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Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

母の夢

2017-04-09 19:41:30 | 家族

今年の4月、母の七回忌を迎えました。

早いですねー、もう丸6年経っちゃうんですね。

私を見守る桜の花も、満開を迎えました。


 


そんな春の宵、ちょっと思い出話を。

 

施設でほとんど寝たきりだった頃の母の元に、見舞いに行った時のことでした。

寝ていた母の枕元で目覚めを待っていた私の横で、程なく母が目を覚ます。


「ご飯炊いたのがあるから、それで食べよう。」

私の顔を見るなり、いきなり話し始める母。

あまりにも唐突な話で、私にはワケがわからないが、とりあえず話を合わせてみる (笑)

「お母さんが炊いたの?」

「そう」

「おかずはなに?」

「醤油で味付けして、大根とレンコンを煮たの。 それをおかずにして、さらっと食べよう。

 

涙が出そうになった。

その時の母は、ご飯を炊くどころか、自分の口で食事をすることもできない状態だったからだ。

自分でご飯の仕度をして、仕事から帰ってきた娘の私と一緒にご飯を食べようとした夢を見たのだろうか。


そんな夢が現実となることなく、母は逝ってしまったが、母の愛情を感じる貴重な会話は、今も私の宝物。

・・・・・・それにしても、「大根とレンコンの煮物」 って、どんだけ根菜好きなんだ (爆笑)


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もうすぐ母の日ですねー(笑)


スタートラインから・・・1年

2012-04-13 20:23:37 | 家族

子供の頃、春はピンク色のイメージだった。

新しい学年になったり、新しい学校に入学したり。

新社会人として、真新しいスーツに身をつつんだ頃の若かりし私は、ありきたりの言葉ながらも、春は希望に胸が膨らむ、心浮き立つ季節であったわけだ。

 

しかし今、満開の桜は少々切ない春を思い起こさせる。 

 

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満開の桜の中で母を見送ってから、今日でちょうど1年。 

一周忌の法要は3月に済ませたので、今日の命日にはたくさんのお花や供物を買って仏壇に供え、私はその前で、缶チューハイを飲んでいる (笑)

 

昨年は、3月11日に起こった大震災の影響で、繁忙期が1ヶ月伸びたような忙しさだったのだが、 その日 は不思議とヒマな一日だった。

帰宅後、ゆっくりと夕食を食べ、お風呂に入り、髪を洗い、髪を乾かし、基礎化粧をし、 「さてビールでも飲もうかな」 と思った矢先に、病院から呼び出しがかかったわけだ。

私に身支度をさせる時間の余裕を与え、でもこれから母の元へ車で向かうことになる私に、ビールを飲む余裕だけは与えない (笑) 、絶妙なタイミングであった。 

 

そういえば、父を見送ったのも春だった。

もう18年も前の3月24日、父の耳元で、 「もうすぐ桜が咲くよ」 とささやきながら送り出したことを、今でも鮮明に思い出す。

・・・・・・・・同じ桜の季節に、父は母を迎えに来たんだなぁ。

 

 

あれから一年。

忙しい仕事に埋没して時を忘れ、素敵な友人たちに囲まれて元気をもらい、なんとか最初の1年を乗り越えた。

きっとどこかで見守ってくれている父や母に心配をかけぬよう、これからも自分のため、そしてちょっとだけ (笑) 社会のため、大切な時間を使っていこうと思っています。

 

さて、明日の休みはお墓参りでも行ってこようかな。

・・・・・・・・雨らしいけど (爆笑)


盂蘭盆会

2011-08-14 23:13:15 | 家族

本日、4月に逝った母の新盆法要を行いました。

毎年毎年8月の 「お盆」 はやってくるわけですが、今年はちょっとだけ厳粛に (笑)

 

17年前に亡くなった父の新盆の際には、ご住職が家まで来てお経をあげてくださったのですが、今回の法要はお寺の本堂で合同の新盆法要となりました。 

数年前に大病を患ったご住職が、この暑い時期に何十件も個別訪問するのは大変だということもあるんですが、実は説法好きな (笑) ご住職のこと、一堂に会してくれるこの形の方が、一軒一軒回るよりもゆっくりと落ち着いて説法できるしね♪   ・・・・と、思ってみたり思ってみなかったり。

現在2代目となる住職の息子さんが修行中。

父子2人がハモりながらあげてくださるお経は、葬儀や納骨のときも思ったんですが、耳に心地よく・・・・結構気に入ってます (笑)

もちろん、お経の後の説法も絶好調 (爆)

 

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法要の前に兄たちと共にお墓参りに行きました。

クラクラするような暑さの中ですが、この時期のお墓はお花がいっぱいで、訪れる人もいっぱいで・・・・なんだか賑やか。

・・・・・みんなみんな、大好きな家族のもとに帰れたかな。

 

帰りがけに、白いシャツを着た兄の背中に、セミが1匹とまりました。 

もしかしたら・・・・・・・・。

 

 

 

一人のひとの死は悲しい

しかし、遺された我らが、そのことから何も学ばず

なにひとつ新しく生み出せないとすれば

それはもっと悲しい (浄土真宗)


帰っておいで

2011-07-31 14:15:52 | 家族

あの大震災からまもなく5ヶ月が経ちますが、まだまだ東北・北関東を中心に強めの余震を感じることが多いですね。  

そして7月前半は猛暑、後半は涼しかったり、豪雨だったりと天候も不順。  

日本は一体どうなっちゃったんでしょうか。

あの震災の爪痕の中、また激しい雨に見舞われて避難所に駆け込む人々のことを思うと、本当に心が痛みます。

 

8月のお盆を前に、行方不明者の家族たちが、供養を考え始めているそうですね。 

新盆を前に供養したいと思う気持ちと、見つかる前に葬儀を行う切なさ。

からっぽの骨箱に遺品を入れて埋葬だなんて・・・・・・・現代の日本でこんな悲しいことが起こるなんて・・・・・・・本当に、本当に思いませんでした。

 

*********

 

新盆の提灯は8月に入ったら飾るんですってね。

東京のお盆は7月なんですが、母は新潟、父は長野出身なので、お盆は子供のころから8月以外には考えられません。

夏休み、上越の祖母のもとで過ごした幼き日の想い出。

松林を抜け、砂浜に出ると、きらきら光る日本海が目の前に広がる風景。

あの夏らしい日々をふと思い出しました。

 

7月最後の休みである今日、早々に盆提灯を飾りました。

4ヶ月前に逝った母の、初めての里帰り。

 

 

ねえ、お母さん。

提灯の用意はできたよ。

お盆まで待たなくてもいいからさ、お父さんとお姉ちゃんを連れて、早く帰っておいで (笑)

 

そして。

みんな、みんな、大好きな家族のもとに帰っておいで!


スタートライン

2011-04-15 20:41:13 | 家族

坂本龍馬さん率いる海援隊・・・・・・ではなく、武田鉄矢さんをヴォーカルとする海援隊の楽曲の中に 『スタートライン』 という歌がある。

特別、武田さんのファンというわけではないが (失礼) 、母が転倒して大怪我を負った8年前から、私はこの曲のワンフレーズがどうしても忘れられない。

 

 今 私達に大切なものは 恋や夢を語り合う事じゃなく 一人ぼっちになる為のスタートライン

 

 ********

 

 平成23年4月13日。 午後10時13分。

母が入所する施設より電話が入った。 

「お母さんの容体が急変しました」

 

その時の私は、お風呂から上がって髪を乾かし終わり、冷蔵庫からビールを取り出そうかどうしようか迷っているところだった。

今思えば、ビールを飲んでなくて本当によかったと思う (笑)

その10分後、私は家を飛び出して車に飛び乗り、エンジンをかけた。 

 

母のいる場所へと続く高速道路は、もうその時間ともなるとガラガラである。

節電対策によって道路照明が消えている個所も多く、前後に車も走っていない高速道路は、なんだか山道を走っているような錯覚を覚えた。

家を出てから20分後、施設に併設する病院へ到着。

 

母は眠っているように見えた。

穏やかな顔だった。

『午後10時55分、・・・・・・・・・・・・』   ご臨終です、 と言ったのだろうか。 

よく聞き取れなかったが、不思議と涙は出てこなかった。

私は母の頭をなでながら、 『よく頑張ったね』 と声をかけた。

 

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和裁が得意だったお母さん。

童謡が好きだったお母さん。

旅行が好きだったお母さん。

トマトが嫌いだったお母さん。

12人兄妹の12番目に生まれ、12番目に逝ったお母さん。

8年かけて、私がひとりになるための準備をしてくれた頑張り屋のお母さん・・・・・・さようなら!


敬老の日 2008

2008-09-15 11:11:02 | 家族

自宅から離れた施設に入所している83歳の母ではあるが、住民票は未だに私と同じ場所にある。

そのため、敬老の日の案内はすべて私が受け取ることになるわけだが、今年もまたその時期がやってきた。

 

10年以上も前、まだ両親が敬老の日の対象となったばかりの頃は、市の財政も豊かだったのか、それとも老人の数が少なかったのか、全員に 「記念品」 、喜寿や米寿の年には、 「お祝金」 まであったと記憶しているのだが、ここ数年は 「消えもの」 のみである。 

しかも毎年変化なし(笑)    → 2006年    → 2007年

 

そうはいっても3年前からペースト食、2年前からは流動食になっている母のもとに、この 「消えもの」 を届けることもできず、しかたがないので (^^)v 頂くお弁当はすべて私がありがたく頂戴している \(^^)/   ←その顔文字、間違ってないか?

 

 

 

その母は去年の暮れ以来、鼻からの経管栄養を続けていたわけだが、半年が経過し、このまま鼻からのチューブで流動食を続けるより、身体に負担の少ない 『胃ろう』 を作った方がいいのではないかと、施設・病院側と話を進めていた。 

ところがその矢先、母が高熱を発し再度入院。

「またか!」 とヒヤッとしたわけだが、今回は 『蜂窩織炎(ほうかしきえん) 』 という感染症で抗生物質の投与を受けた結果、あっという間に治ってくれた。

 

用語解説(?!)

  ○ 胃ろう  :お腹から胃にあけた穴にチューブを取り付け、そこから水分や栄養補給するもの

  ○ 蜂窩織炎:皮膚の深いところから皮下脂肪組織にかけての細菌による化膿性炎症

 

そんなわけで、せっかく入院したことだし (爆)、この際だからついでに胃ろうの手術もどさくさに紛れて決行してしまおうということで、9月1日に手術を行った。

もちろん経過は順調で、それ以後母の鼻から生えていた (?) 管が消え、顔もすっきりした。 

しかも鼻から胃まで通っていたチューブが抜けたせいか、母の言葉がわずかながらも増えたような気もする。

 

胃に穴はあけたものの、状態が改善すれば口からの食事ももちろん可能ではある。

ただし嚥下機能が衰えているため誤嚥の心配が終始付きまとうということもあり、今後も口からの完全なる栄養補給は難しいと思う反面 「以前のように、頂いたお弁当を一緒に食べられる日がくればいいな」 と思ったりもしている。

 

 *******

 

そんな状況の中、なぜこの映画を見ようとしたのかはちょっと複雑すぎて説明不能なのだが、映画 『おくりびと』 を見てきた。 

モントリオール映画祭のグランプリ受賞作だそうである。

主演・本木雅弘。 監督は 『壬生義士伝』 の滝田洋二郎、音楽は 『崖の上のポニョ』 の久石譲である。

 

『おくりびと』 は、遺体を棺に納める 「納棺師」という職業をテーマにした映画であり、本木雅弘が演じるのは、チェロ奏者をリストラされた後、故郷の山形でちょっとした間違いから 「納棺師」 に転職してしまった (笑)青年の役。

重いテーマを美しい映像とやさしい音楽が包みこみ、館内に笑い声すら起きる不思議な映画であった。  

命のバトンが目に見える形で表現され、これは死をテーマにしているにもかかわらず、生きるための映画だと・・・・

・・・・強く感じた。  

見る前は気分的にちょっと微妙なものもあったのだが、今は【見てよかった】 と断言できる。 

人間って、やっぱり優しい生き物なんだよなぁ。  


母に歌う子守唄

2008-03-20 17:52:41 | 家族

春分の日です。

 

久しぶりに休みなので、父の墓参りでも行こうかと思っていたところ、今日は雨。

線香に火も点きにくいことだし、それより生きてる人間の方が大事だし(笑) ということで、今日は母のもとへ行くことにいたしました。 

最近は母の所へ行っても洗濯物を置いてそそくさと帰ってしまわざるを得ないような状況だったので、たまにはゆっくりとした時を過ごしたいとも思い・・・。

 

年末からいろいろなことが起こり、いろいろなことを考えさせられ、しかしながら母の生きる力によって、現在は療養病棟を経て、もともと住んでいた施設へ戻ってくることができました。 

・・・といっても経管によっての栄養補給はいかんともしがたく、体力的には相当衰えてしまいましたが、それでも家族が行けば 「ありがとう」 とつぶやき、一言二言の会話ができるようになっただけでも私にとっては嬉しいわけです。 

・・・究極的には生きていてくれるだけで。

 

幼い頃、母が寝る前の私にしてくれていたことが2つあります。

ひとつは本を読んでくれたこと。

もうひとつは童謡を歌ってくれたこと。

 

元気だった頃の母は、家事をしながらよく童謡を口ずさんでいました。 

ときには自分の母校の校歌も。 (←おかげで私は母の母校の校歌が歌えます-現・上越高等学校- 笑)

母がもうすこし元気だったころは、歌詞が書いてある本を覗き込みながら、私と一緒に童謡を歌うことが母の小さな楽しみでした。

 

今、私は母の耳元でひとり童謡を歌っています。 

母は一緒に声を合わせることはできなくなりましたが、嬉しそうな表情を見ると・・・私としては・・・なんだか嬉しいんだか悲しいんだかよく分かりません。

 

3月24日は父の命日。 

この父も 「まだこっちに来るんじゃない」 と母に厳命したのかもしれませんね。

あ、 「うるさい妻は当分くるな」 ということかも知れませんが。

【酒は美味いし、ねぇチャンは綺麗だ】 (←古っ! 多分知ってる人はいないだろう 笑)

 

ああ、やっぱりお彼岸中に墓参りも行かなきゃ。 

 

 

☆ タイトルはこの本からお借りいたしました。 自身の心情を揺さぶられつつ、母の枕元で(笑) 一気に読了。 

 

母に歌う子守唄 わたしの介護日誌 (朝日文庫 お 27-3)
クリエーター情報なし
朝日新聞社

敬老の日 2007

2007-09-17 16:03:34 | 家族

今日は敬老の日。

 

私の住む町でも、本日 「長寿をお祝いする会」 なるものが開かれており、82歳の母のもとにも招待状がきておりました。 

しかしながら、施設の御世話になっている母は出席が叶わないため、毎回私が会場よりお祝品やお弁当を受け取って母の元へ運ぶ・・・ということを続けていたのですが、昨年5月の誤嚥性肺炎から復活して以来、普通食が食べられなくなっておりますので、去年同様、今年のお弁当も私がありがたく・・・いただくことにいたしました (笑)

すまんのぉ、母。  美味しかったよ (爆)  

 

 

 

5人に1人が65歳という、世界に名だたる長寿国・日本。 

それはおめでたいことには違いないんですが、昨今の年金食いつぶし問題、横領問題、そのうえ、宙に浮いた年金が5,000万件・・・なんて聞くたびに、 「日本のお役人はナニをやってるのか!」 という憤りを覚えてしまいます。

 

そもそも、多額な年金を 「福祉の増進」 の大義名分のもとに、ごっそりつぎ込んで各地に作った豪華絢爛な保養施設が、ほとんど役に立たないどころか、多大な赤字を出し、格安で売却されるところなどまだいい方で、それを買い取る自治体や民間団体も見つからぬまま、廃屋になったり取り壊されたりする大いなる年金の無駄遣い。

また、自分の借金返済や、老後が不安だからという理由で、我々サラリーマンのささやかな給料から天引きされた年金を着服する公私混同なお役人サマが明らかになるたびに、「我々に長生きするな、とお上は言いなさるのかー」 と叫びたくなる敬老予備軍の私でありました(笑)  ←いや、笑い事ではないから。


82歳の誕生日

2007-06-10 20:35:25 | 家族

今日は母が入所している老健施設の運動会でした。

 

 

 

昨年5月22日、81歳の誕生日に肺炎で入院。 

食事が取れなくなり、鼻からの経管栄養になったものの、1ヶ月の入院を経て施設に戻ってからは、すこしづつ経口摂取のリハビリを続け、9/15には鼻の管を抜くことができました。 

それからはゆっくりゆっくりとペースト状の食べ物を口にいれ、1年後の今、さすがに体力は落ちたものの、3度目の復活をとげた母が、この運動会に出られたことは、私にとっても非常に嬉しく、感慨深いことであります。

 

60歳にして脳血栓で右半身が不自由になりながらも、懸命のリハビリで最初の復活。 

杖をついたり補助車を押したりして1人で外出も、通院もできるようになりました。 

父が亡くなってからは私の車で、遠出もしましたね。

 

ところが今から約5年前の冬、外出中に転倒。 

頭を強打し、急性硬膜下血腫で緊急入院。 

3ヶ月もの間、私が誰かも分からず、話も出来ず、もちろん動くことも叶わず、母も、そして私たち家族も本当に辛い日々を過ごしました。 

毎日会社帰りに病院へ通い、報われぬかも知れぬと思いながらも、耳元で母の好きな童謡を歌い続け、復活を願いましたっけ。 

そのときも鼻から経管を通しましたね。 

それから3ヶ月が経過した春、突然、本当に突然に言葉を話し、食べ物を食べ・・・その時、母は77歳にして2度目の復活を遂げたんです。 

 

あれから5年。 

今は身障1級+介護度5の車椅子生活ですが、まだまだ 『私の母』 として頑張ってくれています。

 

    

↑ 背中に 『介護魂』 を背負った熱き職員さん

 

あ、肝心の運動会は、 「玉いれ」 と 「ボール渡し」 に参加しました (カワイイなぁ♪ 笑) 

施設の運動会、学生のような活気ある運動会じゃありませんが、穏やかで優しい運動会です。 

唯一、施設職員の綱引きは・・・・マジでスゴイですが (笑)

 

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今、介護をめぐるいろいろな問題が取りざたされていますが、介護を受けるもの、そして家族を含め、直接介護に携わる全職員の地位と生活と志を、きちんと受け止めた問題の解決を・・・・切に願います。


敬老の日 2006

2006-09-18 12:36:52 | 家族

敬老の日・・・っていうとまだ9/15をイメージしてしまうのよね。 

 

昨日は、母のいる施設で、敬老の日イベントがあったもんで、様子を見に行ってまいりました。

去る5/21に肺炎で入院し、6/12に退院したものの、鼻から胃まで通した栄養チューブはなかなか抜くことができなかったんですが、9/15 (奇しくも旧:敬老の日) にようやく鼻からチューブを抜き、経口摂取に踏み切ることができました。

 

それまでは、チューブを鼻から入れたまま、プリンとかヨーグルトを口に入れ、もぐもぐトレーニング (?) をしていたのですが、これからは、すべての栄養を口からとるわけで。 

だから、しっかり量も食べてもらわないとね。

・・・まだまだペースト状のものばかりですが、これからは固形物も食べられるようになればいいな

 

毎年、市の敬老会からいただくお祝い品。お弁当もあるので、例年は、これを持って母のところへ行き、一緒に食べていたのですが、今年はそういうわけで無理のようです。 

・・・なので・・・私が食べてもいいんですかぁ