スケルトンハウス‐きまぐれCafe

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書写山へ-もみじまつり

2015-11-28 07:39:31 | 日記・エッセイ・コラム

 加西市在住の義姉夫婦と姫路の書写山圓教寺に行きました。(2015.11.22.SUN)

  11月21日から23日の3日間、圓教寺で『もみじまつり』が行われるとのことで、一に紅葉、二に普段拝観できない圓教寺の公開宝物を見ることを目的として訪れました。

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 21日(土)は「天高く…」の言葉通りの快晴でしたが、22日(日)は降水確率50%の曇天、23日は曇りのち雨との天気予報だったのでヤキモキしていましたが、現地に着くと日差しがある多少曇り気味の天候となり、一安心しました。

 義姉夫婦とは御立町のサイゼリアで待ち合わせしたのですが、三連休の中日で、白鷺城を訪れる人が多かったのか、山陽道方面から南下する自動車が多く、姫路市内は各所で渋滞の様相を呈していました。
 サイゼリア御立店で早めの昼食を済ませ、書写山の麓にあるロープウェイ書写駅傍の山陽自動車道高架下に広がる駐車場(約277台収容)に駐車しました。

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 ロープウェイは神姫バスが運行しており、従来は乗車券にあるようにゴンドラに虹を描いていましたが、「官兵衛くん」と「しろまるひめ」が姫路市のイメージキャラクターとして制定されると、夫々がゴンドラに描かれてきたようです。なお、NHK大河ドラマでスタートした“ひめじ官兵衛プロジェクト”は今年1月一杯で終了し、姫路市の今後のPRは「しろまるひめ」にバトンタッチされることとなりました。

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 ロープウェイを降りて少し歩くと公園の傍に志納所があり、ここで入山料(志納金)500円(中学生以下は無料)を支払います。

 「書寫山圓教寺」は天台宗別格本山で『西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)』の二十七番札所あるとともに、江戸時代に『西国三十三所』に倣って、この「書寫山圓教寺」に始まり「法華山一乗寺」に終わる、播磨国(兵庫県南西部)にある観音霊場「播磨西国三十三カ所霊場」でもあります。

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 志納所から摩尼殿(本殿)までは、西国三十三観音像を配置した参道を約1キロ、15~20分の登りの山道を歩きます。途中、志納所から10分程の位置にある仁王門へ至る途中、姫路市内の西側一面、海までをも見渡せる絶景を眺望できるところがあります。この日は曇り勝ちでかなり靄っており、十分な眺望を得ることができませんでした。

 摩尼殿(本殿)に到着すると本殿に腰を下ろし、紅葉をたっぷりと楽しみました。途中“十妙院”で狩野永納の襖絵を、金剛堂で天井絵を(いずれも国指定重要文化財)、更に姫路城主であった本多家の廟屋(兵庫県指定重要文化財)では5棟ある廟屋(びょうおく)の扉が開け放たれており、立派な五輪塔のお墓を観ることができました。

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 摩尼殿(本殿)では『西国二十七番』、ご本尊の『六臂如意輪観世音菩薩』のご朱印をいただきました。

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 各所での紅葉を楽しみながら、伽藍内を散策しました。中でも「三つの堂」はハリウッドをはじめとする映画やTVドラマなどのロケ地として有名です。

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 “三つの堂”は大講堂(だいこうどう)・食堂(じきどう)・常行堂(じょうぎょうどう)がコの字型に並び、広場を構成しています。この食堂で大講堂と根本堂(=食堂)のご朱印をいただきました。

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 大講堂の左手にある『弁慶の鏡井戸』を経由して奥之院の開山堂へ行きました。圓教寺開山の性空上人をまつるお堂です。江戸初期に建てられたお堂をじっくりと見物する間にご朱印をいただきました。

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 お堂の軒下の四隅には左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻があり、南側の二体は見ることができますが、北側は見ることができません。そのうち西北隅(お堂に向かって右奥)の一つが屋根の重さに耐えかねて逃げ出したと言う有名な伝説があります。

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 伽藍を一通り見て廻ると早くも夕刻となっており、小腹が空いたので、摩尼殿(本殿)下の“はづき茶屋”で焼餅を買って空腹を満たしました。

 ロープウェイで下山し、帰路での姫路市内の大手前ではすっかり日は暮れ、ライトアップされた白鷺城がその麗姿を浮かび上がらせていました。

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 ところで、私は天台宗の本山は比叡山延暦寺だと思っていましたが、ここ書寫山圓教寺も「別格本山」とされています。「別格本山」とはどういうことでしょうか。

・神代の昔、素盞嗚命(すさのうのみこと)が山頂に降り立ち、一宿したという故事があるからなのか。
 「書寫(しょしゃ)」は「素盞(すさ)」に由来していると云われている。
・606年(推古天皇14年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩(約3.6k㎡)を賜り斑鳩(いかるが)と命名したという史実がありますが、この伝承において、書写山の頂上から岩を投げ、落ちたところを中心とした範囲を与えるといわれ、岩を投げたと伝えられている地だからだろうか。

などと考えてしまいました。

 さて、私の妄想は兎も角として、「別格本山」とはなんでしょうか。仏教においては、その宗派等によって異なりますが、「総本山→(大本山)→別格本山→本山」の順があり、それぞれが傘下の末寺までを重複して総括するとのことです。

 書写山圓教寺は西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称されました。その関係上、総本山に次ぐ総本山並みの修行の場という意味で「別格本山」とされたのではないかと思い直しました。


【関係サイト】

 ○ 姫路市書写山ロープウェイ

 ○ 姫路市HP 姫路市キャラクター名鑑

 ○ 天台宗総本山 比叡山延暦寺

 ○ 天台宗別格本山 書寫山圓教寺

 ○ 天台宗別格本山 角磐山大山寺




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