

金の卵を産むニワトリの腹を割いては全てを失う 5/05

 

徳政令は誰の為のもの

所謂、借金の棒引きなど現在の我が国では日常茶飯事です。

ただその相手とは、庶民以外のもの、お上の息がかかったもの。

つまりお上の尻拭いを、お上自らが画策したものに過ぎませんでした。

 

しかし徳政令とは施政者の為の方便であるに過ぎないと、誰が何時の頃より「徳政令は民衆救済の制度ではない」と、決定付けたのでしょうか。

 

金の卵を産むニワトリの腹を割いては全てを失う

 

仁徳天皇は、民の竈から煙が立たないのを見て、税を三年間免除したといい伝えられています。

 

私も当然と考えます。

過酷なる税を取りその結果として民が滅んだとすれば、結果として翌年の税収はゼロとなります。

税を取り続ければ翌年以降の税収はゼロ、それに対して税を三年間免除すれば、四年目には通常の税収が期待できます。

「庶民は生かさず殺さず」が施政者としての基本中の基本だったのでしょう。

 

しかし東日本大震災に拠って国力が疲弊した現在の日本国での増税とは、

金の卵を産むニワトリの腹を割いて全てを失う

事と同一の結末と為ることは当然でしょう。

 

未曾有の国難に瀕し、国民が疲弊しているこの時期に増税を画策する官僚、菅直人政権とは、まさしく亡国のゾンビ、悪霊としての亡者たちの悪行として記憶される事でしょう。

 

徳政令とは

鎌倉時代の徳政令では、貧窮に苦しむ御家人救済としての大義名分が強く、永仁の徳政令、1297年(永仁5年)がよく知られています

また室町時代になると、徳政令を求める民衆の土一揆、徳政一揆などが多発した事は、金の卵を産むニワトリの腹を割いて全てを失う事を憂慮した施政者としての必然としての配慮であったと思われます。

 

金の卵を産むニワトリの腹を割いて全てを失ってはなりません。

銀行ローンが残っていても、借金の対象となった住宅、事業所、病院や託児所がすべて震災や津波で押し流され、全て壊滅したとすれば、残っている銀行ローンを、この被災者から毟り取ってはなりません。

 

金の卵を産むニワトリの腹を割いて全てを失ってはなりません。

この被災者から毟り取っては、日本国は滅亡してしまいます。

 

震災や津波で押し流され、全て壊滅した住宅ローン、事業債務は、これを徳政令として全額免除しましょう。

震災や津波で押し流され、全て壊滅した漁港、市場、海産物事業所、船舶、設備。

これを徳政令として全額国費を用いて再建しましょう。

震災や津波で押し流され、全て壊滅した病院、学校、公園、道路。

これを徳政令として全額国費を用いて再建しましょう。

 

いまこそ日本国に徳政令を発動させるべき時期なのではないでしょうか。

 

 

被災企業に徳政令を…南三陸町長が要望

読売新聞 5月4日(水)19時38分配信

 

 東日本大震災復興構想会議(議長=五百旗頭真・防衛大学校長)の委員ら6人が4日、宮城県入りし、被災自治体の首長との意見交換や視察を行った。

 

 意見交換の席上、壊滅的被害を受けた同県南三陸町の佐藤仁町長は、被災企業の借金を棒引きする「徳政令」の実施を求め、梅原猛・同会議特別顧問は「政府に申し入れたい」と応じた。

 

 意見交換は同日午前、同県庁で行われ、被災地側から仙台市の奥山恵美子市長と佐藤町長が出席。佐藤町長は「町の全産業が壊滅的な被害を受けた。これまで重ねてきた借金に、災害支援のための融資制度(による借金)を上乗せすると、企業の再生はありえない」と、「二重ローン」に対する救済を要望した。

 

 委員らは同日午後、気仙沼市と石巻市の被災状況を視察、両市の市長とも意見交換した。視察後、五百旗頭議長は「切実な声をたくさん承ったことが大きい。地元の努力を後押ししていきたい」などと語った。

 


「ありがとう、台湾」日本の有志6000人、地元2紙に広告

2011-05-04 23:42:08 | 東日本大震災

「ありがとう、台湾」日本の有志6000人、地元2紙に広告 

2011.5.3 18:05

 

 「ありがとう、台湾」。東日本大震災で多くの被災地支援を行った台湾に対し、日本在住の「有志一同」約6千人が3日付の台湾紙、聯合報と自由時報の2紙に、日本語を交えた感謝の広告を掲載した。

 

 台湾に謝意を伝えたいとする女性デザイナーが短文投稿サイト「ツイッター」などを通じて広告を提案。約240万円の広告掲載料を捻出するため、1口千円の募金を呼び掛けたところ、1900万円以上が集まった。差額は被災地へ義援金として送るという。

 

 台湾からの義援金は先月27日までに約55億5千万台湾元(約157億円)に達している。(共同)

 

 

 

『謝謝台湾計画』 広告掲載当日の台湾の反応は?

 

http://mantou.at.webry.info/201105/article_1.html

 

 

ありがとうございます。

拝読致しました。ただ、ただ感謝の気持ちで一杯です。

言葉など出てこないものですね。

 


被災地の血液となるガソリンを出し渋った政府の醜態

2011-05-04 22:05:02 | 東日本大震災

被災地の血液となるガソリンを出し渋った政府の醜態 5/04

 

東日本大震災の発生直後に、被災地や首都圏でガソリンが不足し被災地の救援が遅延した理由とは、

日本国政府によるガソリンの出し渋りでした。

 

「ガソリン貯蔵施設には、常に何割かの備蓄が必要である」とか杓子定規な法律に拠って民間へのガソリン供出を拒んだ訳です。

 

間違っています、無念の情を禁じ得ません。

この国難たる大災害にあたって、備蓄米や備蓄ガソリンを放出しないとすれば、

そもそも、何の為に備蓄米や備蓄ガソリンを蓄えていたいとする必要が有ったのでしょう。

 

捨てたい程に有り余っている備蓄米を何故二週間も、避難所に届けようともしなかったのでしょうか。

 

間違っています

 

放出すべき備蓄ガソリンを、出し渋った菅直人の施策は、皮肉な事にガソリンのだぶつきを齎せたようです。

 

この国家存亡たる一大事に処して、何ゆえ菅直人は国民救済の方策を、拒んだのでしょう。

何故、日本国はこの被災者たちへ、援助の手を差し伸べなかったのでしょうか。

 

独裁者、菅直人にこの全ての責を押し付ければ、それで良いとするとすれば、

日本国の全ての国会議員は、此れ全て不要なる存在であったとしか言いようが有りません。

 

 

原発事故でガソリン余剰も=重油の副産物、価格抑制に

時事通信 53()150分配信

 

 東京電力福島第1原子力発電所の事故に伴う電力不足対策で火力発電の割合が高まり、燃料となる重油の需要が拡大。石油元売りは増産などで対応するが、精製過程でガソリンも生産される。東日本大震災の発生直後に被災地や首都圏で燃料不足が深刻化したが一転、余剰になるとの見方が出ている。

 福島原発停止を受け、東電は火力発電所の復旧や再稼働で供給力の積み増しを図っている。20077月の新潟県中越沖地震の影響で、柏崎刈羽原発が停止した際にも重油の消費が増加。資源エネルギー庁の調べでは、同年度の電力会社による重油の調達量は前年度比55%増の1189万キロリットルと急増した。

 元売りは、東電の要請に応じて重油の供給を増やす方針。ただ、原油を精製すると、重油以外の製品も一定割合できる。ガソリンの消費量はエコカーの普及や若者の車離れを背景に、04年度以降は減少傾向にある。また、「震災以降は自粛ムードが強い」(JX日鉱日石エネルギー)。石油連盟の天坊昭彦会長は「収益性の低い重油のためにガソリンや灯油が余るのは困る」と懸念する。

 店頭価格への影響を指摘する声もある。原油相場は産油国の政情不安で高騰しているが、野村証券の大越龍文シニアエコノミストは「重油増産で製油所の稼働率が上がれば、ガソリンの需給は緩み、原油高でも価格が抑えられる」とみている。 

 


やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

2011-05-03 22:59:03 | 東日本大震災

やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

NEWS ポストセブン 5月3日(火)16時5分配信

 

 

 

コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そして自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さぶられたのか。

 

「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生きていけと励ましてくれたのです」

 

人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノンフィクション・ライターの神田憲行氏が聞いた。

 

* * *

やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

 

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。

 

やなせ:うん。だから正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。それに正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに溺れ死んでしまうかも知れない。それでも助けざるを得ない。

 

つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。

 

――未曾有の国難といわれています。日本は復興できるのでしょうか

 

やなせ:(笑みを浮かべて)出来るのに決まってるじゃないか!あの戦争だって日本は焼け野原になって、原爆をニ個も落とされて人が何十年も住めないと言われたんだよ。それがあそこまで復興できたんだから。日本人は粘り強く、正しく立派に生きている人たちです。間違いなく復興できますよ!

 

やなせ氏は震災直後に1000万円を寄付し、さらにグッズの売り上げを寄付にする活動を継続中である。

 

「被災地の子どもたちがアンパンマンが助けに来てくれると思ってるらしいんだ。だからこうして活動していると知ると、喜んでくれるんじゃないかと思うんだ」

 

取材後、私(神田)が仙台で被災した従兄弟に小さな子どもが2人いることを話の流れで言うと、やなせ氏は目を見開いて「この事務所にあるオモチャどれでもいいから持って行きなさい。送って励ましてあげなさい」と言ってくださった。秘書の方が丁寧に選んで手渡してくれた二つのオモチャを持つだけで、帰り道の私の気持ちは温かくなった。

 


作業員を見殺しにした東京電力 その2

2011-05-02 22:51:45 | 東日本大震災

作業員を見殺しにした東京電力 その2  5/02

 

最初のベントに着手したのは3月12日午前9時ごろ、と記したが実際には

当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された事が真実であるらしい。

 

何故ベントの開始時間を改竄し、4時間余り早く書く必要が有ったのだろうか。

死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)

であるが、何故2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。のであろうか。

 

「作業員が死亡する可能性が高い放射能が噴出するバルブを開いた時刻に即死していた」、作業員たちは本当に存在していなかったのだろうか。

 

私には、此れまでの経緯を知った以上、この福島原発の事故規模が、チェルノブイリ級の原発爆発被害以上の規模であったからには、津波以外の死因に拠る、原発被曝による死者が、数人もしくは数十人いたと考えるほうが自然であるとしか考えられません。

 

当然「東電、もうあ菅、キティちゃん」たちは口を揃えて「福島原発の被曝事故に拠る死者は一人もいません。安心してください」、としか公表しないのだろうが、誰が信じるものだろうか。

 

 

官邸HP「ベント」開始時間を書き換え

2011470601  スポーツ報知

 

原発事故で、政府の原子力災害対策本部が、首相官邸ホームページ(HP)で公開する経過録で、3月12日実施の1号機の緊急措置「ベント」の開始時刻を、4時間余り早め、書き換えていたことが6日、分かった。

 

 ベントは炉内圧力を下げるため、放射性物質を含む蒸気を周囲に排出する非常手段。当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された。経産省原子力安全・保安院の担当者は「当院は当初からベント操作着手を10時17分としており、官邸に指摘し、表記が変わった」と説明。ただ官邸HPが、その時刻に「操作着手」でなく「開始」となっている点は「官邸側に提起したい」と語るにとどめた。

 

 保安院によると、同日午前9時すぎ、1つ目の排出弁を開け、同10時17分に2つ目の弁開放に着手。だが不具合で開けず、調整後、実際の蒸気排出確認は午後2時半だった。同HP上の保安院の別の発表では、14時40分に「蒸気の放出を開始」と表記。また枝野官房長官の会見録も、ベントは「14時ごろから」行われたとなっている。

 

 同機は午後3時36分に建屋が水素爆発。ベント「開始」が、その5時間前か、わずか1時間前かで、受ける印象は違う。当日は菅首相の現地視察で、ベント開始が遅れたとの批判も出ていた。また、書き換え翌日の28日には、国会審議で野党が政府の初動の遅れを追及している。保安院は「(書き換えは)審議と関係ない」としている。

 

 

福島原発で不明の20代東電社員2人、遺体で発見

2011.4.3 11:55

 

 東京電力は3日、福島第1原子力発電所4号機タービン建屋で行方不明になっていた同社社員2人が遺体で見つかったと発表した。

 

 東電によると、死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。

 

 2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。現場は放射性物質で汚染された水がたまっており、1人は水面に浮いた状態で見つかった。翌31日に運び出して除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。

 

 2人は震災当日の3月11日、4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたという。死因は多発性外傷による出血性ショックで、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。津波に巻き込まれたとみられる。

 


作業員を見殺しにした東京電力

2011-05-02 21:04:45 | 東日本大震災

作業員を見殺しにした東京電力 5/02

 

信じられません。

最初のベントに着手した3月12日午前9時ごろ、作業員が死亡する可能性が高い放射能が噴出するバルブを開いた時刻に、東電は作業員たちに逃げろと連絡していませんでした。

 

例えるとすれば、ダイナマイトで爆破するビル解体の現場で、そのビルの内部に作業員がいるにも関わらず、その作業員たちに退避勧告さえもせずに、ダイナマイトでそのビルを爆破したわけです。

 

そのビルの現場で、この作業員が死亡したとすれば、これは間違い無く殺人事件です。

 

この東電が実行した緊急措置「ベント」に拠って、福島原発の作業員が死亡したとすれば、これは間違い無く殺人事件であり、仮にこの作業員がすぐには死亡しないとしても、これは立派な殺人未遂事件です。

 

福島原発の作業員を死亡させたとしても平気な、「福島原発、東電、もうあ菅、キティちゃん」です。

原発作業員並みの年間20ミリシーベルトを小学生に被曝させ、20年後にその0.5パーセントが死亡していたとしても、「当時は、直ちには健康に何の害も無いとの考えが定説でした。菅直人内閣には何ら落ち度は有りません。」と平気な顔で仰有ることでしょう。

 

「近くの小学生の命など、知った事か」、なのでしょうね。

 

 

作業員に知らせず「ベント」開始していた

2011/5/02  05:04

 

 東京電力福島第1原発事故の際、1号機の原子炉格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出した緊急措置「ベント」が、敷地内で働く一部の作業員に知らされないまま始まっていたことが1日、分かった。現場にいた東電社員が共同通信に証言した。

 

 ベントは格納容器の内圧を低下させて破損を防ぐことなどが目的だが、周辺の放射線量を一時的に急上昇させることが確実で、作業員らは最も重要な情報を与えられないまま、大量被曝の危険にさらされていた。

 

 最初のベント着手は3月12日午前9時ごろ。当時、放射性物質の漏えいにより敷地内の線量は既に上昇を始めていたが、証言によると、ベントに着手する方針や着手の時期、作業の進行状況などについて、これ以前も以後も、この社員や同僚には一切の情報が伝えられていなかった。

 

 情報は免震重要棟2階の対策本部や、中央制御室でベントに当たった要員に限定されていたとみられ、実施の事実さえ「ウワサ」として事後に別の社員から知らされただけだったという。

 

 政府や東電が明らかにした経過によると、格納容器内の圧力の異常上昇は12日未明に判明。政府は午前3時ごろベント実施を発表して東電との協議に入り、事態が深刻な1号機で午前9時すぎ、2つの弁のうち最初の弁の開放作業が始まった。

 

 2つ目の弁の開放着手は午前10時すぎだったが、実際に蒸気の排出が確認されたのは午後2時以降。正門での東電のモニタリングによると、午後2時20分の線量は通常の約180倍で、午後2時の線量から2倍以上に跳ね上がっていた。

 

 一方、データによると、線量は午前4時40分の計測で初めて上昇し、約2時間後には通常の70倍以上となった。線量の急上昇に気付いた作業員が建物に避難する騒ぎも起こっていた。

 

 東電は「当時の詳細な状況は確認中で、今後整理された段階で説明させていただきたい」としている。