
★夢の競演!高橋多佳子とヤングピアニスト
※高橋多佳子さんの演奏曲目※
1.月の光/ドビュッシー
2.亜麻色の髪の乙女/ドビュッシー
3.泉のほとりで/リスト
4.ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調作品53/ベートーヴェン
(2012年1月29日 プラザイースト ホールにて)
今回も聴きに行けてよかった、心からそう思える素晴らしいコンサートでした。
なにより「聴き手を元気にする」、ピアニストが子供たちに語ったその気持ちが言葉のとおりに感じられる得難い機会であったことがうれしいです。
ピアニストのみなさんにはもちろんですが、企画に携わられた方にも感謝したいと思います。
そもそも、この企画は、オーディションで選ばれた小学生から大学生までの11人のヤングピアニストと高橋多佳子さんが連弾するというものです。
私のお目当てはもちろん多佳子さんの演奏・・・ではありますが、まずは、主役は子供たちなのであります。
とはいえ、単なるピアノ発表会とはわけが違う・・・
もちろん身内じゃない人が聴いていてとても楽しい思いにさせてくれる、レベルの高いコンテンツがつまっておりました。
私など・・・
天下のショパンコンクール入賞者が、連弾のセコンドとはいえスターウォーズのテーマや木村カエラさんのButterflyを人前で弾く、それだけでも聴きものだと思うのですが・・・。
セコンドだからこそ、多佳子さんの魅力であるリズムの乗りやテナー声部の音色も堪能できて楽しめるわけですし。
多佳子さんは、プリモの子供たちに合わせて音量も弾きようも工夫しておられるのでしょう・・・
プリモが引き立つようにするのはもちろん、たとえ走り気味になったりミスしちゃったりしたときにも、絶妙によりそってすぐに落ち着きを取り戻させてあげるリードがさすがです。
そんな場合、子供たちとはいえ、上手に弾けたとみんなに褒められても間違っちゃったところは自分でもちろん気づいています。
悔しそうにしている素直さ、純粋さには、きっとこの子たちはまだまだ上達するんだろうなとほほえましく思います。
そんな新鮮な思いとともに、今の我が身を振り返れば、子供たちにひたむきに何かに打ち込むことの大切さをあらためて教えられたようで、反省することしきりです。
さてさて・・・
さすがオーディションを通った才能だけあって、連弾のヤングピアニストたちはみんな上手。最近は音楽を専門に勉強している人たちも受けに来ているというだけあって、レベルが高くなっているというのもうなずけます。
就中、ドヴォルザークのスラブ舞曲を弾いた小学4年生の女の子、特に私の印象に残っています。
しなやかなフレージングやリズムの感じ方は天性のものか、あのチャーミングな弾き振りはまねしようとしてなかなかできるものではありません。
お医者さんになりたいそうですが、ぜひとも音楽も続けてもらいたいものです。
高校生以上の4人には、休憩をはさんで1曲ずつソロを弾く機会がありました。
これだけの人前で演奏することは、この上ない経験となることでありましょう。
それぞれのピアニストに生の音楽を聴く楽しさを味わわせてくれたことに感謝の気持ちを伝えたいです。
そしてみなさんがさらに飛躍されるよう、こころから応援したいと思います。
さて、プラザイーストのピアノは凛とした音色のベーゼンドルファー。
多佳子さんのソロ演奏は、都合4曲とはいえ、それぞれに内容の濃いもので感動の濃さではいつもと同じ、いやそれ以上でした。
コンサート冒頭に弾かれた今年が生誕150周年であるドビュッシーの「月の光」。
いつだったかアンコールで聴いた覚えがありますが、あのときのウルウルの情感たっぷりのそれとは一線を画した奏楽。
雰囲気で聴かせるという感はなく、一音一音をゆるがせにしない、そうでありながら響きの合間からうるおいのようなものが感じられてステキでした。
格調は高いけど、親しみやすい・・・多佳子さんの最近のリサイタルの感想に必ず書いていますが、大家の域に達した境地に思えます。
そして、コンサート最後のミニ・リサイタル。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
単音で弾かれるメロディー、その音色と歌い方ひとつで響きというよりホール全体の空気を支配してしまう手際には驚きを禁じえませんでした。
プロってすごいと思った瞬間ですが、ピアニストとはピアノを手なずけるだけでは足らず、聴き手の心を揺さぶるようアプローチしなければならないということを、身をもってヤングピアニスト達に示された瞬間だったと思います。
ここでこの音に鳴ってほしいという呼吸が、私の感覚とぴったりなのはいつものこと・・・
いえ、私に限らずその場にいる聴衆すべてと一致しているようにも思えます。
しっかり弾き込まれた音楽のうちからじんわりと立ち上ってくる芳香のような味わいは、ピアニストが巧まずして作り出しているのに相違ないわけですから。。。
映像第1集・第2集、版画、レントより遅く、喜びの島・・・いつの日か多佳子さんから聴きたいドビュッシーがどんどん浮かびます。
リストの「泉のほとりで」。
爽やかな小品ですが、一篇の詩集を味わったような量感があったように感じました。
音色の粒立ちのよさ、それも一音一音の比重がちがう・・・
一音一音でさえそうなのですから、それが絶妙に織りなされた音楽そのものの密度たるや相当なものだということは、私が聴いてもわかります。
なるほど、「これがリストか・・・」とうなるほかありません。
そして、白眉のベートーヴェン「ワルトシュタイン」ソナタ、ソロ演奏で誰に遠慮する必要もないからでしょうが、持ち味のリズムや音色が適切なのはもちろん、曲に必要なバスの音も迫力満点。
終始、安定感抜群の演奏で、第三楽章の半ばでは感動のあまり思わず涙があふれてしまいました。
多佳子さんの演奏を聴いたときには珍しいことではないかもしれません。
何がそうさせるのか・・・不思議ですが、ホールの雰囲気の中で多佳子さんの紡ぎだす音に身をゆだねるとそうなって、元気をもらえるのです。
音楽とは、単に聴き手を感動させればよいというだけのものではないとは思いますが、どんな演奏であっても弾き手も聴き手も元気になれるのであれば◎なんじゃないかな?
そんなことも強く感じました。
オクターブ・グリッサンドのパートをどう弾くか?
アラウはここをオクターブ・グリッサンドで弾けないピアノではワルトシュタインを演奏しないと言っていたし、ポリーニの来日公演では会場からのリクエストでオクターブ・グリッサンドのところだけを弾いてほしいとリクエストが出て答えている映像を見たことがあります。
CDで音楽を楽しむことがほとんどの聴き手にとって、ライナーノーツやピアニストのインタビューにあった「弾き手のこだわり」は、安易に捉われやすい罠ですね。
これだけ心に響く音楽であれば、演奏家やある種の専門家でない限り弾き方にこだわる必要もない気がしました。
かといって、演奏家が勝手に楽譜に足したり引いたりを安易にしたりしていいとも思いませんが・・・。
元気にしたいというピアニストが、元気になりたいと思う聴き手を感動とともに元気にしてくれたのであれば、これ以上何も求めるべくはありません。
ただただ、聴きに行くことができてよかった、素晴らしい演奏をありがとうと思うばかりです。
これほどの演奏の後に、アンコールはいらない。
そう思ったほどの感動の演奏だったわけですが、終演後に多佳子さんに聞いたら「まだまだ」とまだ目指すべき高みがあるという。
(リアルのだめといわれるらしいお話とかはともかく・・・)
ことピアノ演奏芸術面に関してはいよいよ大家の風格が誰の目にも明らかな多佳子さんをして、こんな言葉が出てくるのですから・・・
これからその山を登ろうとしているヤングピアニストたちは大変です。
そして、いつの頃かは知らないけれど、かつてヤングピアニストだったころ「ベートーヴェン弾きになりたい」とおっしゃっていたらしい多佳子さん!
熱情、ハンマークラヴィーア、作品109~111など、遠からず聴けることを期待しています。
「ベートーヴェンの旅路」も考えられるべき企画だと思いますよ!
※高橋多佳子さんの演奏曲目※
1.月の光/ドビュッシー
2.亜麻色の髪の乙女/ドビュッシー
3.泉のほとりで/リスト
4.ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調作品53/ベートーヴェン
(2012年1月29日 プラザイースト ホールにて)
今回も聴きに行けてよかった、心からそう思える素晴らしいコンサートでした。
なにより「聴き手を元気にする」、ピアニストが子供たちに語ったその気持ちが言葉のとおりに感じられる得難い機会であったことがうれしいです。
ピアニストのみなさんにはもちろんですが、企画に携わられた方にも感謝したいと思います。
そもそも、この企画は、オーディションで選ばれた小学生から大学生までの11人のヤングピアニストと高橋多佳子さんが連弾するというものです。
私のお目当てはもちろん多佳子さんの演奏・・・ではありますが、まずは、主役は子供たちなのであります。
とはいえ、単なるピアノ発表会とはわけが違う・・・
もちろん身内じゃない人が聴いていてとても楽しい思いにさせてくれる、レベルの高いコンテンツがつまっておりました。
私など・・・
天下のショパンコンクール入賞者が、連弾のセコンドとはいえスターウォーズのテーマや木村カエラさんのButterflyを人前で弾く、それだけでも聴きものだと思うのですが・・・。
セコンドだからこそ、多佳子さんの魅力であるリズムの乗りやテナー声部の音色も堪能できて楽しめるわけですし。
多佳子さんは、プリモの子供たちに合わせて音量も弾きようも工夫しておられるのでしょう・・・
プリモが引き立つようにするのはもちろん、たとえ走り気味になったりミスしちゃったりしたときにも、絶妙によりそってすぐに落ち着きを取り戻させてあげるリードがさすがです。
そんな場合、子供たちとはいえ、上手に弾けたとみんなに褒められても間違っちゃったところは自分でもちろん気づいています。
悔しそうにしている素直さ、純粋さには、きっとこの子たちはまだまだ上達するんだろうなとほほえましく思います。
そんな新鮮な思いとともに、今の我が身を振り返れば、子供たちにひたむきに何かに打ち込むことの大切さをあらためて教えられたようで、反省することしきりです。
さてさて・・・
さすがオーディションを通った才能だけあって、連弾のヤングピアニストたちはみんな上手。最近は音楽を専門に勉強している人たちも受けに来ているというだけあって、レベルが高くなっているというのもうなずけます。
就中、ドヴォルザークのスラブ舞曲を弾いた小学4年生の女の子、特に私の印象に残っています。
しなやかなフレージングやリズムの感じ方は天性のものか、あのチャーミングな弾き振りはまねしようとしてなかなかできるものではありません。
お医者さんになりたいそうですが、ぜひとも音楽も続けてもらいたいものです。
高校生以上の4人には、休憩をはさんで1曲ずつソロを弾く機会がありました。
これだけの人前で演奏することは、この上ない経験となることでありましょう。
それぞれのピアニストに生の音楽を聴く楽しさを味わわせてくれたことに感謝の気持ちを伝えたいです。
そしてみなさんがさらに飛躍されるよう、こころから応援したいと思います。
さて、プラザイーストのピアノは凛とした音色のベーゼンドルファー。
多佳子さんのソロ演奏は、都合4曲とはいえ、それぞれに内容の濃いもので感動の濃さではいつもと同じ、いやそれ以上でした。
コンサート冒頭に弾かれた今年が生誕150周年であるドビュッシーの「月の光」。
いつだったかアンコールで聴いた覚えがありますが、あのときのウルウルの情感たっぷりのそれとは一線を画した奏楽。
雰囲気で聴かせるという感はなく、一音一音をゆるがせにしない、そうでありながら響きの合間からうるおいのようなものが感じられてステキでした。
格調は高いけど、親しみやすい・・・多佳子さんの最近のリサイタルの感想に必ず書いていますが、大家の域に達した境地に思えます。
そして、コンサート最後のミニ・リサイタル。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
単音で弾かれるメロディー、その音色と歌い方ひとつで響きというよりホール全体の空気を支配してしまう手際には驚きを禁じえませんでした。
プロってすごいと思った瞬間ですが、ピアニストとはピアノを手なずけるだけでは足らず、聴き手の心を揺さぶるようアプローチしなければならないということを、身をもってヤングピアニスト達に示された瞬間だったと思います。
ここでこの音に鳴ってほしいという呼吸が、私の感覚とぴったりなのはいつものこと・・・
いえ、私に限らずその場にいる聴衆すべてと一致しているようにも思えます。
しっかり弾き込まれた音楽のうちからじんわりと立ち上ってくる芳香のような味わいは、ピアニストが巧まずして作り出しているのに相違ないわけですから。。。
映像第1集・第2集、版画、レントより遅く、喜びの島・・・いつの日か多佳子さんから聴きたいドビュッシーがどんどん浮かびます。
リストの「泉のほとりで」。
爽やかな小品ですが、一篇の詩集を味わったような量感があったように感じました。
音色の粒立ちのよさ、それも一音一音の比重がちがう・・・
一音一音でさえそうなのですから、それが絶妙に織りなされた音楽そのものの密度たるや相当なものだということは、私が聴いてもわかります。
なるほど、「これがリストか・・・」とうなるほかありません。
そして、白眉のベートーヴェン「ワルトシュタイン」ソナタ、ソロ演奏で誰に遠慮する必要もないからでしょうが、持ち味のリズムや音色が適切なのはもちろん、曲に必要なバスの音も迫力満点。
終始、安定感抜群の演奏で、第三楽章の半ばでは感動のあまり思わず涙があふれてしまいました。
多佳子さんの演奏を聴いたときには珍しいことではないかもしれません。
何がそうさせるのか・・・不思議ですが、ホールの雰囲気の中で多佳子さんの紡ぎだす音に身をゆだねるとそうなって、元気をもらえるのです。
音楽とは、単に聴き手を感動させればよいというだけのものではないとは思いますが、どんな演奏であっても弾き手も聴き手も元気になれるのであれば◎なんじゃないかな?
そんなことも強く感じました。
オクターブ・グリッサンドのパートをどう弾くか?
アラウはここをオクターブ・グリッサンドで弾けないピアノではワルトシュタインを演奏しないと言っていたし、ポリーニの来日公演では会場からのリクエストでオクターブ・グリッサンドのところだけを弾いてほしいとリクエストが出て答えている映像を見たことがあります。
CDで音楽を楽しむことがほとんどの聴き手にとって、ライナーノーツやピアニストのインタビューにあった「弾き手のこだわり」は、安易に捉われやすい罠ですね。
これだけ心に響く音楽であれば、演奏家やある種の専門家でない限り弾き方にこだわる必要もない気がしました。
かといって、演奏家が勝手に楽譜に足したり引いたりを安易にしたりしていいとも思いませんが・・・。
元気にしたいというピアニストが、元気になりたいと思う聴き手を感動とともに元気にしてくれたのであれば、これ以上何も求めるべくはありません。
ただただ、聴きに行くことができてよかった、素晴らしい演奏をありがとうと思うばかりです。
これほどの演奏の後に、アンコールはいらない。
そう思ったほどの感動の演奏だったわけですが、終演後に多佳子さんに聞いたら「まだまだ」とまだ目指すべき高みがあるという。
(リアルのだめといわれるらしいお話とかはともかく・・・)
ことピアノ演奏芸術面に関してはいよいよ大家の風格が誰の目にも明らかな多佳子さんをして、こんな言葉が出てくるのですから・・・
これからその山を登ろうとしているヤングピアニストたちは大変です。
そして、いつの頃かは知らないけれど、かつてヤングピアニストだったころ「ベートーヴェン弾きになりたい」とおっしゃっていたらしい多佳子さん!
熱情、ハンマークラヴィーア、作品109~111など、遠からず聴けることを期待しています。
「ベートーヴェンの旅路」も考えられるべき企画だと思いますよ!
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