スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

暑さ寒さも彼岸まで

2011-09-23 09:23:21 | 日記・エッセイ・コラム

「“暑さ寒さも彼岸まで”とか、お彼岸にはお墓参りするとか言われているけど、“お彼岸”っていつからいつまで?それよりも何よりも、“お彼岸”って何?」

といった疑問を振り向けられました。


  『彼岸』とは、一言でいえば仏教用語、仏事と定義することができるでしょう。

  煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸と見立てた「此岸(しがん)」に対して、向う側の岸、つまり「彼岸」は煩悩を脱した悟りの境地の世界であるとされています。

  また、雑節の一つで、春分の日・秋分の日を中日とした前後各
3日を合わせた7日間を指します。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」といいます。

  この期間に行われる仏事を『彼岸会(ひがんえ)』といいます。

  彼岸会法要は日本独自に始まったものです。
  浄土思想で信じられている、阿弥陀如来が治める極楽浄土(西方浄土)は西方の遙か彼方にあると考えられています。

  春分の日と秋分の日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。
  西に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まりと考えられています。

  『続日本紀』に続く勅撰の歴史書『日本後紀』に、
806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われ、このとき崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と記述されています。

  このように、彼岸会は天皇の詔(みことのり)として始められた行事でしたが、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着してきたようです。



Png_2  春分とは太陽が春分点を通過した瞬間、即ち太陽黄経が
0度となったときで、321日頃です。
言い換えれば、太陽の黄経が
0度に達したときで、黄道が赤道と交わる二つの交点のうち、太陽が赤道の南から北に抜ける点である春分点を通過するときが春分です。
  気候的には、この頃が桜の開花期の直前に当たり、次第に暖かくなり始めると考えられています。







24  秋分とは太陽が秋分点を通過した瞬間、即ち太陽黄経が
180度となったときで、923日頃です。
  言い換えれば、太陽の黄経が
180度に達したときで、黄道が赤道と交わる二つの交点のうち、太陽が赤道の北から南へ横切る点でる秋分点、つまり春分点の対向点を通過するときが秋分です。
  気候的には、次第に昼間の時間が短くなり始め、夏の暑さが緩んでくると考えられています。









  余談ですが、彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついて小判形にまるめ、厚く餡で包んだ
10cm程度の菓子です。
  名前は、春の彼岸の頃に咲く「牡丹」、秋の彼岸の頃に咲く「萩」に由来するそうです。


 


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カレンダーの休みの日はどうやって決まるの?

2011-09-17 09:52:57 | 社会・経済

  今月9月のカレンダーをしげしげと眺めていた人が突然、

「日曜日以外の、カレンダーで休日と表示されている日はどうやって決められているのかな?」

「以前は、○月○日は○○の日、△月△日は△△の日で休みだったのに、月曜日になっている。感が狂うよ。」

と呟きました。そこで休日について纏めてみました。


  わが国のカレンダーで、日曜日以外で“休み”とされている日には、「国民の祝日」「国民の休日」及びこれらの「振替休日」があります。

  これらは「国民の祝日に関する法律(昭和
23年法律第178号、最終改正:平成17520日法律第43号)」(以下、「法」という。)で定められています。

①「国民の祝日」は法第二条に網羅的に定められています。

②国民の祝日が日曜日に当たる場合の「振替休日」は法第三条第
2項に定められています。

③国民の祝日に挟まれた平日1日を休日とする「国民の休日」は法第三条第
2項に定められています。


  かつて「祝祭日」という言い方をしていましたが、これは大日本帝国憲法下において定められた、建国や独立などの歴史的出来事に由来する祝日と慣習的に休日としていた宗教上の祭日を合わせたものでした。
  日本国憲法下では「祭日」が廃止されたため、現在日本で法定の「祭日」は存在しません。


  法第二条で定める国民の祝日には、日付が固定されたものと、ハッピーマンデー制度(
1998年施行)により月曜日に固定されたもの、国立天文台「暦象年表」に基づき閣議決定されるもの、政令で定められるものなどがあります。


【関連サイト】

  国民の祝日に関する法律(電子政府)


【参考資料】

  「国民の祝日」一覧
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もう限界!初期のXP機/PCの引越し(その1)

2011-09-10 09:31:39 | デジタル・インターネット

 我が家には現在ノートPCが4台あります。

①HITACHI Prius Note 200D(2002年冬モデル)
②IBM ThinkPad X40(2003年12月24日発売)
③Panasonic Let's note R5(2006年5月発売)
④lenovo ThinkPad R60e(2007年1月30日発売)

 主要スペックは次の通りです。

01_MyPC2

02_spec

 最近Prius Noteのレスポンスが悪くなってきました。このPCのユーザーである長男の鬱憤は晴れません。
 やはり、接続サイトのデータ量が増えてきていることが大きな原因かと思います。そこに加え、メモリーが512MBと少なめであることと、CPUがCeleronであるというPCの特性も無縁ではないでしょう。
 また、PC起動時に時間がかかるのは、「ウィルスバスター2011クラウド」が影響しているようです。メモリー搭載量が少なめのPCでウィルスバスター2011クラウドが起動中はメモリーの大半を使い、インターネット接続やApplicationの利用が難しくなります。

 そこで、Let's note R5が利用者不在状態でしたので、お盆休みに巣籠り族然として、

     Prius Note→ThinkPad X40→Let's note R5

といった玉突き引越しをすることにしました。

 玉突きといっても、現実には

ThinkPad X40→Let's note R5をやって、ThinkPad X40を空け、そこにPrius Noteから引越しさせることになります。
 したがって、一般的に表現すれば、
まず “XP→Vista” そして “XP→XP” を、
メールでは Outlook Express→Windowsメール、Outlook Express→Outlook Express をやることになります。

 XP→Vistaの引越しは、「ドキュメント」「ピクチャ」「お気に入り」「デスクトップ」の移動と、「Outlook Express」→「Windowsメール」があり、少し厄介なのがメールの「アドレス帳」と「メッセージ」の移動ではないでしょうか。

 PCの引越し(その1)では、先ず「ドキュメント」「ピクチャ」「お気に入り」「デスクトップ」の移動手順についてお話します。
 PCの引越し(その2)では「Windowsメール」の設定手順、PCの引越し(その3)で「アドレス帳」の引越し手順、PCの引越し(その4)で「メッセージ」の引越し手順をお話したいと思います。

 では、「ドキュメント」「ピクチャ」「お気に入り」「デスクトップ」の移動手順についてです。

1.PC以外にUSB接続の記憶媒体(HDDもしくはフラッシュメモリ)を準備します。

2.XP機に準備したUSB記憶媒体を接続します。

3.以下の手順で「ドキュメント」「ピクチャ」「お気に入り」「デスクトップ」のデータを探し出し、USB記憶媒体にコピーします。

03_DATAout-1①〔スタート〕ボタン→「マイコンピュータ」の順にクリック



04_DATA0ut-2②「ローカルディスク(C:)をダブルクリック







05_DATAout-3③Documents&Settingsのフォルダをダブルクリックして開く










06_DATAout-4④アカウント名(サンプルではUser)のフォルダをダブルクリックして開く




07_DATAout-5⑤「お気に入り」「デスクトップ」「My Documents」のフォルダをクリックして選択。「ピクチャ」は「My Documents」フォルダで一緒にコピーされる。





08_DATAout-6⑥右クリックで表示されるドロップダウンメニューの「送る」をプロット

⑦表示されるドロップダウンメニューの「リムーバブルディスク(D:)」をクリックこれで目的のデータすべてをUSB記憶媒体にコピーすることができました。次に、USB記憶媒体を引越し先のVista 機に挿し直し、XP機からコピーしたデータをVista 機の該当するフォルダにコピーします。





09_DATAin-1⑧〔スタート〕ボタン→「コンピュータ」の順にクリック


10_DATAin-2⑨「ローカルディスク(C:)」をダブルクリック







11_DATAin-3⑩「ユーザー」のフォルダをダブルクリックして開く








12_DATAin-4⑪アカウント名(サンプルではUser)のフォルダをダブルクリックして開く



13_DATAin-5⑫「お気に入り」「デスクトップ」「ドキュメント」「ピクチャ」のそれぞれのフォルダを開き、「リムーバブルディスク(D:)」に保存しているそれぞれに該当するデータを“コピー&貼り付け”する。







以上で「ドキュメント」「ピクチャ」「お気に入り」「デスクトップ」のデータの引越しは完了しました。




<シリーズ記事>

 PCの引越し(その1) 「もう限界!初期のXP機」  (この記事)

 PCの引越し(その2) 「Windowsメール」の設定手順

 PCの引越し(その3) 「アドレス帳」の引越し手順

 PCの引越し(その4) 「メッセージ」の引越し手順





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たつの市で資料館巡り

2011-09-03 08:57:46 | 日記・エッセイ・コラム

  息子のリクエストで821日(日)に女房と3人でたつの市を訪ねました。
  雨が降ったり止んだりする一日でしたが、逆にこの時期では日差しがない分、気温が高くなり過ぎず助かりました。

「たつの市って、兵庫県では田舎エリアだと思うけど、意外なものの発生の地だったりするので、一度みておきたい。」

というのが息子の動機でした。

  今回の行程は次の通りです。山陽自動車道ではなく、少し余分に時間がかかりますが、R2のバイパス利用中心で移動することにしました。

 

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  家を9:00頃に出発。予定通り11:30過ぎに“そうめんの里”に着きました。



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  一階はインフォメーション、土産物店、レストラン。二階が揖保乃糸資料館です。

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  エントランスを入って直ぐ左手のインフォメーションで展示室入館料を払いました。入館料は大人300円ですが、JAF会員証を提示すると10%割引になります。

  昼食時だったので資料館は後でみることにして、レストラン「庵(いおり)」で昼食をとることにしました。



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Photo_3 数あるメニューのうち、「名取」というザルそうめんセットを注文しました。見た目少なそうでしたが、お腹いっぱいになるほどにボリュームがあり、そうめんは言うに及ばずの旨さでした。














昼食を終え、二階の資料館に行きました。



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  資料館にはそうめん造りの歴史や造り方などのパネル展示のほか、人形による展示があり、なかなか楽しめる内容でした。


  そうめんの里を後にして、うすくち龍野醤油資料館へと向かいました。



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  ここに入館するとき、龍野歴史文化資料館・霞城館・うすくち龍野醤油資料館の市内三つの資料館が、一人でも団体料金で入館できる「三館共通券」を購入しました。



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  この共通券で三館全てを巡り、スタンプを集めると、4か月ごとの抽選で龍野の名産品が当たる特典が付いています。



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  龍野醤油とは言わずと知れた現在のヒガシマル醤油のことです。



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  醤油資料館には数多くの懐かしい道具や装置が展示されていますが、一際私の目を惹いたのは、木製の圧搾機です。装置そのものが圧搾場建屋の躯体を構成しているのです。

  一通りの見学を終え、職員の方の勧めで別館へと移動しました。
  ここは、さながらに理科実験室の体を成していました。豆を始めとする醤油の原材料のサンプルや実験道具が数多く展示されています。

  龍野醤油資料館別館玄関前に留め置いていた車に乗り込み、向かった先は龍野歴史文化資料館です。



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  原始時代からの埋蔵文化財を始めとするたつの市の歴史的文化資料が展示されています。
  なにげなく、造園物であるかのように思われる石も、古代の石棺であったりし、大変驚きました。

  龍野歴史文化資料館は龍野城敷地内にあり、そのまま徒歩で龍野城へと向かいました。



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  龍野城は明治4年(1871年)の廃藩置県により建物の全てが競売によって取り壊されましたが、石垣は略完全に残されており、昭和50年(1975年)から5ヵ年をかけ、現在見ることができる本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門、隅櫓などが復元されました。

  明治末以降の近世においては、敷地内に高等女学校や旧制中学校が設置されていた時代があったようです。

  埋門(うづみもん)から下城し、城壁沿いに進んで霞城館(かじょうかん)を訪ねました。



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  霞城館には、三木操(露風)、内海信行(青潮)、矢野勘治(興安嶺)、三木清ら四氏の文献や資料が展示されています。


  展示を略見終えたときには早
16:00近くになっていたので、目的の最終である童謡の小径へと急ぐことにしました。

  最初はここから龍野公園へ行き、そこに駐車して、哲学の小径を登り、童謡の小径を下り、龍野公園傍にある赤とんぼ歌碑へ行こうと考えていました。しかし、時間も押してきたし、天候も思わしくないので、龍野城の駐車場まで引き返し、車で赤とんぼ荘まで行き、女房と息子を降ろして、私は龍野公園に戻って二人と出会い、赤とんぼ歌碑へ行くことにしました。



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  赤とんぼ荘の駐車場で女房と息子を降ろすと、私は赤とんぼ荘の喫茶「メープル」に行き、ホットコーヒーで一服した後、龍野公園へと車を回し、二人を待つことにしました。



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  童謡の小径にある歌碑に近付くと、その歌のメロディーが流れます。



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  夕焼小焼



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  叱られて



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  七つの子



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  みかんの花咲く丘



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  月の砂漠



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  秋みつけた




  首尾よく二人と龍野公園で出会うことができましたので、赤とんぼ歌碑をみて、家路につくことにしました。



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  一番左の楽譜は、三木露風直筆のものの模写だそうです。


【関連サイト】

たつの市―観光

ひょうごツーリズムガイド

たつの市観光協会龍野支部

三館共通券特典

揖保乃糸・資料館
そうめんの里

ヒガシマル醤油株式会社



<後発事象>

  龍野それから





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