安政6年10月27日は、長州の吉田松陰が江戸にて処刑された日だそうです。
彼は長州 (現在の山口県) の萩で開かれていた松下村塾の主宰者として、幕末維新の指導者となる人材を多く育て上げたことは周知のとおりですが、当時過激とも思われたその思想が幕府に警戒され、老中暗殺計画をきっかけに江戸へ送致、伝馬町の獄にて斬首されました。
その遺体は一度は小塚原回向院に埋葬されましたが、文久3年には、長州藩藩主の別邸のあった世田谷区若林に墓地をつくり、門下生であった高杉晋作、伊藤博文等の手によって改葬され、明治15年にはその地に吉田松陰を祀る「松陰神社」 が創建されました。
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さて、平成22年10月24日、私はここ世田谷の「松陰神社」 を初めて訪れていた。
萩の松陰神社は訪れているのに、世田谷の松陰神社には(近いくせに) 訪れていないことがずっと気にかかっていたので、毎年この時期に行われている 「萩・世田谷幕末維新祭り」 の見学とともに、松陰先生のお墓参りに行こうと思ったのである。
三軒茶屋から東急世田谷線に乗りかえ、松陰神社駅下車。
降りるとすぐに商店街で、この奥に松陰神社がある。
まずは、本殿の前で行われている桐蔭太鼓のパフォーマンスを眺めながら参拝し、そのまま本殿脇にある松下村塾を見にいく。
萩の松下村塾を模して作られたものですが、ホンモノはこちら ↓ (2005年9月撮影)
その後、松陰先生のお墓に向かい、こちらへもお参り。
お墓の前に立つ鳥居は、墓所修復の際に木戸孝允が奉納したものであり、墓地へ向かう道の端にずらっと並んでいる32基の石灯籠は、毛利元昭公(長州藩最後の藩主の長男) をはじめ、伊藤博文や山県有朋らの門下生や縁故者が奉納したものだそうです。
今年で19回目を数える幕末維新祭りは、区役所周辺の町づくりの一環から、商店街が中心となって萩の松陰神社のある街と交流しようというアイデアがきっかけだったそうである。
なるほど、お祭りの場に行くと、萩の観光物産展が盛況ですな。
会津の物産展もやってるけどww
この維新祭りのプログラムの中にある、 「幕末の志士+騎兵隊パレード」には、友人が参加しておりましたので、これも楽しみにしておりました。
午後1時に世田谷区役所からスタートすると聞いていたので、間に合うようにスタート地点を目指したつもりだったのに、会津物産展で会津のソース串カツを買い食い(しかも行列) したり、 “しょういん君” と写真撮ったりしてたもんで、パレード出発地点に着いたらスタート時間ぎりぎりでした (爆)
市役所をスタートした隊列は、世田谷通りから松陰神社通り商店街を抜けつつ、松陰神社を目指す。
奇兵隊は大砲などもごろごろと引っ張り、途中で空砲も鳴らしたりしてて迫力満点。
隊列は、松陰先生や高杉晋作、久坂玄瑞を先頭に、中岡慎太郎や坂本龍馬、奇兵隊、その後には長州の真っ只中なのに新選組♪
いや、会津も長州も仲良くしなくちゃってことですよね。
われらは日本人じゃき!
パレードおっかけて走り回った後は、長州の物産展で萩の 「ちょんまげビール」 を友人に奢ってもらって一気飲み (笑) >美味かったー&ご馳走さまー
もちろんお土産には 「会津中将」 の純米酒を買って帰りました(やっぱりね)
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山口県の観光パンフレットもたくさん貰っちゃったし、もう一度萩へ行きたくなってきちゃったぞーーー! (笑)
(左) 萩往還公園に立つ高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像。 (右) 私が大好きな風景、萩の鍵曲がり
----2005年9月撮影----