作業員を見殺しにした東京電力 その2 5/02
最初のベントに着手したのは3月12日午前9時ごろ、と記したが実際には
当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された事が真実であるらしい。
何故ベントの開始時間を改竄し、4時間余り早く書く必要が有ったのだろうか。
死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)
であるが、何故2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。のであろうか。
「作業員が死亡する可能性が高い放射能が噴出するバルブを開いた時刻に即死していた」、作業員たちは本当に存在していなかったのだろうか。
私には、此れまでの経緯を知った以上、この福島原発の事故規模が、チェルノブイリ級の原発爆発被害以上の規模であったからには、津波以外の死因に拠る、原発被曝による死者が、数人もしくは数十人いたと考えるほうが自然であるとしか考えられません。
当然「東電、もうあ菅、キティちゃん」たちは口を揃えて「福島原発の被曝事故に拠る死者は一人もいません。安心してください」、としか公表しないのだろうが、誰が信じるものだろうか。
官邸HP「ベント」開始時間を書き換え
2011年4月7日06時01分 スポーツ報知
原発事故で、政府の原子力災害対策本部が、首相官邸ホームページ(HP)で公開する経過録で、3月12日実施の1号機の緊急措置「ベント」の開始時刻を、4時間余り早め、書き換えていたことが6日、分かった。
ベントは炉内圧力を下げるため、放射性物質を含む蒸気を周囲に排出する非常手段。当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された。経産省原子力安全・保安院の担当者は「当院は当初からベント操作着手を10時17分としており、官邸に指摘し、表記が変わった」と説明。ただ官邸HPが、その時刻に「操作着手」でなく「開始」となっている点は「官邸側に提起したい」と語るにとどめた。
保安院によると、同日午前9時すぎ、1つ目の排出弁を開け、同10時17分に2つ目の弁開放に着手。だが不具合で開けず、調整後、実際の蒸気排出確認は午後2時半だった。同HP上の保安院の別の発表では、14時40分に「蒸気の放出を開始」と表記。また枝野官房長官の会見録も、ベントは「14時ごろから」行われたとなっている。
同機は午後3時36分に建屋が水素爆発。ベント「開始」が、その5時間前か、わずか1時間前かで、受ける印象は違う。当日は菅首相の現地視察で、ベント開始が遅れたとの批判も出ていた。また、書き換え翌日の28日には、国会審議で野党が政府の初動の遅れを追及している。保安院は「(書き換えは)審議と関係ない」としている。
福島原発で不明の20代東電社員2人、遺体で発見
2011.4.3 11:55
東京電力は3日、福島第1原子力発電所4号機タービン建屋で行方不明になっていた同社社員2人が遺体で見つかったと発表した。
東電によると、死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。
2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。現場は放射性物質で汚染された水がたまっており、1人は水面に浮いた状態で見つかった。翌31日に運び出して除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。
2人は震災当日の3月11日、4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたという。死因は多発性外傷による出血性ショックで、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。津波に巻き込まれたとみられる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます