スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

gooブログで文章の左側にサムネイル画像を貼り付ける

2014-12-27 08:14:22 | デジタル・インターネット

 gooブログに引っ越ししたのが11月1日。OCNブログ人と違いも多く、途惑う日々です。

 ある日、小さな画像を文章の左側に表示させる方法が分からず、困ってしまいました。いつものように誰に尋ねるでもなくあれこれ触っていて、その方法が分かりました。

 単に、文章の左にカーソルを置いてサムネイル画像を添付すると、画像の最下端右側から文章が始まるようになってしまいます。



 どうすれば、サムネイル画像にキチンと回り込んだ状態にすることができるのか、さんざん悩み、あれこれとやってみました。最終的な考え方として、画像を中央に設定するには、編集画面にあるメニューの中央設定ボタンを押せばいいので、もしかすると、左寄せボタンを押せばいいのではないかと思いつき、やってみました。

 サムネイル画像の上端から文章を始めるには、一旦文章の左側にサムネイル画像を貼り付けておき、
①貼り付けた画像をクリック
②左寄せボタンをクリック
の処理をしてやれば、画像の上端右側から文章が記述されるようになります。



 できてみれば何ということもない単純なことでした。
 このサムネイル画像は少し小さ過ぎるので、次は画像の右側に文章が回り込む、少し大き目の画像を貼り付ける方法考えてみたいと思います。また、文章を回り込ませないで、横スクロールバーが出ない、少し小さ目の画像をページ中央に貼り付ける方法についても探究したいと思います。



【関連記事】

 ○ gooブログで貼付け画像の大きさ調整

 ○ gooブログで小さ目画像のセンター貼付け







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平荘湖/兵庫県加古川市平荘町池尻

2014-12-20 19:29:30 | 日記・エッセイ・コラム

「30年近く前になるかな?お父さんがよく連れて行ってくれた。加古川の山中の水辺と広場は覚えているけど、そこにいってみたい!」

 女房の言ですが、それは平荘湖だろうと当てを付けて行きました。(2014/4/14/MON)

01_heisoko_Map

 ただの人造湖で、特に何かがあるわけではないだろうと思っていましたが、平荘湖について少し調べ、行ってみると、結構奥深いものがあるものだと思いました。

02_IMGP3461_2

 平荘湖は、加古川市平荘町と東神吉町に跨る人工湖で、東播工業地帯に工業用水を安定供給するために築かれ、1966年(昭和41年)5月完工。
 旧、又平新田(又部新田)村、弁天池、升田池、5か所の灌漑用溜池、4か所の墓地、30余基の古墳が水没しているとのことです。

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 弁天池があった弁財天社は、現在、平荘湖の南岸、第一ダムの西詰にある管理棟の傍に移設されています。

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 古墳をみつける都度、その場を訪ね、丘をよじ登ってそこからの風景などを楽しみながら、湖の外周路をゆっくり歩き、一周してみました。湖の周り全体には桜の樹が多く、桜の季節に来るのが最高のように思えました。

08_IMGP3510_2

 湖の外周路は一周5km。ウォーキングやジョギングをしている人が多く、3月中旬には駅伝も開催されているとのことです。

 湖の浅瀬でヌートリアの親子が寛いでいました。

09_P1030533

 第二次世界大戦中、この地域でも毛皮を目的に輸入・飼育されていたものが、その後野生化し、定着しているようです。

 ヌートリアは丈夫で育てやすく、柔らかい上質な毛皮が安価に入手できるため、第二次世界大戦頃には軍隊の防寒服用として世界各国で飼育されていました。
 日本では1939年にフランスから150頭が輸入され、軍隊の「勝利」にかけて「沼狸(しょうり)」と呼ばれ、飼育が奨励されました。1944年頃には全国で4万頭が飼育されていたようです。


【関係サイト】

 ○ 加古川観光協会

 ○ 神戸観光壁紙写真集





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最古の子午線標識

2014-12-13 07:50:49 | 日記・エッセイ・コラム

 神戸市西区の史跡などを調べていて、最古の子午線標識があることを知りました。それは、西区平野町黒田にあり、1910年(明治43年)、教育勅語煥発二十周年記念事業として、明石郡の小学校の教師一同が、私費で日本標準時子午線の石碑を、東経135度線が通るこの地と明石市相生町の二か所に建てたものです。いずれもまだ保存されているとのことで、確認しに行きました。(2014/4/16/WED)

<神戸市西区平野町黒田>

 西区平野町黒田の場所は明確には示されていなかったので、少し不安でした。

 その所在は、県道83号線、神姫バス24系統(西神中央駅-明石駅 印路・中野経由)黒田バス停から100m程北東方向へ道なりに進んだ、角地にありました。

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                             (左手がバス道-県道83号線、右の地道は明石川へ)

 石柱の正面には「大日本中央標準時子午線通過地識標」、裏面には「爲教育勅語煥発二十周年記念建」と記されています。


<明石市天文町2丁目>

 もう一つ、明石に残されている石柱は、その所在が明確に示されています。
 人丸交差点を150m余り南下すると大蔵交番があり、その敷地内角にあります。

04okurakoban-Map

05IMGP3597

 明石警察署大蔵交番の建物は、警察にしてはお茶目な、天文科学館に似せたような建物です。

06IMGP3601

 この場所からは、天文科学館の時計塔を望むことができます。

07IMGP3602

【関係サイト】

 ○ 神戸まるごと田園ミュージアム構想-平野町 子午線標柱

 ○ 明石市HP 明石のたからもの2-子午線標識


【関連記事】

 ○ 日本の“ヘソ”を訪ねて



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衆議院の解散名

2014-12-06 07:31:16 | 社会・経済

 どうやら古くから、衆議院の解散には名前が付けられてきたようです。ネーミングは主にマスコミが行ってきたのではないかと思います。新生日本(戦後に成立した日本国憲法下のわが国)においては、今回を含めて24回(うち1回は解散ではなく任期満了による総選挙)の解散・総選挙がなされ、その解散全てに名前が付けられています。

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 今回の解散については、安部晋三総理大臣はオバマ米国大統領の真似をして、“正義は吾に在り”をアピールする目的で、政権の経済政策の是非を問うべく『アベノミクス解散』と自ら名付けています。裏返せば、アベノミクス以外のことを取り上げられたくないと考えているようです。「集団的自衛権」、「原発」、「新たな貧困層の創出」、「女性活用」、「少子化対策」などの問題から国民の目を逸らすために、財務バランスを中心とした経済政策・「三本の矢」の成否に目を向けさせたいとの魂胆ではないでしょうか。

 これに対して甘利明大臣は『この道しかない解散』、野党の維新の党の江田憲司共同代表は『国民そっちのけの解散』としています。
 幾人かの識者や著名人もそれぞれにネーミングしているようです。月刊WiLL編集長の花田紀凱(はなだかずよし)氏は『野党殲滅解散』、政治評論家の有馬晴海(ありまはるみ)氏は『勝てるとき解散』、作曲家のすぎやまこういち氏はドラクエを捩って『勇者が国を思い踏み切った解散』、直木賞作家の黒川博行氏は『迎合・棚上げ解散』などとしています。中でもUSAカリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏や桜美林大学教授・かつて朝日新聞コラムニストを務めた早野透(はやのとおる)氏が名付けた『いまのうち解散』は“言いえて妙”と言えるのではないでしょうか。

 この命名の意図するところは、「消費税率引き上げ、原発再稼働など世論を分ける問題を抱えたまま、2年後はどうなっているか分からないので、これらが大きく問題化していない、選挙戦に勝てる見込みがある今のうちに解散総選挙を実施して、今後4年間の過半数を獲得しよう。」と考えているのではないかと思うとのこと。
 そして、この「いまのうち解散」という名は様々な社会で、多くの人々に支持されているようです。

 マスメディアは多分、総理大臣が使う名前をメインにして報道表現するのではないかと思います。


≪日本国憲法下の衆議院解散とそのネーミング≫

 1.1948年12月23日 (第2次吉田内閣)  馴れ合い解散
 2.1952年  8月28日 (第3次吉田内閣)  抜き打ち解散
 3.1953年  3月14日 (第4次吉田内閣)  バカヤロー解散
 4.1955年  1月24日 (第1次鳩山内閣)  天の声解散
 5.1958年  4月25日 (第1次岸内閣)     話し合い解散
 6.1960年10月24日 (第1次池田内閣)   安保解散
 7.1963年10月23日 (第2次池田内閣)   所得倍増解散、ムード解散、予告解散
 8.1966年12月27日 (第1次佐藤内閣)   黒い霧解散
 9.1969年12月  2日 (第2次佐藤内閣)    沖縄解散 
10.1972年11月13日 (第1次田中内閣)   日中解散
-. 1976年12月  9日 任期満了三木内閣) ロッキード解散・ロッキード選挙
11.1979年  9月  7日 (第1次大平内閣)   増税解散、一般消費税解散
12.1980年  5月19日 (第2次大平内閣)   ハプニング解散
13.1983年11月28日 (第1次中曽根内閣) 田中判決解散
14.1986年  6月  2日 (第2次中曽根内閣) 死んだふり解散
15.1990年  1月24日 (第1次海部内閣)   消費税解散
16.1993年  6月18日 (宮澤内閣)       嘘つき解散、政治改革解散
17.1996年  9月27日 (第1次橋本内閣)   小選挙区解散、新選挙制度解散
18.2000年  6月  2日 (第1次森内閣)    神の国解散、ミレニアム解散
19.2003年10月10日 (第1次小泉内閣)   マニフェスト解散、構造改革解散
20.2005年  8月  8日 (第2次小泉内閣)   郵政解散
21.2009年  7月21日 (麻生内閣)       政権選択解散
22.2012年11月16日 (野田内閣)       近いうち解散
23.2014年11月21日 (第2次安部内閣)   いまのうち解散など


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