Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

しながわ宿場を通過する

2017-09-27 20:54:37 | お祭り・イベント

9月23日は、土曜かぶりの 「秋分の日」

もう少しで3連休だったのに、と思っている人も多かったと思いますが、9月24日 (日) は、もともとヤボ用が入っていたので、個人的には、まぁ、どうでもいいわけだ (こら)

 

さて、24日の13時過ぎ。

野暮用が一区切りついた私は横浜にいた。

ここから電車に乗れば、約一時間で自宅最寄りの駅へ着くのだが、この日は、本来乗るべきはずの「横須賀線」ではなく、「京急本線」 に乗った。

目的地は 「青物横丁」

実は、2013年まで断続的に (笑) 参加していた 「しながわ宿場まつり」 がこの日であることを、私は1か月も前から認識していたからだ。

 

参加していた頃は、パレードの終着地点に近い 「青物横丁」 で降りたことはない。

が、この日は、青物横丁から品川まで、約2.5キロの旧街道を、観光客として、歩いてみようと思ったのだ。

「もしかしたら、旧知の友人たちに会えるかもしれない」と、淡い期待を抱いていないといったらウソになるが、すでにこの時14時半、実現は限りなく低いであろうと思わざるを得ない。


 

 

「青物横丁」 到着後、まずは、土方副長が隊士募集で東帰した際に逗留したと記録されている 「釜屋」 跡 へ。

タイムスリップする先は、数年前のパレードか、はたまた150年前の幕末か (笑)

 

観光客であふれる旧街道をゆっくり、そしてキョロキョロしながら歩く。

残念ながら、江戸風俗の人はほとんど見かけない。


 

荏原神社近くの品川橋あたりまできて、ようやく 「まつり」 の余韻を感じることができた。

荏原神社で、よく撮影会 (笑) やったよなーと思いながらも、特に近づくこともせず、橋の上で小休止しつつ、生ビールを一杯 (笑)

 

数年ぶりに歩く旧街道は、なんだか 「空地」 と 「駐車場」 が目立つような気がする。

同時に、建築中・改築中の店や家も。

間近に見えるJR品川駅周辺には、すでに高層ビルが林立しておりますが、おひざ元のこの地にも、ひたひたと都市計画の波が押し寄せているのかもしれません。

 

間もなく北品川に着こうとしているあたりで、偶然か、はたまた必然だったのか、旧知の友人たちに出会えちゃいました~!! (歓喜!) 

ついついハイテンションになって、ベタベタと写真を撮ってもらったりしていましたが、後で考えれば、ちょっと恥ずかしい (笑)


 

そのままJR品川駅までトコトコ歩きつづけ・・・・・青物横丁から品川まで、約3キロ、品川宿場を通過。

懐かしくも楽しいウォーキングコースを完歩いたしましたが、はてさて、潮時はまだ遠いのでしょうかね?(謎)


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海苔の香りがたまらない 「品川巻」 だーい好き!

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地域の今・今年のひの

2017-05-16 20:30:15 | お祭り・イベント

5月になると、なぜかこの話題が増えるのは、なにかのDNAではないかと思われる新選組体質ってことでご容赦を (笑)

 

新選組が気になる存在となったのは、私が高校生の頃。

16~17歳と言えば、周囲はアイドルだったり、アーティストだったり、リアルな恋愛だったりと、華やかなる話題があふれるお年頃。

そんな中で、150年前の血なまぐさい世界に入れ込んでいるなどということはおくびにも出さず、深く静かに趣味の世界を極めていた私に、ある種の (笑) スポットがあたったのは、それから数十年が経過した2004年5月の事だった。

 

友人に誘われて行った 「第7回ひの新選組まつり」

・・・・・・この年はパレードに参加した友人の応援だったのだが、大雨の中の最悪コンディションパレードだったにもかかわらず、 「私も参加したい」 との気持ちが沸き上がり、翌年 「第8回」 に 「甲陽鎮撫隊士」 として初参加。

見ると参加は大違いを実感するほどの楽しさに、もう止められない。


その後 「第9回」 から 「第12回」 まで4年をかけて 「4番隊」 から 「1番隊」 まで、ヒラ隊士として順調に出世 (?) を繰り返し、上り詰めた満足感から 「第13回」 以降の参加は引退したものの、その後もなんだかんだと理由をつけて、5月の日野に足を運んだものだった。


2013年の 「第16回」 、残念なことに会社の研修とかぶって、日野の地に行くことができなかったことをきっかけに、その後はこの時期の日野から足が遠ざかってしまうのだが、5月になると、土方歳三の命日をきっかけに、日野や高幡不動の地を思い出してしまうわけだ。

 

そんな今年、やはりHPなどを見ている私は、ある情報をつかむことになる。

【第20回ひの新選組まつり  J:COMで生中継】


 

「おっ!」  と思った私、 J:COM の地域情報アプリ 「ど・ろーかる」 を、速攻で (笑) スマートフォンにダウンロードしちゃいました (爆笑)

お祭りの当日、実はわたくし午前中から所要ででかけていたんですが、11時にはアプリを立ち上げ、イヤフォーンを耳に、こっそり見入ってたりwww

 

11時から16時までの生中継の臨場感は、かつてのワクワク感を思い起こさせ、あたかも自分がその地にいるような感覚になり、とっても楽しかったわ。


「知識と情報は、わが身の生活を豊かにする」

・・・・・・・いや、こんな格言はないだろうけど (笑)


  

 

進化するひの新選組まつり、20年の歴史に乾杯っ!


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これぞバイブル!


 

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秋晴れの空の下

2013-10-01 19:19:58 | お祭り・イベント

かつて毎年参加していた 「ひの新選組まつり」 は、1番隊まで上り詰めたのちに2009年引退、そこから派生したかのごとくに、2007年から参加を始めた 「しながわ宿場まつり」 は、いろいろな行事に遮られて、ほぼ1年おきの参加であったのだが、場所が近くて便利だったこともあり、今年は2年ぶりに参加することができました。

 

それにしても近くて便利・・・というのは、諸刃の剣 (笑)

今年は、装束に着替える場所が駅近に変更になったため、 「10時頃までに着けばいいであろう」 とうっかり思ってしまったのが第一の敗因。

まぁ、2年ぶりだったので、カンも鈍っておったが w

・・・・・・・というか、その時間でも着付け場所、メーク場所が混んでいたのが以外だったわ。

正直、すんなり通過できるかと思っていたのに (汗)

 

パレード開始は12時だが、着替え場所と荷物置場が離れていたり、さらにありがたいことに人出も多く、パレードの出発場所までの移動も一苦労。

やっとスタート地点に着いたときは、既にスタート時間ぎりぎりであったのさ。

まぁ、実際に出発するまでには、それなりに時間がかかっていたので、問題がないといえばないのだが w (オイ)

 

さて。

今年の私は、  糸里    花君    君菊    若鶴    小楽 「色芸妓」 

ただし、芸妓といいつつ、なーんの芸もない (爆)

更にいうなら、色もない・・・・・ (哀)

 

 

 

まぁ、私の扮装がどーにもこーにもなのは置いといて (笑) 、周りを見ると、江戸時代の素敵な扮装をした人たちがいるわいるわ。

ちなみにこの 「しながわ宿場まつり」 の趣旨は、 『品川の伝統と文化遺産を若い世代に伝え、より一層の地域発展を目指す』 ことなのだが、ちらほら見受けられる品川の伝統とはちょいと外れたカンジの扮装もなぜか不思議に溶け込んで、野暮なツッコミはまったく不要 w

楽しい楽しい江戸時代の扮装パレードとなりました。

秋晴れの空の下、多くの観客の声援を受けながら、北品川から青物横丁までの旧東海道を、約2キロのパレード。

 

2年ぶりの参加であったにも関わらず、たくさんの友人知人に声をかけていただき、とっても嬉しく楽しい1日となりました。

ご参加の皆様、お疲れ様でした&ありがとうございました!

 

 

 

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祭とまつり

2013-05-12 22:13:13 | お祭り・イベント

遡ること10年近く前の2004年から、毎年絡み続けてきた 『ひの新選組まつり』

今年は、残念ながら仕事がらみの研修がかぶり、9年続いたひの通いの記録が途絶えることとなりました。

 

残念ではありますが、今回の研修を受けたうえで、某社内資格に受からないと 『給料減額』 という、ある種イジメのようなお達しが発せられているからには、逃げるわけにもいきますまい。

 

今年の新選組まつりは基本に戻って、パレードの前日 5/11 が隊長コンテスト、翌日 5/12 がパレード本番、その上、あの甲州街道を全面通行止めにするという快挙も成し遂げられた一味違うまつりだったようですね。

 

さて。

5月11日、それは土方歳三殿の命日である。

後ろ髪は高幡不動方面から思いっきり引っ張られながらも、仕方なく向かった研修先は神田であった。

神田の駅を降りて・・・・・驚いた。

ここって・・・神田祭の御神輿巡行ルートだったのかっ!

神田祭が行われていることは知っていたけれど、ルートがどこかなんて、まったく知らなかったもんだから・・・!

 

研修中にはお囃子の音や、たぶん御神輿が通過しているであろういなせな掛け声が外から聞こえ、まったくもって研修の内容が頭に残ることのない数時間であった。

休憩時間に外へ出た時に、偶然通りかかった御神輿を一基だけ撮影できましたが、これだけでも、神田に来た甲斐があったってもんだわ (笑)

 

  

 

研修終了後は東京駅へ。

 

 

明るくて綺麗になった東京駅丸の内側駅舎を通り抜け、JPタワーKITTEへ。

空中庭園から見た東京駅は、雨に洗われて艶々でした。

 

 

 

今年は新選組結成150年の節目の年。

「ここから新幹線に乗れば、あっという間に京都なんだなぁ・・・・」と、京のおばんざいをつまみながら、こっそり土方氏を偲ぶ私でございました (笑)

 

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不逞の輩 ~ 第15回ひの新選組まつり ~

2012-05-13 21:28:56 | お祭り・イベント

昨年、東日本大震災により中止となった 「ひの新選組まつり」

実際は、昨年秋に産業まつりの一環として、ちんまり行われてはいたわけだが、今年は恒例5月の第2土日の 「ひの新選組まつり」 が復活しました!

2年前にパレードへの参加は引退した私だが、なにしろ2004年から絡み続けてきたまつりなので、この時期になると自然と足が日野に向かってしまうわけですね。

そして今年も・・・・・・・・やっぱり私は日野にいたわけです (笑)

 

日野市観光協会のHPによると、今年は 「薄桜鬼」 をモチーフとした歴装隊も、午後の日野コースに参加するとのこと。

一味違ったパレードも楽しみであるが、多くの友人知人に会えるのも楽しみなので、私たちはその時間を狙って日野駅に向かうことにした。

パレードが日野駅前に到着する前、私たちは蕎麦屋でランチをとっていたわけだが、そのときたまたまログインしたツイッター画面に、目を疑うようなTLが流れてきた。

 

緊急のお知らせです。

13日 (日) 本日のひの新選組まつりは事情により午後12時以降のメイン会場での催しは全て中止となりました。

 

何が起こったのかはわからなかったものの、何かとてつもない事が起こったらしい。

日野駅前で、この件について告知をしていた実行委員の方に、何が起こったのかを聞いてみたら、 「市役所の方に不審な電話が掛かってきて、メイン会場の催しは中止になりました。 パレードもここ (日野駅前) まではきますが、ここで終了となります」 とのこと。

とっさに何かの 「脅迫電話」 であることは察知できたが、まさか・・・・ 爆破予告 だったとは。

 

*********

 

自分はメイン会場に行っていないので、その時の状況は知るべくもないが、警察官が出動し、その場にいた全員に退避命令が出たらしい。

この日まで、どれだけ多くの方々が準備に時間をかけてきたことか。

この日に向けて、どれだけ多くの方々がこの地に足を運んできたことか。

メイン会場に出店していた多くの店がどんな思いでその場から撤収をしたことか。

 

多くの企業努力、この場に足を運んできた人々、そしてこのパレードに参加していたすべての人たちの努力と希望と楽しみを踏みにじった一本の電話。

この卑劣極まりない行動は、士道不覚悟以外のなにものでもない。

捕まえて斬首・・・・・というわけにはいかないだろうが、せめて関係者が蒙った被害の損害賠償ぐらいはさせたいと、切に願う。

 

ところでパレードですが。

 

  

 

土方副長と近藤局長が、2人とも馬上の人だったのが、すごく新鮮で尚且つ感激しましたよ!

だって・・・・・・毎年副長は馬に乗っているのに、局長がその傍を歩いている構図が、なんだか可哀そうだったんだもん (笑)

 

パレードは縮小されてしまったけど、青空の下、たくさんの友人・知人たちにお会いすることも叶いました。

不逞の輩による脅迫などには屈しない、結束力ある新選組の底力は、日野の町も守ってくれましたね!   

やっぱりカッコいいっ!

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しながわ宿場は大賑わい

2011-09-27 07:15:27 | お祭り・イベント

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、つい先日までのぎらぎらとした夏の暑さはすっかり影を潜め、涼しい秋風を頬に感じる絶好のお祭り日和となりました。

参加する度に、好天率がUPしてきますね? ( 初回:土砂降り。 二回目:酷暑。)

今年は三連休中の開催であり、天気も先に書いたように絶好の行楽日和。

おかげさまで、しながわ宿場はパレードが遅々として進まないほどの (笑) 、すンごい人出となっておりましたー。

 

 

ということで、第21回しながわ宿場まつり・江戸風俗行列にまたまた参加してまいりました。

今年は3.11東日本大震災の影響だったのか、申込期間そのものが1ヶ月ずれ込んでいたのですが、 きっとこの1ヶ月の間に、実行委員会の方々がいろいろな努力をしていたのでしょうね。 

開催できたこと、この祭りのイベントを通して義援金の寄付が行われていること、そして関係したすべての方々のご尽力に感謝! です。

 

さて、今年の私が何に扮したかと申しますと・・・・    旅姿のかげろうお銀 鳥追い。

鳥追いとは、新年に新しい着物、日和下駄・編み笠姿で三味線などを弾きながら、鳥追い歌を歌って家々を回った女太夫ということですが、私は鳥追い歌を歌えないうえに、三味線も弾けません (爆笑) 

 

 

 

が・・・実は私、中学時代のクラブ活動が、 『ギター・マンドリン部』 でございましたので、弦楽器にまったく造詣がないわけではございません。  

入部のきっかけは学生にありがちな 『ギターが弾きたい』 だったんですが、当時はギター志願者が多すぎだったので、押しの弱い (ぇ) 私は、公式の場ではしぶしぶマンドリンを担当しておりました。  

まぁ、おかげさまで卒業までにはとりあえずなんでもこなせる便利な部員になってましたけどね。  

あ、技量は別ですよ? (笑)

ただし、今回渡された三味線は、弦が伸びきっていたうえに、ペグ (糸巻き) も機能しておりませんでしたので、物理的にも弾くことができませんでしたけどね。

 

そんなわけで選んだ役ではあったのですが、パレードが始まって少々後悔。 

持ちなれない三味線と笠は、両腕の筋肉疲労を呼び起こし、道半ばにして 『飛脚のように三味線を担ぎたい』 衝動に襲われる。 

私の隣には、同じく三味線を手にした、粋なお師匠さんがいらっしゃったわけだが、私ときたら粋もへったくれもありゃしない。

終点の品川寺にたどり着いた私は、休憩場所に上がりこむや否や駆けつけ三杯 (茶ですよ?) 、ほっと一息。 

 

さあ、ここから先がこのお祭りの真骨頂。 

たぶんこの時代行列に参加された方は、皆さんそうお思いなのではないかしら (笑)

お茶で喉を潤して、すっかり元気になった私は、毎年このお祭りで再会する友人知人たちと、おしゃべりしたり、写真を撮ったり、楽しい時間を共有しながら、今度は青物横丁から北品川に向かって歩き始める。

思い思いの扮装をした友人知人たちの姿は、まったく何の集団なのかさっぱりわからぬ混成チームだが、この日のために、独自の小道具を用意したり、即興のパフォーマンスを演じたりしながら、沿道の皆さんを楽しませ、なおかつ自分たちも盛り上がる。

 

 

相変わらず旧東海道・品川宿は大賑わいだ。

とってもとっても楽しい秋の1日。 

みなさんどうもありがとうございましたーー。

 

それにしても。 

パレード後のビールは美味すぎる (あはは)

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故郷に 向かって進む 五月雲

2011-05-20 21:04:32 | お祭り・イベント

史実と小説の世界を体感する府中ツアー、全行程・推定10キロ超 (笑) を歩ききった我々は、2011年4月にリニューアルオープンされたばかりの 「ホテル松本屋1725」 に到着。 

ちなみにこの 「1725」 は創業年とのことなので、このホテルはここ府中の宿場において280年以上の歴史をもつ宿ということになる。

 

   

 

ここでは、 「栗塚旭氏を囲む会」 に参加できない方々を対象に、即席サイン会が行われていたが、私はその後の会にも出席するので、冷たいお茶をお代わりしながら、周囲の方々と歓談しつつ、快い疲れを楽しんでいた。

 

 

 

ここから先は出席者の人数と、お店を提供してくださっている 「モナムール清風堂」 の会場の関係で、三部構成となっている。

囲む会を第一部、第二部に分け、第三部は 「土方歳三176回目の誕生日」

私は18時半から開催の第二部に出席なので、それまでの1時間半は、大国魂神社とくらやみ祭りを見学することにした。

 

 

前回の記事にも書いたとおり、今年のくらやみ祭りは神事のみだ。 

宝物殿には、毎年の例大祭で使われる神輿と、日本一と言われているくり抜き胴大太鼓が格納されていたのだが、実物を目の前にして、その大きさにしばし感動。 

でもやっぱり市中を練り歩く神輿と大太鼓が見たかったかな・・・・・。  

 

もちろん、神社の裏手も念入りに散策。

安政四年の初夏、若き日の土方歳三はこのくらやみ祭りと呼ばれる六社明神の祭礼の日に境内の森の中で・・・・・・。  

そうか・・・・・・。 (謎)

 

******

 

さて。 

囲む会の会場である 「モナムール清風堂」 に、開催時間の10分前に戻ってきた私。

そこで聞いた話によると、17時から始まった 「囲む会」 に、栗塚さんは現れなかったらしい。 

なんでも、ホテルで休養していたとか (あれれ)

それって・・・ 「囲む会」 じゃないじゃん ww

 

・・・・・・・ということなので、黒のジャケットに黒の帽子へお召し換えをした栗塚氏が登場したときには、素直に感激いたしました。 

(よかったわ、来てくれてw)

美味しいワインとサンドウィッチ、ケーキをいただきながら、 「燃えよ剣」 第一話を、発売されたばかりのDVDで鑑賞する。 

うわ、さっきみてきた大国魂神社の境内裏でこんなことを・・・・・! (どこ見てんだ)

 

 

その後の第三部は、第一部の 「DVD鑑賞&食事会」 に出席していた方々も合流し、総勢80名で 「土方歳三176回目の誕生日」 を祝う。

 

 

 

大きいバースデーケーキが登場したかと思うと、村瀬省吾氏のサックス生演奏をバックに、栗塚さんの素晴らしい歌声! 

ちなみに村瀬氏は、ひの新選組まつりの関係者に頼まれて、栗塚氏をここに招いてくれた大功労者ということであるが、その新選組まつりが中止になってしまったあとも、 『東日本大震災復興支援事業』 として 、 「燃えよ剣ツアー」 を開催していただいたことは、大変な英断だったのかもしれないが、非常に意義のあることだと思っている。

 

 

さて、栗塚さんが直々に (クリームまみれになりながら/笑) 切り分けてくださった歳三バースデーケーキもいただきまして♪

いえもう、幸せでございますとも (笑)

 

もちろんその後に行われたサイン会には、村瀬彰吾氏著作の本 「人間・土方歳三」 を購入して挑みましたよ。 

(この代金は、全額東日本大震災被災者への義援金になるそうです)

村瀬さんのサイン入りの本に、栗塚さんのサインもいただき、がっちりと握手!

サイン会の後半には、偶然にも土方歳三と同じ5月5日が誕生日の方のために、栗塚さんがサプライズで 「ハッピーバースデー」 を歌って差し上げたりで、場は大盛り上がりのままお開きを迎えることができました♪

ブラヴォー!

 

******

 

残念ながら翌日からの仕事に阻まれて、私の参加はここまでなのだが、実は翌日も翌々日も、まだまだ 『栗さんまつり』 は続くのでした・・・・・・ (笑)

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「燃えよ剣」 の世界

2011-05-14 06:05:21 | お祭り・イベント

2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響で早々に中止が決定された 「ひの新選組まつり」

今年は第14回になるはずだった。 

まぁ、私はといえばすでに隊士としてパレードに参加するのは卒業していたわけだが、それでも毎年からんでいたイベントが中止といわれれば、それはそれで若干寂しい。

そんな折にみつけたのが、 「日野宿本陣文書検討会」 のイベントだった。

 

5月5日 『栗塚旭氏と歩く 「燃えよ剣」 ツアー』 『栗塚旭氏を囲む会&土方歳三176回目の誕生日』

5月6日 『栗塚旭氏と石田村を歩く ~石田散薬製造体験~』

5月7日 『新選組ファンの集い ~宮古・東北チャリティイベント~ 栗塚旭氏トークショー』

うわー。  栗塚さんまつり (笑)  

栗塚さんといえば、昭和40年代に多くの新選組ドラマで土方歳三を演じた知る人ぞ知る俳優さんで、今なお熱烈なファンも多く、かく言う私も一度はお目にかかっておきたいと熱望していた俳優さんである。

3日間ぶっ続けで参加したいのはヤマヤマなんだが、6~7日は仕事で抜けられないため、5日のみ参加の申し込みをした私である。

 

******* 

 

さて。

5月5日、天気は曇り。

12:00 に南武線の西府駅に集合だったのだが、結構早く着いてしまった私は、駅構内のトイレへ。

と・・・・なんとここで、数日前に知り合ったばかりの友人に偶然お会いしたので (なんつーところで/笑) ご一緒に駅構内で受付を済ませ、集合場所の公園へと向かう。

 

 

当初の募集人数を大幅に上回る、約100人が集結した公園は、すでに熱気あふれる場所と化している。 

そこへ登場したのが、茶色のジャケットにハンチング姿の栗塚さんだ。

もちろん実際にお会いするのは初めてなのだが、長年 (笑) 「新選組血風録」 や 「燃えよ剣」 のビデオを見まくっていたので、初めてお会いしたような気がしない。 

そして、映像の中の栗塚 @ 歳三さんは、終始ムスッとしている役どころなのだが、実際の栗塚さんは、きさくで、ちょっぴり毒舌で (笑) 、とってもおちゃめな方でした♪

 

本日の行程は、司馬遼太郎さんの 「燃えよ剣」 冒頭部分で、歳三が六社明神の祭礼 (くらやみ祭) の日に、七里研之助らと喧嘩をするため、沖田総司と伴に分倍河原へ向かうコースに、四代目襲名野試合の場所や猿渡家、六社明神 (大国魂神社) を合せた特別コースだ。

私、新選組の史跡は京都から函館まで歩いているのだが、ここはまったくもって未踏の地なので楽しみ 楽しみ。

しかも栗塚さんと一緒に歩・・・・・・ (強制終了)

 

 

 

一里塚近くの用水路には、石田散薬の原料となる牛革草が密生しており、藤棚にはちょっと短めの (笑) 藤の花。

 

 

 

正光院は、 「燃えよ剣」 の中で、沖田と土方が入り組んだ地図を地面に描きながら作戦を練った場所。 

ツアーの中でも、ご住職のお話を聞いた後に墓地の一角で再現 (笑)

 

緑豊かな遊歩道の道すがら、たまたま栗塚氏の隣に位置した私は、桜の話やらつつじの話やら藤の話やら、そこそこ風流な世間話をしながら、分倍橋へと向かう。 (ちょっと幸せ/笑) 

それにしても栗塚さん、参加者たちが 「足が痛い~」 と弱音を吐く中、足取りも軽やかに前へ後ろへと動き回っている。 

とてもとても御年70歳を超えているとは思えぬ素晴らしい剣客、いえ、健脚ぶりである。 

 

 

 

 

分倍橋は思ったより小さな橋で、イメージしていた小説の面影はない。 

この橋の下に回りこんで、土手を駆け上がる・・・・なんて今ではちょっと無理 (笑)

 

 

この分倍河原古戦場跡 (新田川分梅公園) にて小休止後、しょうぶ池横を通過して少し歩くと、ツアーは下河原緑道にはいる。 

この下河原緑道、昭和51年まで国鉄・下河原線が走っていた跡地だそうです。 

まっすぐな線路が目にうかぶわぁ。 

ああ、線路があった時代も見てみたかったなぁ。 (←テツかよ)

そしてそこはユーミンの世界。  

♪中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場 

ここから先、私の頭の中ではこの曲がリフレイン (笑)

 

武蔵野線の下をくぐり、府中競馬場をかすめると、妙光院そして、天然理心流が四代目襲名披露の野試合を行った日吉神社。

歳三が佐絵を夜這いに行った (^^;; 猿渡家の前を通って、六社明神 (大国魂神社)

 

 

 

今年のくらやみまつりは神事のみで神輿渡御はなく、唐櫃の渡御が行われるそうですが、例年のおまつりを見ていない私には違いがわからない。

だけど、うわさに聞いていた大きな太鼓が市内を練り歩く姿は、ちょっと見てみたかったなぁ。

 

*******

 

ちなみにこの日歩いた距離は19,114歩 (ケータイについてる歩数計調べ/笑)

どう考えても4キロの行程じゃないな、これ (爆笑)

さあ、この後は 『栗塚氏を囲む会&土方歳三176回目の誕生日』 ですが・・・・次回につづきます (笑)

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横須賀 story

2011-01-23 20:17:47 | お祭り・イベント

知らない人も多いかも知れないが、山○百恵さんのアルバムの中に、 『I came from 横須賀』 という曲がある。
この曲の冒頭に、 「横須賀から、汐入、追浜、金沢八景、金沢文庫 潮風の中走っていくの 赤い電車は白い線」 という歌詞があるのだが、横須賀に向かう電車に乗りながら、私の頭の中ではこの曲が refrain していた (笑)

その日、何をしに横須賀に向かっていたかというと・・・・・・・
よこすか龍馬会主催の、 「おりょうさん慰霊祭&提灯行列」 に参加するためである。

一昨年の秋、京都で 「坂本龍馬提灯行列&慰霊祭」 に参加した私は、その妻であったおりょうさんが、龍馬の眠る京都から遠く離れた横須賀の地で眠っているという事実を知ったときに、いつか横須賀のおりょうさんの元へも行ってみたいと思っていた。
そんな折に誘っていただいた慰霊祭なので、ちょっとばっかし忙しい時期ではあったのだが、とにかくこの機会に慰霊祭に参加しようと画策し、この日を迎えることができたというわけである。
しかも、ネイビーバーガーと戦艦三笠のオプショナルツアー付きだ (なに)

*********

1月15日、関東は寒波来襲を思わせる寒い日であった。 
どうやら北の国では大雪が降っているらしい。
にもかかわらず、龍馬さんの慰霊祭に着ていた着物を、おりょうさんの慰霊祭にも着て行きたいと思いついた私は、ヒートテック&つま先をばっさり切り落としたタイツ+裏起毛の足袋という防寒アイテムを身につけて家を出た。 

横須賀、どぶ板通りに近い汐入駅で待ち合わせた同好の士は5人だったのだが、雪降る国に遠征していた2名が、新幹線の大幅遅延に巻き込まれ、残念ながらオプショナルツアーに参加できず。 
至極残念ではあるが、残り3人で観光開始。 
まずは・・・・・・・



どどどどどーーん。



ケチャップとマスタードはお好みで♪
これがまた手のひらぐらいの大きさなんだけど、美味しい! 
200グラムを超えるパテは、いかにも 「肉」 食べてますって感じ。 
これでどうやら1,300円らしいんだけど、私たちは 「よこすかグルメきっぷ」 を購入してるので、超お値打格安価格♪

さあ、その後は 「坂の上の雲」 でおなじみの、 「戦艦三笠」 見学ですよ。
おおお、見えてきた見えてきた。 お出迎えしてくれているのは、東郷平八郎さんですね。



船に乗船するには桟橋をわたって・・・・・と。 あれ。
地面に埋まってるのね、戦艦三笠 (笑)
桟橋がないわ ww
横浜の氷川丸みたいなのを想像してました。 
甲板の上は風が吹きっさらしですっごく寒かったんだけど、下から見上げた帆柱にはちょっと感動。



といいつつ、休憩所にいた時間がやたらに長かったのはご愛嬌。

さて、ここから先は本来のコース (?) に戻って・・・・。
おりょうさん提灯行列のスタートは、横須賀中央駅からほど近い、 「おりょう会館」
地図が読めると豪語したくせに、横須賀中央駅から反対方向に先導してしまったことは、もちろんここだけの話だ (激爆)

この 「おりょう会館」 の周辺が彼女の終焉の地ということであり、ここには、おりょうさんの銅像と、終焉の地碑が建っている。 

    

慶応3年11月に坂本龍馬が近江屋で暗殺されたあと、妻であったおりょうさんは龍馬の生家がある高知へも行っているのだが、結局は半年足らずで高知を後にし、その後は各地を転々としていたようである。
明治7年に横浜の料亭で働いていた頃、近江の商人であった西村松兵衛と再婚。 
翌年、この横須賀に移り住んだのだが、横須賀での生活は、毎日酒浸りの荒んだ生活であったと言われているようである。 
龍馬亡きあとも龍馬の姿を追い求めていたのでしょうね・・・・・。

夕暮れから夕闇に変わる時刻、行列は明かりを灯した提灯を手に、おりょうさんの墓がある信楽寺 (しんぎょうじ) を目指して歩を進める。
京急大津駅にほど近いこのお寺まで、駅にして3駅。 
4~5キロあったのだろうか。 
永嶋家赤門や春日神社で、大津探訪くらぶの方の説明を聞きつつ、約1時間で信楽寺に到着。

本堂に入ると、正面の阿弥陀如来が目に入る。 
そして堂内左手には、よこすか龍馬会寄贈の龍馬とおりょうの木彫像が座し、その横には月琴が置かれている。



列席者着座ののち、ご住職の読経、ご焼香、関係する皆様のご挨拶と慰霊祭は進み、その後に、おりょうさんが愛したとされる月琴の演奏が始まった。
私は中学生のころに、 「ギター・マンドリン部」 で、マンドリンを弾いていたことがあるのだが、なんだかその音色に似ているような気がした。  
・・・・そんなこともあって、妙に懐かしい気分にもなり、生でこの音色を聴けたことがとっても嬉しかった私である。 
その後は、京都の酢屋さんから送られたお酒で献杯。 お腹の中で燗がつきますね (笑)

おくり名、 「昭龍院閑月珠光大姉」 
龍馬の思いを胸に生き抜いたおりょうさん、66年の人生に合掌。

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世田谷にて萩を想う

2010-11-02 07:29:34 | お祭り・イベント

安政6年10月27日は、長州の吉田松陰が江戸にて処刑された日だそうです。

彼は長州 (現在の山口県) の萩で開かれていた松下村塾の主宰者として、幕末維新の指導者となる人材を多く育て上げたことは周知のとおりですが、当時過激とも思われたその思想が幕府に警戒され、老中暗殺計画をきっかけに江戸へ送致、伝馬町の獄にて斬首されました。

その遺体は一度は小塚原回向院に埋葬されましたが、文久3年には、長州藩藩主の別邸のあった世田谷区若林に墓地をつくり、門下生であった高杉晋作、伊藤博文等の手によって改葬され、明治15年にはその地に吉田松陰を祀る「松陰神社」 が創建されました。

 

*****

 

さて、平成22年10月24日、私はここ世田谷の「松陰神社」 を初めて訪れていた。

萩の松陰神社は訪れているのに、世田谷の松陰神社には(近いくせに) 訪れていないことがずっと気にかかっていたので、毎年この時期に行われている 「萩・世田谷幕末維新祭り」 の見学とともに、松陰先生のお墓参りに行こうと思ったのである。

 

三軒茶屋から東急世田谷線に乗りかえ、松陰神社駅下車。

 

 

 

降りるとすぐに商店街で、この奥に松陰神社がある。 

まずは、本殿の前で行われている桐蔭太鼓のパフォーマンスを眺めながら参拝し、そのまま本殿脇にある松下村塾を見にいく。

 

    

 

萩の松下村塾を模して作られたものですが、ホンモノはこちら ↓ (2005年9月撮影)

 

   

 

その後、松陰先生のお墓に向かい、こちらへもお参り。

お墓の前に立つ鳥居は、墓所修復の際に木戸孝允が奉納したものであり、墓地へ向かう道の端にずらっと並んでいる32基の石灯籠は、毛利元昭公(長州藩最後の藩主の長男) をはじめ、伊藤博文や山県有朋らの門下生や縁故者が奉納したものだそうです。

 

   

 

今年で19回目を数える幕末維新祭りは、区役所周辺の町づくりの一環から、商店街が中心となって萩の松陰神社のある街と交流しようというアイデアがきっかけだったそうである。

なるほど、お祭りの場に行くと、萩の観光物産展が盛況ですな。 

会津の物産展もやってるけどww

 

この維新祭りのプログラムの中にある、 「幕末の志士+騎兵隊パレード」には、友人が参加しておりましたので、これも楽しみにしておりました。 

午後1時に世田谷区役所からスタートすると聞いていたので、間に合うようにスタート地点を目指したつもりだったのに、会津物産展で会津のソース串カツを買い食い(しかも行列) したり、 “しょういん君” と写真撮ったりしてたもんで、パレード出発地点に着いたらスタート時間ぎりぎりでした (爆)

 

    

 

市役所をスタートした隊列は、世田谷通りから松陰神社通り商店街を抜けつつ、松陰神社を目指す。 

奇兵隊は大砲などもごろごろと引っ張り、途中で空砲も鳴らしたりしてて迫力満点。  

隊列は、松陰先生や高杉晋作、久坂玄瑞を先頭に、中岡慎太郎や坂本龍馬、奇兵隊、その後には長州の真っ只中なのに新選組♪

 

   

 

いや、会津も長州も仲良くしなくちゃってことですよね。  

われらは日本人じゃき!

 

パレードおっかけて走り回った後は、長州の物産展で萩の 「ちょんまげビール」 を友人に奢ってもらって一気飲み (笑) >美味かったー&ご馳走さまー

もちろんお土産には 「会津中将」 の純米酒を買って帰りました(やっぱりね)

 

*****

 

山口県の観光パンフレットもたくさん貰っちゃったし、もう一度萩へ行きたくなってきちゃったぞーーー! (笑)

 

   

 

(左) 萩往還公園に立つ高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像。  (右) 私が大好きな風景、萩の鍵曲がり

----2005年9月撮影---- 

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