Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

Last one

2013-12-28 20:50:35 | 雑記

「12月28日から1月5日まで、冬季休業となっております」

・・・・・・私のデスクにある電話機が親機であるがため、長期休暇前の留守録メッセージの入力が、暗黙の裡にワタシの仕事になっている。

まぁそんなわけで、今ウチの会社に電話を入れると、もれなくワタクシの声を聞くことができます~。 (そんな情報はいらん)

 

さて。

昨日27日は 「仕事納め」 & 「忘年会」 でした。

一昨年はふぐ料理、昨年は一見さんお断りの寿司屋だったので、今年はトリュフにフォアグラでフルコースかと思いきや・・・・・・近所の居酒屋に逆戻り (笑)

 

  

  

お歴々の出席もない今年の忘年会は、とことん振り切れてて面白かったけどねw

 

******************

 

例年のことではあるけれど、 「仕事納め」 で仕事が納まることはまずありませんので、やはり今年も12月30日が有志による Last の仕事。

 

来年は健康第一、遊びが第二。

空いた時間に仕事する・・・・・ぐらいが理想なんだけどな (笑)

 

今年も一年間、更新もまばらな当昼寝 blog をご贔屓いただきまして、誠にありがとうございました。

それでは皆様、よいお年をお迎え下さい!

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いちご煮

2013-12-15 11:04:44 | グルメレポ

先日の旅行記のラストに、黄金かもめの玉子の話を載せましたが、もうひとつの逸品 「いちご煮」 のお話も。

 

いちご煮・・・・・と聞くと、関東の私は、果物のイチゴを想像しちゃうわけですが、これは果物ではなく、 「うにとあわびの潮汁」

本来、青森県八戸からその周辺の三陸海岸の伝統料理だそうです。

白濁したスープの中のうにが、朝もやの中にきらめく野いちごの果実に見えたことが、名前の由来になったそう。

 

実はワタクシ、この 「いちご煮」 の存在は、東銀座にある 「いわて銀河プラザ」 (岩手県のアンテナショップ) で知っていたのですが、お吸い物に千円以上・・・・に二の足を踏み (笑) 、まだ食べたことがなかったんです。

が、このお吸い物で炊き込みご飯を作ると 「料亭の味」 だというウワサを聞き、炊き込みご飯好きな私といたしましては、ぜひとも次の機会には購入しよう! と鼻息を荒くしていたのですが・・・・・今回の気仙沼旅行で・・・見つけてしまいました (笑)

 

まぁ、気仙沼で八戸名物を購入するのは邪道ではありますが、それはそれw

気仙沼のフカヒレやホルモンとともに、さっくり購入。

 

 

 

洗った2合のお米の中に、いちご煮をスープもろとも投入。

水加減をテキトーに調整して、炊飯器のスイッチオン♪

・・・・・・これだけ (笑)

 

   

 

いやこれ、マジ美味いわ!

北三陸へ行ったらまた買うぞー。

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黄金文化! 一関~平泉

2013-12-08 18:04:17 | 旅行

11月晦日の日没は早い。

気仙沼の駅を後にした18:00過ぎは、すでに闇の中である。

その闇の中を進む列車にごとごと揺られていたら・・・・・・いつの間にか爆睡 (笑)

ハッと気が付けば、すでに一関であった。

 

さて。

毎度お楽しみ、宿泊地での夕食は、宿から数分の場所にある、 三彩館 ふじせい で。

世界遺産の勉強はしていないが、一関の食文化の勉強には余念がない私が、なにより先に目を付けた場所である。

というわけで、独自のもち食文化を持つ一関でいただいた名物料理は、 「ひと口もち膳・雑煮付」

 

 

 

・・・・・・正月を目の前にして、すでに雑煮をいただいてしまいました (笑)

 

中央に配された甘酢の大根おろしをアクセントに、ひと口サイズの餅が8種。

御雑煮の具は、鶏肉をベースに大根や人参がたっぷり入り、この出汁がまたすっごく美味しい。

これぞまさしく 「餅は餅屋」

 

*************************

 

一夜明けると、すでに師走。

あー、もうあと1ヶ月で今年も終わりかー、などという感傷にはまったく浸ることもなく、ホテルの朝食バイキング場へ向かう。

まぁ普通のバイキングではあるのだが、サラダやスクランブルエッグ、パンやコーヒーをとった挙句に、郷土料理の 「はっと汁」 も美味しく頂く (笑)

 

平成23年6月に世界文化遺産に登録された平泉。

まぁ、勉強不足の私があれやこれや言っても信憑性がありませんので、詳細な説明はさっくり省略 (汗)

 

 

平泉駅から、メインストリートをまっすぐ10分ほど歩き、毛越寺 (もうつうじ) の山門を目の前にした右手に広がるのが、観自在王院跡。

 

 

 

奥州藤原氏二代基衡 (もとひら) の奥様による造営。

極楽浄土を表現した浄土庭園なので、中心には池がございます。

去る10月12日には、この場所に野外特設舞台が設えられ、中村勘九郎さん、七之助さん主演で 「平泉歌舞伎」 が、開催されたそうですよ。

演目に 「橋弁慶」 が含まれていたのも、なるほどですね。

 

毛越寺の山門をくぐると、やはり中央に池が配された浄土庭園がある大寺院があります。

 

 

 

ここは、藤原氏二代基衡 (もとひら) が造営に着手、三代秀衡 (ひでひら) が完成させたもので、全国の浄土庭園の中でも最大規模なものだそうです。

ここはJR東日本のポスターで使われた場所なんですが、吉永さんの隣に己の写真を並べるのは酷なので、風景のみ (笑)

 

 

 

毛越寺より、400円で乗り放題の巡回バス 「るんるん」 を使って、中尊寺へ向かう。

樹齢300~400年と言われる杉並木の表参道・月見坂を、ゆっくりと歩いて本堂へ。

 

 

 

堂内には、藤原清衡 (きよひら) が平和への願いを込めて中尊寺を造営した経緯が、 「子供向け」 に説明してあったのですが、ワタクシはそれを読んでようやく理解できたという為体でございました (爆)

 

奥州藤原氏の黄金文化を象徴する中尊寺金色堂。

中尊寺参詣のハイライト (笑) ですが、撮影禁止のため、覆堂を外側より撮影。

 

 

藤原氏三代が眠るこの場所に、魔物が寄り付かぬよう、黄金の光を充満させたとのことですね。

松尾芭蕉は、藤原氏が滅亡してから500年後にこの金色堂を訪れ、 「五月雨の降り残してや光堂」 という名句を残していますが、本当に美しかったです。

 

 

 

もう紅葉は見られまいと思っていたけど、こんな晩秋の風景も綺麗ですね。

 

 

*************

 

おまけの逸品。

岩手県大船渡が誇る銘菓・かもめの玉子の黄金バージョン、 「黄金かもめの玉子」

 

 

 

外側は金粉がかかってキラキラ、中身は栗がまるごと一粒。 うまうまでした (笑)

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復幸応援! 陸前高田~気仙沼

2013-12-07 11:05:24 | 旅行

12月に入り、全社一斉に土日祝日が休みになっております。 (決定したのは11月)

もともと私は今の会社に 「休日出勤要員」 として入社いたしましたので、入社当時の公休は 「年末年始」 だけだったのよ (笑)

その代り当時は振替休日も多く、平日休みがたくさんあったので、振替休日だけで9月に長期休暇を取り、軽く3~4泊の旅行もできたのですが・・・長い年月を経て、会社全体の夏休みが設定され、日曜と祝日が休みになり、そしてとうとう土曜日まで休みになりました。

まったくもって昔日の感あり。

まぁ、そんな訳で、土曜日の振替休日が取れなくなったのは、旅行好きの私にすると、実はちょっとした痛手でもあったりいたします。

 

さて。

振り返りますと、今年の私は、結構遠い所に旅行に行っておりますが、なんとすべて 「1泊2日」 でした (笑)

ゴールデンウィークの 「盛岡・宮古」

夏休みの 「大歩危・高知」

そして・・・・・・・・11月30日から1泊2日で、 「平泉・気仙沼」

実はもっと早い時期 (10月頃) に行くつもりだったんですが、東北の紅葉時期とかぶって宿がとれず、しかも前述の経緯から平日の休みも取れず・・・・。 

そんなこんなで、日程を吟味する時間はたくさんあったのに、世界遺産に選ばれている平泉の歴史にはほとんど触れることなく、調べたのは相も変わらず 「食い物」 ばかり (爆)

まぁいつものことですが (笑)

 

 

 ↑ 新幹線の中で食した駅弁

 

新幹線で一関経由、ドラゴンレールで知られる大船渡線に乗り換えて、気仙沼に降り立ったのは、11月30日の正午をちょっと過ぎた時間でした。

気仙沼の駅は、気仙沼港から直線距離で約1.5キロ。

高台にある気仙沼駅周辺は、あの日の津波をギリギリ避けることができたわけですが、目と鼻の先ともいえる気仙沼港周辺は、今なお、家の土台のみが累々と続いております。

 

 

 

気仙沼で半日レンタカーを借り、まずは陸前高田へ。

陸前高田の海岸線に存在していた7万本のクロマツやアカマツからなる美しい松林 「高田松原」 は、あの日・・・ほぼすべての松がなぎ倒され、一瞬にしてその姿を変えてしまいました。

白砂青松の景勝地に、たった一本だけ倒れずに残った 「奇跡の一本松」 も、塩害で枯死してしまいましたが、現在は復興を象徴するモニュメントとして蘇っています。

 

  

 

周囲は復興に向けた工事が急ピッチで進んでいますが、道の駅・高田松原跡や、一本松の後ろのユースホステル跡は、今もそのときの姿を露わにしています。

 

 

 

震災遺構の保存も今後問題になっていくのかも知れませんね。

この大震災を目の前にした私達の世代は、この未曽有の大津波を生涯忘れることはないと思いますが、これから何十年先の次の世代にどう受け継ぐかが問題なんですから。

過去の津波を現在に伝える石碑も三陸には数多く残っているのに、悲劇は繰り返されてしまいました。

我々も未来に向けて、何かを発信しなければいけないのだけど・・・考えても考えても今の私には分かりません。

 

********************

 

この日の宿は一関なので、大船渡線の列車時刻から逆算すると、沿岸部での滞在時間は5時間強。

既にお昼はとっくに過ぎておりますが、陸前高田から気仙沼に戻る途中の県道沿いで、ランチを頂きに 「復幸マルシェ」「お食事処 塩田」 に寄ることにいたします。

私は 「三色海鮮丼」 、友人は 「ハーモニカ煮定食」 を・・・・・・って、なにそれ?? 

お店の女将さんに聞いたところ、 「ハーモニカ」 というのは、メカジキの背びれを煮付けた気仙沼の逸品で、なにやら、某TV番組で紹介されて以来品薄らしい。

時間をかけて煮付けたハーモニカの味は絶品だったらしく、食した友人は骨までしゃぶっておりましたw

 

 

                                          ↑ 食べる前の写真、撮り忘れましたw

 

お客さんの流れもちょっと途絶えた中途半端な時間だったため、店主ご夫妻と、居合わせたお客さんを交え、あれこれ話しつつもすっかり長居してしまいましたが、とっても貴重な時間となりました。

 

震災の1年後にオープンになった 「復幸マルシェ」

この地区も現在復興土地区画整理事業で盛り土対象地区になっているため、来年にはちょっとだけ場所を移転したうえで、営業を続けるそうです。

この復幸マルシェから数百メートルの鹿折唐桑駅 (休止中) 前は、あの日の大津波で打ち上げられた大型漁船 「第18共徳丸」 があった場所ですが、保存か解体かを慎重に協議した結果、今年の10月末に解体され、今はもうありません。

 

 

 

その後は気仙沼港前の 「お魚いちば」 や 「復興屋台村」 「気仙沼復興商店街」  に寄って・・・・・激しく食料を買いあさった (爆) 後、一路一関へ向かう我々でした。

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