スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

oyoyoの皿=安田信託銀行(神戸支店)とバブル経済崩壊

2019-01-12 08:38:38 | 社会・経済

 

我が家に直径21cmの洋皿があります。とても使い勝手の良い皿です。

表面の中央に「OYOYO」の文字サークルと「オヨネコぶーにゃん」のイラストが描かれています。

裏面には“市川みさこ”と署名されています。

01_plate

 思い起こせば、この皿は、かつて存在していた安田信託銀行神戸支店で貰ったものです。
 安田信託銀行では、市川みさこさんの「オヨネコぶーにゃん」を営業拡販用の企業イメージキャラクター「oyoyo」として使用していたようです。
 総合口座預金通帳、普通預金通帳、その他のノベルティに「oyoyo」をモチーフにしたものがあったようです。

02_book

 そんな安田信託銀行は、今は存在しません!
 安田信託銀行の消滅は、バブル経済・バブル景気・平成バブル〔1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月までの51か月間〕崩壊の走りでした。

 そのような安田信託銀行について少し触れてみたいと思います。

 安田信託銀行(芙蓉グループ)は、安田財閥の系譜を継ぎ、同財閥を直接的な前身とする会社です。私の認識では安田生命が財閥直系の本家会社だと思っていたのですが・・・

 同行は信託銀行界において不動産部門に強みを持つとされる一方、リテール展開においては、業容の伸長を図ってきました。しかし、バブル期におけるノンバンクや不動産、建設業などに対する過剰な融資がバブル崩壊に伴い不良債権化すると伴に、評価基準の変更が、経営の重荷になっていました。

 1997年4月1日、消費税率が5%へと引き上げられたことをきっかけにバブル経済は崩壊。国内の景気は減退し、同年11月には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、続いて徳陽シティ銀行が経営破綻しました。

03_Tax

 山一證券(芙蓉グループ)の自主廃業が伝えられた直後、同行は風評による全国的な取り立てに会い、倒産の危機に瀕しました。この時、芙蓉グループ各企業からの支援によって安田信託銀の経営は一応の小康を取り戻しましたが、依然として財務内容が脆弱で市場からの不信感も払拭しえず、銀行部門とは本来無縁の年金などの信託財産にも解約の動きが広がりました。倒産の危機は続いていたのです。

 倒産を避けるために、従業員を守るために、グループ内外との統廃合を繰り返しました。

 その概要を述べるなら、富士銀行(芙蓉グループ)の連結子会社となり、更に、2000年10月1日、経営統合により「みずほホールディングス」の一社となり、「みずほアセット信託銀行」となりました。

 2003年3月12日、上場維持を理由にグループ内同業社との業務統合を行ってみずほ信託銀行となり、2011年9月1日、みずほフィナンシャルグループの完全子会社となりました。

04_Map


 安田信託銀行神戸支店があったのは神戸市中央区三宮町1-4-15の“京町74番ビル”です。

 安田信託銀行神戸支店は、第一勧業富士信託銀行が発足し、安田信託銀行がこれに信託部門を合併させるとこのビルから撤退し、その直後のテナントとして「SUIT SELECT 神戸三宮」が入っていましたが、今は空室になっています。

05_building

 ところで、みずほホールディングスの母体となったのは日本興業銀行です。日本興業銀行は、上述した銀行の統廃合時において、嘗て政府系特殊銀行であったという、その絶対的な優位性、自己資本比率の高さをもって、第一勧銀グループ、古河グループ、芙蓉グループ、第一生命保険などを、興銀グループとして、同グループの同業各社と統合し、形成していったのだと記憶しています。

 そんな日本興業銀行を題材とした小説があります。

06_book

書名:小説 日本興業銀行〔A6判;文庫本〕
著者:高杉 良
発行所:株式会社講談社
ジャンル;一般文学
第1部 初版発行日:1990年10月15日
第2部 初版発行日:1990年11月15日
第3部 初版発行日:1990年12月15日
第4部 初版発行日:1991年 1 月15日
第5部 初版発行日:1991年 2 月15日



 「Book」データベースでは、次のように紹介しています。

第1部
 産業金融の雄、日本興業銀行が辿った波乱万丈のドラマを描く。戦後の日本経済界を彩る幾多の人材を輩出し、日銀特融をはじめ、さまざまな危機の局面にあって、回避にむけての打開策を全力でとってきたトップ銀行。その実像を、豊かな構想力と綿密な取材の下に、実名で活写する五部構成大河小説の第1弾。

第2部
 GHQに厳しい選択を迫られる日本興業銀行首脳部、そして思わぬ“昭電疑獄”にまきこまれ、芦田内閣の倒閣という激動の政治の嵐の中で、英知を集めて再建整備への道をすすむ。営業再開への長く苦しい三年余の交渉を描く。復興の飛躍台に向う日本経済。戦後産業通史いよいよ佳境に。大河経済小説第二弾。

第3部
 中山素平は日本興業銀行副頭取に就任した。思えば日本開発銀行へ転出し、設立後の仕事、過労入院、造船疑獄と多難続きだった。輿望を担っての復帰とはいえ、製鉄、油田開発など産業基盤の整備という大仕事が待っていた。しかも師と仰ぐ元総裁河上弘一の訃報。興銀と中山素平の責務は、ますます重い。

第4部
 中山素平は将来を見通した人材育成にむけ、国際的にも国内的にも大胆な試みを展開する。さらに外国に負けない海運業界にすべく再編成にとりかかる。三年にわたった証券不況も、山一再建と新日本証券の誕生という、鋭い手腕で克服する。奇跡の経済復興に導く興銀の活躍は、最大の場面を迎える。

第5部
 本格的な高度成長にむけて、胎動をはじめた日本経済―その中で活躍する興銀大阪支店をはじめ、日産・プリンス自動車の合併、新日本製鉄の誕生など、“産業金融の雄”が果した重要な役割を生き生きと描く。実名で活写した波乱万丈のドラマは、圧巻の戦後経済・産業通史として、ここに堂々の完結。


 高杉良氏による「小説 日本興業銀行」は、角川書店から1986年~1988年に単行本4部作で発表されました。その後講談社文庫から1990年~1991年に文庫本5部作が発表されました。


 日本興業銀行による当廃合が完了し、みずほホールディングス(Mizuho Holdings, Inc.,MHHD)発足が2000年。2003年のみずほフィナンシャル・グループ(MHFG)発足・移行を挟んで18年経過したことになります。しかし、システム統合(勘定系)については、当初の失敗から慎重に慎重を重ね、MHFGによれば、2017年に統合システムが完成し、2018年6月から2019年上期まで、全9回(毎週土・日曜日)にわたってシステム移行を実施しているとのことです。


【関係先URL】

 ○ 渋沢社史データベース安田信託銀行㈱「安田信託銀行六十年のあゆみ」(1986.03)

 


本 の優れたセレクションでオンラインショッピング。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする