まだできる事はある

人間を慈しむ事さえ出来ない人が、わが国を指導してきたとしか、思えません。今こそ私達の目指すべき道を本気で考えるべきでは。

作業員を見殺しにした東京電力 その2

2011-05-02 22:51:45 | 東日本大震災

作業員を見殺しにした東京電力 その2  5/02

 

最初のベントに着手したのは3月12日午前9時ごろ、と記したが実際には

当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された事が真実であるらしい。

 

何故ベントの開始時間を改竄し、4時間余り早く書く必要が有ったのだろうか。

死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)

であるが、何故2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。のであろうか。

 

「作業員が死亡する可能性が高い放射能が噴出するバルブを開いた時刻に即死していた」、作業員たちは本当に存在していなかったのだろうか。

 

私には、此れまでの経緯を知った以上、この福島原発の事故規模が、チェルノブイリ級の原発爆発被害以上の規模であったからには、津波以外の死因に拠る、原発被曝による死者が、数人もしくは数十人いたと考えるほうが自然であるとしか考えられません。

 

当然「東電、もうあ菅、キティちゃん」たちは口を揃えて「福島原発の被曝事故に拠る死者は一人もいません。安心してください」、としか公表しないのだろうが、誰が信じるものだろうか。

 

 

官邸HP「ベント」開始時間を書き換え

2011470601  スポーツ報知

 

原発事故で、政府の原子力災害対策本部が、首相官邸ホームページ(HP)で公開する経過録で、3月12日実施の1号機の緊急措置「ベント」の開始時刻を、4時間余り早め、書き換えていたことが6日、分かった。

 

 ベントは炉内圧力を下げるため、放射性物質を含む蒸気を周囲に排出する非常手段。当初、「午後2時半開始」と記入されていたが、3月27日に「午前10時17分」に変更された。経産省原子力安全・保安院の担当者は「当院は当初からベント操作着手を10時17分としており、官邸に指摘し、表記が変わった」と説明。ただ官邸HPが、その時刻に「操作着手」でなく「開始」となっている点は「官邸側に提起したい」と語るにとどめた。

 

 保安院によると、同日午前9時すぎ、1つ目の排出弁を開け、同10時17分に2つ目の弁開放に着手。だが不具合で開けず、調整後、実際の蒸気排出確認は午後2時半だった。同HP上の保安院の別の発表では、14時40分に「蒸気の放出を開始」と表記。また枝野官房長官の会見録も、ベントは「14時ごろから」行われたとなっている。

 

 同機は午後3時36分に建屋が水素爆発。ベント「開始」が、その5時間前か、わずか1時間前かで、受ける印象は違う。当日は菅首相の現地視察で、ベント開始が遅れたとの批判も出ていた。また、書き換え翌日の28日には、国会審議で野党が政府の初動の遅れを追及している。保安院は「(書き換えは)審議と関係ない」としている。

 

 

福島原発で不明の20代東電社員2人、遺体で発見

2011.4.3 11:55

 

 東京電力は3日、福島第1原子力発電所4号機タービン建屋で行方不明になっていた同社社員2人が遺体で見つかったと発表した。

 

 東電によると、死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。

 

 2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。現場は放射性物質で汚染された水がたまっており、1人は水面に浮いた状態で見つかった。翌31日に運び出して除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。

 

 2人は震災当日の3月11日、4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたという。死因は多発性外傷による出血性ショックで、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。津波に巻き込まれたとみられる。

 


作業員を見殺しにした東京電力

2011-05-02 21:04:45 | 東日本大震災

作業員を見殺しにした東京電力 5/02

 

信じられません。

最初のベントに着手した3月12日午前9時ごろ、作業員が死亡する可能性が高い放射能が噴出するバルブを開いた時刻に、東電は作業員たちに逃げろと連絡していませんでした。

 

例えるとすれば、ダイナマイトで爆破するビル解体の現場で、そのビルの内部に作業員がいるにも関わらず、その作業員たちに退避勧告さえもせずに、ダイナマイトでそのビルを爆破したわけです。

 

そのビルの現場で、この作業員が死亡したとすれば、これは間違い無く殺人事件です。

 

この東電が実行した緊急措置「ベント」に拠って、福島原発の作業員が死亡したとすれば、これは間違い無く殺人事件であり、仮にこの作業員がすぐには死亡しないとしても、これは立派な殺人未遂事件です。

 

福島原発の作業員を死亡させたとしても平気な、「福島原発、東電、もうあ菅、キティちゃん」です。

原発作業員並みの年間20ミリシーベルトを小学生に被曝させ、20年後にその0.5パーセントが死亡していたとしても、「当時は、直ちには健康に何の害も無いとの考えが定説でした。菅直人内閣には何ら落ち度は有りません。」と平気な顔で仰有ることでしょう。

 

「近くの小学生の命など、知った事か」、なのでしょうね。

 

 

作業員に知らせず「ベント」開始していた

2011/5/02  05:04

 

 東京電力福島第1原発事故の際、1号機の原子炉格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出した緊急措置「ベント」が、敷地内で働く一部の作業員に知らされないまま始まっていたことが1日、分かった。現場にいた東電社員が共同通信に証言した。

 

 ベントは格納容器の内圧を低下させて破損を防ぐことなどが目的だが、周辺の放射線量を一時的に急上昇させることが確実で、作業員らは最も重要な情報を与えられないまま、大量被曝の危険にさらされていた。

 

 最初のベント着手は3月12日午前9時ごろ。当時、放射性物質の漏えいにより敷地内の線量は既に上昇を始めていたが、証言によると、ベントに着手する方針や着手の時期、作業の進行状況などについて、これ以前も以後も、この社員や同僚には一切の情報が伝えられていなかった。

 

 情報は免震重要棟2階の対策本部や、中央制御室でベントに当たった要員に限定されていたとみられ、実施の事実さえ「ウワサ」として事後に別の社員から知らされただけだったという。

 

 政府や東電が明らかにした経過によると、格納容器内の圧力の異常上昇は12日未明に判明。政府は午前3時ごろベント実施を発表して東電との協議に入り、事態が深刻な1号機で午前9時すぎ、2つの弁のうち最初の弁の開放作業が始まった。

 

 2つ目の弁の開放着手は午前10時すぎだったが、実際に蒸気の排出が確認されたのは午後2時以降。正門での東電のモニタリングによると、午後2時20分の線量は通常の約180倍で、午後2時の線量から2倍以上に跳ね上がっていた。

 

 一方、データによると、線量は午前4時40分の計測で初めて上昇し、約2時間後には通常の70倍以上となった。線量の急上昇に気付いた作業員が建物に避難する騒ぎも起こっていた。

 

 東電は「当時の詳細な状況は確認中で、今後整理された段階で説明させていただきたい」としている。