今日はうちの奥さん とも子の誕生日である 61歳になった
とも子とはロスアンジェルスの昔の知人宅 コネリンがちょうどシアトルから転って居候していた時に知り合った
コネリンはその時30歳過ぎていたにも関わらず”文無し” まともな仕事らしきものも無かった
コネリンはラケット一本持っていれば結構ハッピーであったから何の将来の計画もなかった そんな中知り合ったわけだ
そして同居が始まりただ失いたくなかっただけで結婚 そして生活が始まった
コネリンは自分がファミリーを作るような一般的な結婚生活ができないのも充分知っていたし憧れも無かった
それが結婚したのである
その後は生活のために知人たちとのお付き合いもなくキッチンヘルパーからテニスのインストラクターまで何でも最低賃金であったが働いていた
そんなあやふやな結婚 それが今年で37年を向かえる
これは一重にうちの奥さん とも子のお陰である
その彼女が今日で61歳になった
誕生日だからといって何もするわけでもなく 何のプレゼントも渡すわけでもないが”感謝”の気持ちはいっぱいであるーーーーー
いままでず〜と一緒にいたからこれからもず〜と一緒にいるだろうね
とも子が61歳になった!!
数日前に知人から頂いた写真と
とも子とはロスアンジェルスの昔の知人宅 コネリンがちょうどシアトルから転って居候していた時に知り合った
コネリンはその時30歳過ぎていたにも関わらず”文無し” まともな仕事らしきものも無かった
コネリンはラケット一本持っていれば結構ハッピーであったから何の将来の計画もなかった そんな中知り合ったわけだ
そして同居が始まりただ失いたくなかっただけで結婚 そして生活が始まった
コネリンは自分がファミリーを作るような一般的な結婚生活ができないのも充分知っていたし憧れも無かった
それが結婚したのである
その後は生活のために知人たちとのお付き合いもなくキッチンヘルパーからテニスのインストラクターまで何でも最低賃金であったが働いていた
そんなあやふやな結婚 それが今年で37年を向かえる
これは一重にうちの奥さん とも子のお陰である
その彼女が今日で61歳になった
誕生日だからといって何もするわけでもなく 何のプレゼントも渡すわけでもないが”感謝”の気持ちはいっぱいであるーーーーー
いままでず〜と一緒にいたからこれからもず〜と一緒にいるだろうね
とも子が61歳になった!!
数日前に知人から頂いた写真と