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竹富島ぶらぶら 2014.11.20-11.23
← 竹富島の地図
「ホテルはいむるぶし」を後に、小浜島から石垣港経由で11時に竹富島に到着。
隆起サンゴ礁で出来た周囲9kmの小さな島で人口は365人。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/45/95241a4c3b61602741c425870f4d691a.jpg)
(左・右)どこまでも澄み切ったコバルトブルーの海 カイジ浜
早速、星砂の浜として有名なカイジ浜に向かう。星砂は、実は砂ではなく原生生物である有孔虫の殻だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/14/95b7aee2ccd161cb50abf7d91801b1dc.jpg)
(左)指先にいくつかの星砂(実は有孔虫の殻)、わかりますか? (右)11月とはいえ結構暑い日差しの中、星砂探しに夢中
浜辺の砂にそっと指を押し付け、指先についた砂の中に星形の砂を見つけるというのがその見つけ方と言う。早速やってみると1mmにも満たない小さな星形の砂を発見。しばし夢中で星砂探しに取り組む。
← カイジ浜の近く、遠浅の風光明媚なコンドイビーチ
星砂探しの後は、島の集落のある中央に戻り、竹富観光センターの水牛車で玻座間西集落の観光に出かける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ad/6365c1e238108f1c23524b3d7275720a.jpg)
(左)竹富島の重要伝統的建造物保存地区を中心とする地図 (右)水牛車観光の無料記念写真(大判は有料)
ここ竹富島では、昔ながらの町並みや文化を保存しようとする意識が非常に高く、1986(昭和61)年「竹富島憲章」を制定し、集落全体を木造赤瓦の民家と白砂が撒かれた道という沖縄古来の姿で保存している。この結果、町並みが「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/54/2df3197ba49d0e3ad8bfb8af2e341dfa.jpg)
(左)赤瓦屋根と白砂の道、色とりどりの花の中を進む。 (中・右)屋根の上や石積塀には様々なシーサーが。
水牛車は、そんな集落の間をゆっくりと、時には生理現象で立ち止まりながら進んでいく。衛生面から白砂には定期的に消毒薬を撒いているとか。
沖縄を代表する民謡「安里屋ユンタ」。竹富島はその主人公である安里屋クヤマの生誕の地であることから、由布島でもここ竹富島でも水牛車ではこの民謡が三線の音と共に御者によって披露される。
(左・中)水牛車の御者が、三線片手に「安里屋ユンタ」を披露。天井の歌詞を見ながら乗客も合いの手を。 (右)安里屋クヤマの生誕の跡地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/26/d06577d3dae236363a63a5b42ca2c2bd.jpg)
(左)水牛車観光の跡の記念撮影 (右)水牛車観光は2社競合、水牛たちの休息場
玻座間西集落のほぼ中心にある赤山公園に「なごみの塔」がある。「重要伝統的建造物群保存地区」の赤瓦の集落を一望するのに絶好の塔である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/3a/c5f60d7188bf1a6e7c56124c3e18c035.jpg)
(左)赤山公園の「なごみの塔」 (中)昇降の厳しい塔だが赤瓦の集落群を一望できる。 (右)なごみの塔から見た「重要伝統的建造物群保存地区」の風景
しかし、高さはさほどないが、階段の斜度が60度、かつ人ひとりやっと通れる幅で、階段の奥行短く、段差がきついため、昇りはまだしも降りる時に少し勇気が要る代物。大人二人がやっと立てる段上からの眺望はなかなかのものである。
自由昼食の後は、出発まで保存地区の中を散策する。
島内には28か所の御嶽(オン=通説では古代集落の跡地)が存在し、信仰の対象となっている。特に竹富島の始祖と云われる6人の親神を祀った御獄は六山(ムーヤマ)と呼ばれ、各種の神事の行われる最も重要な拝所とされている。
竹富島の血縁者は必ず六山の氏子に所属すると言われているが、折しも西塘御嶽では年配のご夫婦がひざまずいて熱心にお参りをされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/9c/ac75a2818e9d823ff3c507c7d6f3dfae.jpg)
(左・右)島の御嶽の一つ「世持御嶽(ユームチオン)」 琉球王府の村番所跡と記されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/fd/509aacca5bf09a08e74aaf206b61018d.jpg)
(左・右)島の御嶽の一つ「西塘御嶽(ニシトーオン)」1500年代に竹富島のカイジに役所を置いて八重山全域を統治した西塘の屋敷跡、のち墓所
竹富島観光を終え、15時再び船で10分の石垣島に戻り、帰りの飛行機までの間、石垣島を散策する。
竹富島ぶらぶら 2014.11.20-11.23
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「ホテルはいむるぶし」を後に、小浜島から石垣港経由で11時に竹富島に到着。
隆起サンゴ礁で出来た周囲9kmの小さな島で人口は365人。
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(左・右)どこまでも澄み切ったコバルトブルーの海 カイジ浜
早速、星砂の浜として有名なカイジ浜に向かう。星砂は、実は砂ではなく原生生物である有孔虫の殻だそうだ。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/14/95b7aee2ccd161cb50abf7d91801b1dc.jpg)
(左)指先にいくつかの星砂(実は有孔虫の殻)、わかりますか? (右)11月とはいえ結構暑い日差しの中、星砂探しに夢中
浜辺の砂にそっと指を押し付け、指先についた砂の中に星形の砂を見つけるというのがその見つけ方と言う。早速やってみると1mmにも満たない小さな星形の砂を発見。しばし夢中で星砂探しに取り組む。
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星砂探しの後は、島の集落のある中央に戻り、竹富観光センターの水牛車で玻座間西集落の観光に出かける。
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(左)竹富島の重要伝統的建造物保存地区を中心とする地図 (右)水牛車観光の無料記念写真(大判は有料)
ここ竹富島では、昔ながらの町並みや文化を保存しようとする意識が非常に高く、1986(昭和61)年「竹富島憲章」を制定し、集落全体を木造赤瓦の民家と白砂が撒かれた道という沖縄古来の姿で保存している。この結果、町並みが「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。
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(左)赤瓦屋根と白砂の道、色とりどりの花の中を進む。 (中・右)屋根の上や石積塀には様々なシーサーが。
水牛車は、そんな集落の間をゆっくりと、時には生理現象で立ち止まりながら進んでいく。衛生面から白砂には定期的に消毒薬を撒いているとか。
沖縄を代表する民謡「安里屋ユンタ」。竹富島はその主人公である安里屋クヤマの生誕の地であることから、由布島でもここ竹富島でも水牛車ではこの民謡が三線の音と共に御者によって披露される。
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(左・中)水牛車の御者が、三線片手に「安里屋ユンタ」を披露。天井の歌詞を見ながら乗客も合いの手を。 (右)安里屋クヤマの生誕の跡地
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/26/d06577d3dae236363a63a5b42ca2c2bd.jpg)
(左)水牛車観光の跡の記念撮影 (右)水牛車観光は2社競合、水牛たちの休息場
玻座間西集落のほぼ中心にある赤山公園に「なごみの塔」がある。「重要伝統的建造物群保存地区」の赤瓦の集落を一望するのに絶好の塔である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/80/3cdc289c6a6a4e4e4ebf7ea528deda08.jpg)
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(左)赤山公園の「なごみの塔」 (中)昇降の厳しい塔だが赤瓦の集落群を一望できる。 (右)なごみの塔から見た「重要伝統的建造物群保存地区」の風景
しかし、高さはさほどないが、階段の斜度が60度、かつ人ひとりやっと通れる幅で、階段の奥行短く、段差がきついため、昇りはまだしも降りる時に少し勇気が要る代物。大人二人がやっと立てる段上からの眺望はなかなかのものである。
自由昼食の後は、出発まで保存地区の中を散策する。
島内には28か所の御嶽(オン=通説では古代集落の跡地)が存在し、信仰の対象となっている。特に竹富島の始祖と云われる6人の親神を祀った御獄は六山(ムーヤマ)と呼ばれ、各種の神事の行われる最も重要な拝所とされている。
竹富島の血縁者は必ず六山の氏子に所属すると言われているが、折しも西塘御嶽では年配のご夫婦がひざまずいて熱心にお参りをされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/02/d5742d3c8e3d00ea15d7d6d7767e4134.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/9c/ac75a2818e9d823ff3c507c7d6f3dfae.jpg)
(左・右)島の御嶽の一つ「世持御嶽(ユームチオン)」 琉球王府の村番所跡と記されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e9/cd9c91d1d4ae75ae0bfe426e52fd8b0c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/fd/509aacca5bf09a08e74aaf206b61018d.jpg)
(左・右)島の御嶽の一つ「西塘御嶽(ニシトーオン)」1500年代に竹富島のカイジに役所を置いて八重山全域を統治した西塘の屋敷跡、のち墓所
竹富島観光を終え、15時再び船で10分の石垣島に戻り、帰りの飛行機までの間、石垣島を散策する。
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