東北関東大震災の被災者の方々にお見舞申しあげます。
また、亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を表します。
(写真はクリックで拡大します)
ガウディの街で出会ったダッチワイフと花嫁 -バルセローナ- 1990.9.14~16
モンジェイックの丘からの眺望(Wikipediaより)
カタルーニャの首都バルセローナ。アントニオ・ガウディと出会える街。2年後のオリンピック開催とあって街は活気に溢れ槌音があちこちで響いている。
宿舎はホテル・リッツ。昔は最も権威あるマタドールが正装してこのホテルから闘牛場に向かったという。その由緒あるホテルで夕食ということになったが、お隣の宴会場では結婚披露宴があって、しかも金曜の夜、深夜までランバダの軽快な音楽と歓声がその熱気を伝えていた。
今回の宿舎「ホテル・リッツ」(左)とそのダイニングルーム(右)
土曜日の朝のグエル公園。先にこの街を訪れた会社の女性から見聞きした夢とお伽の世界がそこにある。本当は86本らしいが「百本柱の空間」、セラミックベンチの広場等、楽しい雰囲気が醸し出されている。
(左)グエル公園の御伽の国のような家 (右)百本柱の空間
市内に一際高くそびえる聖家族教会。規模と気の遠くなるような年月と時代を超えた技術の融合。1882年ビヤールが着手し、1891年ガウデイが引き継ぎ、彼の死後(1926)も彼の残した設計図に基づいて建設中の教会である。
(左)晩年市電事故で死んだアントニオ・ガウディ (右)延々と工事の続く聖家族教会
しかし、ガウディらしさを素直に伝えるのはCasa MilaやCasa Batlloであるように思える。彼の作品に多用される爬虫類は、カタルーニャ地方に伝わる宗教と密接に関係していて、まさに曲線の魔術師、アブストラクト彫刻の極致である。それは結局、光と影のおりなす紋様の世界のようにも思える。
(左)カサ・バトリョ(ガウディが改築、屋根が特徴的)(右)カサ・ミラ(ガウディ設計、直線のない建物)
モンジェイックの丘に登り、整備が進むオリンピックスタジアムや世界3大美港のバルセローナ港を見物の後、ミラ邸の隣のレストランで昼食となった。ちなみに、パンにトマトペーストを塗ったpan con tomate(パ・アン・トマケット)、イカの墨煮、パエーリャ、デザートはcrema catalana(カタルーニャ風カスタードプリン)がこの時のメニュー。
2年後に迫ったオリンピックのメインスタジアム建設現場
午後は自由行動。ポルトガルのファドに続き、各国文化の第2段はフラメンコ。夕刻ショーレストラン前に集合までの間、S氏とランブラス通りを散策する。旧市街地のある店でミロ・デザインのTシャツ買おうということになった。1着2000円位と記憶するが、4着買うから1着おまけにしろと粘る。敵も負けじと売上伝票を持ってきて、皆に正札で売っていると対抗。お互いに意地の突っ張り合いが続く。そこでもう一枚買うから1着おまけにしろと言うと先方もやっと妥協。言い値で買わないのはS氏も私も、関西系の企業風土がなせるわざか。
(左)バルセローナの目抜き通り「ランブラス通り」 (右)タブラオでのフラメンコ観賞
バルセローナの今回のタブラオは、マドリードのそれに比べるといささか質が落ちる。田舎芝居のようなフラメンコであったが、それでも会場は「オレー!」で沸いている。初めて見る時程の感激はないが、それでも血沸き肉踊るものである。
夜の街に繰り出した花嫁一行、ダッチワイフで大騒ぎ
フラメンコの余韻を楽しみつつランブラス通りをホテルに戻る途中、若い女の子達がお喋りしながら一人の花嫁姿の女性を取り囲むように賑やかにやって来る。どうやら結婚披露宴を脱出してきたようだ。別の女の子のグループが今度はビニール製のダッチワイフを持って駆け足で花嫁の方に近づいて来る。一人の子が花嫁の腰にダッチワイフの足を絡ませ、キャッキャ言って大騒ぎ。小生が近づくと花嫁を指差して「結婚ほやほやなの!」と言う。小生の「ダッチワイフとかい?」の一言に又もやキャッキャと大笑い。
土曜の夜はこれから。一日を二日楽しむスペインの人達。お休みなさい!
また、亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を表します。
(写真はクリックで拡大します)
ガウディの街で出会ったダッチワイフと花嫁 -バルセローナ- 1990.9.14~16
モンジェイックの丘からの眺望(Wikipediaより)
カタルーニャの首都バルセローナ。アントニオ・ガウディと出会える街。2年後のオリンピック開催とあって街は活気に溢れ槌音があちこちで響いている。
宿舎はホテル・リッツ。昔は最も権威あるマタドールが正装してこのホテルから闘牛場に向かったという。その由緒あるホテルで夕食ということになったが、お隣の宴会場では結婚披露宴があって、しかも金曜の夜、深夜までランバダの軽快な音楽と歓声がその熱気を伝えていた。
今回の宿舎「ホテル・リッツ」(左)とそのダイニングルーム(右)
土曜日の朝のグエル公園。先にこの街を訪れた会社の女性から見聞きした夢とお伽の世界がそこにある。本当は86本らしいが「百本柱の空間」、セラミックベンチの広場等、楽しい雰囲気が醸し出されている。
(左)グエル公園の御伽の国のような家 (右)百本柱の空間
市内に一際高くそびえる聖家族教会。規模と気の遠くなるような年月と時代を超えた技術の融合。1882年ビヤールが着手し、1891年ガウデイが引き継ぎ、彼の死後(1926)も彼の残した設計図に基づいて建設中の教会である。
(左)晩年市電事故で死んだアントニオ・ガウディ (右)延々と工事の続く聖家族教会
しかし、ガウディらしさを素直に伝えるのはCasa MilaやCasa Batlloであるように思える。彼の作品に多用される爬虫類は、カタルーニャ地方に伝わる宗教と密接に関係していて、まさに曲線の魔術師、アブストラクト彫刻の極致である。それは結局、光と影のおりなす紋様の世界のようにも思える。
(左)カサ・バトリョ(ガウディが改築、屋根が特徴的)(右)カサ・ミラ(ガウディ設計、直線のない建物)
モンジェイックの丘に登り、整備が進むオリンピックスタジアムや世界3大美港のバルセローナ港を見物の後、ミラ邸の隣のレストランで昼食となった。ちなみに、パンにトマトペーストを塗ったpan con tomate(パ・アン・トマケット)、イカの墨煮、パエーリャ、デザートはcrema catalana(カタルーニャ風カスタードプリン)がこの時のメニュー。
2年後に迫ったオリンピックのメインスタジアム建設現場
午後は自由行動。ポルトガルのファドに続き、各国文化の第2段はフラメンコ。夕刻ショーレストラン前に集合までの間、S氏とランブラス通りを散策する。旧市街地のある店でミロ・デザインのTシャツ買おうということになった。1着2000円位と記憶するが、4着買うから1着おまけにしろと粘る。敵も負けじと売上伝票を持ってきて、皆に正札で売っていると対抗。お互いに意地の突っ張り合いが続く。そこでもう一枚買うから1着おまけにしろと言うと先方もやっと妥協。言い値で買わないのはS氏も私も、関西系の企業風土がなせるわざか。
(左)バルセローナの目抜き通り「ランブラス通り」 (右)タブラオでのフラメンコ観賞
バルセローナの今回のタブラオは、マドリードのそれに比べるといささか質が落ちる。田舎芝居のようなフラメンコであったが、それでも会場は「オレー!」で沸いている。初めて見る時程の感激はないが、それでも血沸き肉踊るものである。
夜の街に繰り出した花嫁一行、ダッチワイフで大騒ぎ
フラメンコの余韻を楽しみつつランブラス通りをホテルに戻る途中、若い女の子達がお喋りしながら一人の花嫁姿の女性を取り囲むように賑やかにやって来る。どうやら結婚披露宴を脱出してきたようだ。別の女の子のグループが今度はビニール製のダッチワイフを持って駆け足で花嫁の方に近づいて来る。一人の子が花嫁の腰にダッチワイフの足を絡ませ、キャッキャ言って大騒ぎ。小生が近づくと花嫁を指差して「結婚ほやほやなの!」と言う。小生の「ダッチワイフとかい?」の一言に又もやキャッキャと大笑い。
土曜の夜はこれから。一日を二日楽しむスペインの人達。お休みなさい!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます