★あづみ野コンサートホール会館10周年・ショパン生誕200年記念
高橋多佳子 ピアノ・リサイタル
“ピアノの詩人ショパン ~その39年のあゆみ~”
《前半》
1.ポロネーズ 第13番 変イ長調 遺作
2.マズルカ 作品68-3(遺作) ヘ長調
3.練習曲 ホ長調「別れの曲」 作品10-3
4.練習曲 ハ短調「革命」 作品10-12
5.ワルツ 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」
6.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
《後半》
7.24の前奏曲 変二長調「雨だれ」 作品28-15
8.ポロネーズ 変イ長調「英雄」
9.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
10.マズルカ 作品68-4(遺作) ヘ短調
《アンコール》
11.幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
(2010年4月10日 あずみ野コンサートホールにて)
“あづみ野コンサートホール”の開館10周年を心よりお祝い申しあげます。
また、定期的に高橋多佳子さんのコンサートを開催してくださり誠にありがとうございます。
春に秋にと訪れてはこの場に集まるみなさんといっしょに、単にコンサートに訪れただけではない感動を分かち合うことができる・・・私にとってかけがえのない空間です。
これからも、銘器ベーゼンドルファーの音色が深く成熟を重ねていくとともにますますのご発展を遂げられ、音楽を通した素晴らしいふれあいの場であり続けていただくことを祈念いたします。
いやはや・・・
なんとも堅苦しい出だしだなぁ~。。。(^^;)
信州に向かう特急あずさ、トンネルの合間に一瞬射し込んだ陽の光でまどろみから覚めると・・・
甲斐大和駅付近の桜並木に目が釘付けになったものです。
ずっしりどっさり花を抱えたソメイヨシノも見事なら、遠く近くに点在する鮮やかな緋色の桃畑などとりわけ幻想的で見事の一語。
山間(やまあい)の村の風景はその言葉通りに“桃源郷”のイメージを否応なく喚起してくれました。
ややあって・・・
視界には赤石岳が現れ、頂以下氷雪に閉ざされた峻厳そのものの景観は、春ののどかさとはまったく別の世界をかもし出し・・・
眼下には枯れ草の間隙を突き破り、水仙が勢いよく黄色い顔をこちらに向けている・・・
冬と春とのせめぎあいがなんともエキサイティングな車中花見を楽しみました。
自然のなかを通過するときはいつも、自分が詩人になるのを感じます。
ただ、こんなことばかり書いていたらコンサートのことが書けなくなるのでこれくらいにしておきますが・・・
いや・・・
最も印象的だったのは、決然と何ものにも染まらない艶消しの白い花をいっぱい咲かせた林檎の樹であったことだけは書いておかなくちゃいけません。(^^;)
やはり・・・
「まだ上げ初めし前髪の乙女」は、すべからくこの花を咲かせる樹の下に見えなければなりますまい。
さて・・・
あづみ野コンサートホールで開催された高橋多佳子さんのコンサートに行ってきました。
会社のSNSへ先に日記として紹介したので、更新が遅くなってしまいました。
投稿も2度目なら、普通、推敲されて洗練された文章になってもおかしくありませんが、我ながらあいかわらず長大だなーと呆れることしきり。。。
ホールのホスピタリティ、多佳子さんの演奏への感動の大きさの反映と受け止めていただければ幸いです。
初日のコンサート・・・
プログラムのコンセプトはショパンの生涯を多佳子さんのトークで追いながら、作曲された時期の代表曲を演奏するというもの。
最初にプログラムを見たとき、正直、この曲数で時間が持つのかなと思いました。
ですが・・・
そこはそれ・・・いつものこととはいいながら、ステージでの多佳子さんのあの声、いかんとも形容しがたい年齢不詳トークの巧みな手練にはまること2時間半、もちろん演奏も新鮮な円熟味が醸し出された素晴らしい内容で、非常に得るものが多いコンサートとなりました。
いわゆる通俗名曲集であるにせよ、ここでも「やはりこれは・・・!?」という数多くの気づきをもたらしてくれる・・・
これが、高橋多佳子が弾き手の演奏会のかけがえのなさなんですよね。(^^;)
冒頭写真のとおり、桜をイメージしたというドレス・・・これは言われなきゃ気づきませんでした・・・もよくお似合いで・・・^^
それでは・・・
当日のプログラムを追っていきましょう。
自然にショパンの生涯を辿ることができるという、画期的なストーリーです。(^^;)
まず前半・・・
11歳のときに「だいすきなジヴニー先生へ」と献辞を添えてピアノの老先生に捧げたというポロネーズからスタート。
楽曲の『完成度』などといってしまえばさすがにしれてますが、たしかにメロディーのそこかしこに“しょぱん”という“なまえ”が刻印されている曲ですね。
最初の一音でホールのピアノの音色がとても深化したことに気づかされ、多佳子さんはたっぷりした呼吸で慈しむように弾き進めていく・・・
エピソードどおりの愛らしい曲、深い共感が感じられて素敵でした。
次のマズルカはショパンらしい和声の萌芽が見られる作品。
多佳子さんのHPに文章を寄せておられるロイヤルトランペットさんが“鯉のぼりマズルカ”と呼ばれた曲です・・・。
蒲柳の質だったショパンが療養のために田舎の温泉に行った先で聞き覚えたリズムによる舞曲形式、のちにこれを芸術の極みにまで高めるのですがその最初期の作品・・・。
ぐっとショパンらしさが増した楽曲、演奏のし甲斐もアーティスティックな面でのトライができるようになったという感じですね。
20歳のとき・・・
初恋の人コンスタンツィア・グラドコフスカを、そして革命前夜の故郷ポーランドを去ってウィーンへ赴く・・・
これがショパンの祖国との今生の別れになってしまったそうですが、そのころ作曲された途方もなく美しいメロディーのエチュード「別れの曲」。
多佳子さんのCDを聴き親しんでいる私には、楽曲進行の呼吸がこうあってほしいというそのとおりに展開していくのですが、今そこで音楽が生まれているという新鮮さが感じられてとても嬉しい演奏でした。
水戸黄門のあらすじがお約束でも、感激するところは感激できるのと同じでしっかり感動しました。
ウィーンを離れパリに向かう途中でワルシャワ陥落の報に接し、神を呪いながらピアノに激情をぶちまけた「革命」のエチュード。
振り返れば、私にとってはこれが前半の白眉でしたね・・・。
というのは・・・
この演奏には本当に驚いてしまったから。
左手が鍵盤上で縦横無尽に運動を繰り広げ、右手のオクターブの旋律が叩きつけられるというこの曲・・・
左手のためのエチュード(練習曲)であることにまったく異論ありませんが、実はメロディーはずっと右手で弾かれるわけで・・・。
これをいかに魅力的に弾くのかという点、左手が単に機械的になってしまわない点などに技術的にも芸術上の要求からも意が用いられるか・・・
この点、多佳子さんの演奏はあれだけ細かい左手に微妙なニュアンスを施して、よく練られているのだろうけど、思いつくままにこまかい表情を作り上げていく・・・
その手際に恐れ入るとともに、鳥肌が立つほど感動しました。
まさに、私にとってこの曲の演奏史上最高の名演だったといえるでしょう。(^^;)
生計がたたず苦労していたショパンに、ポーランド貴族のラジヴィーヴ伯爵が口利きしてくれてパリの社交界にデビュー・・・
曲の楽譜とピアノ教師収入が生業の源となったショパン。
そんな彼にとって楽譜が飛ぶように売れる大ヒット曲となり、生活の安定をもたらしたのが“華麗なる大円舞曲”。
多くの人が知っている曲で、この曲がチャーミングであることは論を待ちませんが、真にチャーミングな「演奏」とはありそうでなかなかないものです。
ここ2年ぐらいの多佳子さんの演奏には、明らかに風格が増してきています。
表現の幅も広がって「やりたい放題」とさえいってもよいのでは・・・?
それでも不安定にならないし、ましてや解釈上の破綻などは絶対にない。。。
これは当たり前のようでいて、実は非常な練習量のなせるワザでしょう。
眼前では、実は大変なことが起こっていたのです!^^
また、先にも記しましたが・・・
本人肉声の解説があって「じゃあ・・・」っておもむろに弾き始めた音が、あっという間に世界的にアカデミックな音色を湛えているというのが信じられません・・・。
それにお話しぶりと演奏のギャップ・・・
多佳子さんの頭の中にはどのような切替スイッチがあるのか見てみたいものです。
前半最後の曲は、スケルツォ第2番。
婚約までしたものの相手の父親の反対で破談になってしまったマリア・ヴォジンスカと恋していたころの曲だということで・・・
この曲も演奏至難なんだと思います。
ホールのピアノは生音にサスティーンがあまり感じられないタイプのベーゼンドルファーですから、演奏者としては生音の確保など余計に大変だったと思うのですが、多佳子さんの生演奏で聴いたうちではもっとも素敵な奏楽でした。
中間部の美しいメロディーは、信州の山の風景に似合います。
道中の電車車中で思わずハナウタで歌っていたぐらいですから、こういう曲をプログラムに入れてもらえるとうれしいですよね。^^
後半1曲目は、ジョルジュ・サンドとの愛の逃避行をしたマジョルカ島にて作曲された24の前奏曲から第15曲の通称「雨だれ」です。
ここでは発見がありました。
ショパンは結核を発症していたために、他の人にうつさないよう修道院での生活を余儀なくされていました。
多佳子さんの解説のなかに中間部のおどろおどろしいところで、修道院の鐘が鳴るというものがあり、これを縁にはじめてこの曲の謎解きが出来たような気になったものです。(^^)v
あまりの病に臥していたショパンは、屋根あるいは窓を打つ雨音を通してきっとあの世と交信していた・・・
この曲にかねて感じていた世界感を言葉にできなかったのですが、それはものすごく怖い世界、あっちの世界を感じる・・・ということだったようです。
晩年の作品にはそこかしこに感じるイメージですが、このあたりの作品からこのような要素を曲中にグッと閉じ込めるようになっていったんですね。
具体的例を挙げれば、中間部冒頭の和音には長調と短調を決める音がわざと省かれていること・・・
調性がカムフラージュされるだけでなく、聴き手に何らかの不安定な気持ちを惹起させるのに十分な効果を挙げています。
この曲は自分でも弾いたことがありますが、楽譜を見ていても気づかなかったことを演奏を聴かせることで気づかせてしまうというのは大変なこと。
多佳子さんの解説を聞き実演を聴いて、こうしてパラドキシカルな印象を与える本質を突き止めることができたために、正しい作品分析ができたのです。(^^)v
(それが正しいかどうかは別にして。^^)
マジョルカ島から命からがら引上げてきて、寄る辺ない道中を過ごしたショパン。
パリの南200キロの田舎“ノアン”にあるサンドの別荘で療養し、体力が回復するとともに作品も傑作が続々と生まれるようになりました。
ショパンにあった気候のノアン・・・
ショパンは毎年夏に赴いて、作曲に専念する絶頂期が訪れるのですがそのころを代表する曲として弾かれたのが“英雄ポロネーズ”。
きびきびしてとにかく雄渾、暴れるピアノの響を猛獣使いのように制御するさまが圧巻でした。
多佳子さんは中間部の左手オクターブをペダルで伸ばさないタイプの演奏をされました。
私にはすっごく新鮮に聴こえました。^^
そして・・・
サンドの家庭内の問題に巻き込まれ、サンドと破局へ向かおうとしていたそんななかで生まれた愛の賛歌たる大傑作・・・
つねづねシ私がョパンの3本の指にはいる作品と評価している“舟歌”です。
実は先月浜離宮のコンサートホールで多佳子さんの演奏で聴いています。
ただ・・・
浜離宮のピアノはスタインウェイで、ここのはベーゼンドルファーとピアニストにとって大きく勝手が違うように思われます。
音色そのもののクラルテで勝負するのがベーゼンドルファー、響を潤沢に活用するスタインウェイ・・・
低音のバスのサスティーンが効かない・・・
そんななかでも、ピアノの良さを最大級に発揮できるよう弾きこなすということで、ピアニストって大変だなと思いました。
例えば・・・
マニュアル車では、車ごとにクラッチあわせの左足の感覚が微妙に違うことがわかると思います。
ピアノも同様で一台一台音色が違うし、ペダルの効き方も違うのに一定水準以上の演奏をしなければならない・・・
多佳子さんご本人もことある度ごとに演奏前の心境は例外なく「怖い」と述懐されているとおり、ピアニストという商売はとっても精神衛生上好ましくない職業なのかもしれません。
多佳子さんは非常な練習の虫。
だから、コンサート会場でも事前に練習をみっちりしてピアノとホールの特性をインプットされています。
今回2日続きのリサイタルですが、初日が終わった後もホールのピアノでひとり深夜まで練習を重ねていたそうです。
だからこそ我々は感動できるわけであり感謝の念とともに、その努力にはただただ頭が下がるというもの。(^^;)
そして・・・
最後の絶筆マズルカ。。。
晩年はもう何もする気がなくなってしまったかのような生活が続き、力ない字で書かれた楽譜・・・なんだそうです。
この曲は最初の1音でやられました。
ピアノの1音ですべての雰囲気を語ってしまえるというのも、一流ピアニストなればこそ。
あの1音が聴けただけでも、コンサートに足を運んだ甲斐があったというものです。
そういえば・・・
後半の楽曲は英雄ポロネーズはともかく、他は“あっちの世界”にまつわる曲・・・
もしかしたら多佳子さんにはそんなコンセプトもあったのかもしれません。
ところで・・・
ショパンは3つの遺言をしていたそうです。
まず、遺体はパリに埋め心臓はワルシャワの聖十字架協会に安置して欲しいということ、次に、葬儀にはモーツァルトのレクイエムを使って欲しいこと・・・ここまでは守られました。
最後は、出版されていない楽譜は破棄して欲しいということ・・・
でしたが、これは楽譜を預かった友人のフォンタナが骨を折って出版してしまったため守られませんでした。
が・・・
だからこそ「幻想即興曲」などショパンを代表する曲が抹殺の憂き目から逃れえたんですよね。
全人類のためには間違いなくよかったのかなと思います。
これも因縁というものでしょうか・・・。
アンコールで弾かれたこのっ曲も多佳子さんからよく聴く曲・・・
フィギュアスケートのエキシビジョン演技を思わせるリラックスした弾きぶりで、愛奏曲であることが伺われました。。。
フィギュアスケートといえば、4回転に挑戦してバランスを崩したり、回転不足になったりとか・・・
演奏会ではすべからく演奏家の方の思惑と外れた箇所があるはずで、お郷の知れないおたやまじゃくしがいたり、神隠しにあったおたまじゃくしがいたりするのが私でもわかるような箇所も確かにあります。
でも・・・
私はプルシェンコの論の味方。
最善を尽くした準備をしたうえで限界にチャレンジしてくれている姿勢こそが尊いと思います。
その期待に必ず応えてくれるピアニスト、それを応援する体制を備えたコンサートホール・・・
トレビアン!(^0^)/
というわkで、次の機会も事情が許す限り安曇野に行きたいと願っています。^^
みなさん・・・
多佳子先生の講義のノートを駆け足でたどりましたが、ショパンの39年の生涯をイメージいただけましたでしょうか?
音がないとやっぱりムリかな!?(^^;)
演奏会2日目の模様は、次の記事でご紹介します。(^^;)
高橋多佳子 ピアノ・リサイタル
“ピアノの詩人ショパン ~その39年のあゆみ~”
《前半》
1.ポロネーズ 第13番 変イ長調 遺作
2.マズルカ 作品68-3(遺作) ヘ長調
3.練習曲 ホ長調「別れの曲」 作品10-3
4.練習曲 ハ短調「革命」 作品10-12
5.ワルツ 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」
6.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
《後半》
7.24の前奏曲 変二長調「雨だれ」 作品28-15
8.ポロネーズ 変イ長調「英雄」
9.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
10.マズルカ 作品68-4(遺作) ヘ短調
《アンコール》
11.幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
(2010年4月10日 あずみ野コンサートホールにて)
“あづみ野コンサートホール”の開館10周年を心よりお祝い申しあげます。
また、定期的に高橋多佳子さんのコンサートを開催してくださり誠にありがとうございます。
春に秋にと訪れてはこの場に集まるみなさんといっしょに、単にコンサートに訪れただけではない感動を分かち合うことができる・・・私にとってかけがえのない空間です。
これからも、銘器ベーゼンドルファーの音色が深く成熟を重ねていくとともにますますのご発展を遂げられ、音楽を通した素晴らしいふれあいの場であり続けていただくことを祈念いたします。
いやはや・・・
なんとも堅苦しい出だしだなぁ~。。。(^^;)
信州に向かう特急あずさ、トンネルの合間に一瞬射し込んだ陽の光でまどろみから覚めると・・・
甲斐大和駅付近の桜並木に目が釘付けになったものです。
ずっしりどっさり花を抱えたソメイヨシノも見事なら、遠く近くに点在する鮮やかな緋色の桃畑などとりわけ幻想的で見事の一語。
山間(やまあい)の村の風景はその言葉通りに“桃源郷”のイメージを否応なく喚起してくれました。
ややあって・・・
視界には赤石岳が現れ、頂以下氷雪に閉ざされた峻厳そのものの景観は、春ののどかさとはまったく別の世界をかもし出し・・・
眼下には枯れ草の間隙を突き破り、水仙が勢いよく黄色い顔をこちらに向けている・・・
冬と春とのせめぎあいがなんともエキサイティングな車中花見を楽しみました。
自然のなかを通過するときはいつも、自分が詩人になるのを感じます。
ただ、こんなことばかり書いていたらコンサートのことが書けなくなるのでこれくらいにしておきますが・・・
いや・・・
最も印象的だったのは、決然と何ものにも染まらない艶消しの白い花をいっぱい咲かせた林檎の樹であったことだけは書いておかなくちゃいけません。(^^;)
やはり・・・
「まだ上げ初めし前髪の乙女」は、すべからくこの花を咲かせる樹の下に見えなければなりますまい。
さて・・・
あづみ野コンサートホールで開催された高橋多佳子さんのコンサートに行ってきました。
会社のSNSへ先に日記として紹介したので、更新が遅くなってしまいました。
投稿も2度目なら、普通、推敲されて洗練された文章になってもおかしくありませんが、我ながらあいかわらず長大だなーと呆れることしきり。。。
ホールのホスピタリティ、多佳子さんの演奏への感動の大きさの反映と受け止めていただければ幸いです。
初日のコンサート・・・
プログラムのコンセプトはショパンの生涯を多佳子さんのトークで追いながら、作曲された時期の代表曲を演奏するというもの。
最初にプログラムを見たとき、正直、この曲数で時間が持つのかなと思いました。
ですが・・・
そこはそれ・・・いつものこととはいいながら、ステージでの多佳子さんのあの声、いかんとも形容しがたい年齢不詳トークの巧みな手練にはまること2時間半、もちろん演奏も新鮮な円熟味が醸し出された素晴らしい内容で、非常に得るものが多いコンサートとなりました。
いわゆる通俗名曲集であるにせよ、ここでも「やはりこれは・・・!?」という数多くの気づきをもたらしてくれる・・・
これが、高橋多佳子が弾き手の演奏会のかけがえのなさなんですよね。(^^;)
冒頭写真のとおり、桜をイメージしたというドレス・・・これは言われなきゃ気づきませんでした・・・もよくお似合いで・・・^^
それでは・・・
当日のプログラムを追っていきましょう。
自然にショパンの生涯を辿ることができるという、画期的なストーリーです。(^^;)
まず前半・・・
11歳のときに「だいすきなジヴニー先生へ」と献辞を添えてピアノの老先生に捧げたというポロネーズからスタート。
楽曲の『完成度』などといってしまえばさすがにしれてますが、たしかにメロディーのそこかしこに“しょぱん”という“なまえ”が刻印されている曲ですね。
最初の一音でホールのピアノの音色がとても深化したことに気づかされ、多佳子さんはたっぷりした呼吸で慈しむように弾き進めていく・・・
エピソードどおりの愛らしい曲、深い共感が感じられて素敵でした。
次のマズルカはショパンらしい和声の萌芽が見られる作品。
多佳子さんのHPに文章を寄せておられるロイヤルトランペットさんが“鯉のぼりマズルカ”と呼ばれた曲です・・・。
蒲柳の質だったショパンが療養のために田舎の温泉に行った先で聞き覚えたリズムによる舞曲形式、のちにこれを芸術の極みにまで高めるのですがその最初期の作品・・・。
ぐっとショパンらしさが増した楽曲、演奏のし甲斐もアーティスティックな面でのトライができるようになったという感じですね。
20歳のとき・・・
初恋の人コンスタンツィア・グラドコフスカを、そして革命前夜の故郷ポーランドを去ってウィーンへ赴く・・・
これがショパンの祖国との今生の別れになってしまったそうですが、そのころ作曲された途方もなく美しいメロディーのエチュード「別れの曲」。
多佳子さんのCDを聴き親しんでいる私には、楽曲進行の呼吸がこうあってほしいというそのとおりに展開していくのですが、今そこで音楽が生まれているという新鮮さが感じられてとても嬉しい演奏でした。
水戸黄門のあらすじがお約束でも、感激するところは感激できるのと同じでしっかり感動しました。
ウィーンを離れパリに向かう途中でワルシャワ陥落の報に接し、神を呪いながらピアノに激情をぶちまけた「革命」のエチュード。
振り返れば、私にとってはこれが前半の白眉でしたね・・・。
というのは・・・
この演奏には本当に驚いてしまったから。
左手が鍵盤上で縦横無尽に運動を繰り広げ、右手のオクターブの旋律が叩きつけられるというこの曲・・・
左手のためのエチュード(練習曲)であることにまったく異論ありませんが、実はメロディーはずっと右手で弾かれるわけで・・・。
これをいかに魅力的に弾くのかという点、左手が単に機械的になってしまわない点などに技術的にも芸術上の要求からも意が用いられるか・・・
この点、多佳子さんの演奏はあれだけ細かい左手に微妙なニュアンスを施して、よく練られているのだろうけど、思いつくままにこまかい表情を作り上げていく・・・
その手際に恐れ入るとともに、鳥肌が立つほど感動しました。
まさに、私にとってこの曲の演奏史上最高の名演だったといえるでしょう。(^^;)
生計がたたず苦労していたショパンに、ポーランド貴族のラジヴィーヴ伯爵が口利きしてくれてパリの社交界にデビュー・・・
曲の楽譜とピアノ教師収入が生業の源となったショパン。
そんな彼にとって楽譜が飛ぶように売れる大ヒット曲となり、生活の安定をもたらしたのが“華麗なる大円舞曲”。
多くの人が知っている曲で、この曲がチャーミングであることは論を待ちませんが、真にチャーミングな「演奏」とはありそうでなかなかないものです。
ここ2年ぐらいの多佳子さんの演奏には、明らかに風格が増してきています。
表現の幅も広がって「やりたい放題」とさえいってもよいのでは・・・?
それでも不安定にならないし、ましてや解釈上の破綻などは絶対にない。。。
これは当たり前のようでいて、実は非常な練習量のなせるワザでしょう。
眼前では、実は大変なことが起こっていたのです!^^
また、先にも記しましたが・・・
本人肉声の解説があって「じゃあ・・・」っておもむろに弾き始めた音が、あっという間に世界的にアカデミックな音色を湛えているというのが信じられません・・・。
それにお話しぶりと演奏のギャップ・・・
多佳子さんの頭の中にはどのような切替スイッチがあるのか見てみたいものです。
前半最後の曲は、スケルツォ第2番。
婚約までしたものの相手の父親の反対で破談になってしまったマリア・ヴォジンスカと恋していたころの曲だということで・・・
この曲も演奏至難なんだと思います。
ホールのピアノは生音にサスティーンがあまり感じられないタイプのベーゼンドルファーですから、演奏者としては生音の確保など余計に大変だったと思うのですが、多佳子さんの生演奏で聴いたうちではもっとも素敵な奏楽でした。
中間部の美しいメロディーは、信州の山の風景に似合います。
道中の電車車中で思わずハナウタで歌っていたぐらいですから、こういう曲をプログラムに入れてもらえるとうれしいですよね。^^
後半1曲目は、ジョルジュ・サンドとの愛の逃避行をしたマジョルカ島にて作曲された24の前奏曲から第15曲の通称「雨だれ」です。
ここでは発見がありました。
ショパンは結核を発症していたために、他の人にうつさないよう修道院での生活を余儀なくされていました。
多佳子さんの解説のなかに中間部のおどろおどろしいところで、修道院の鐘が鳴るというものがあり、これを縁にはじめてこの曲の謎解きが出来たような気になったものです。(^^)v
あまりの病に臥していたショパンは、屋根あるいは窓を打つ雨音を通してきっとあの世と交信していた・・・
この曲にかねて感じていた世界感を言葉にできなかったのですが、それはものすごく怖い世界、あっちの世界を感じる・・・ということだったようです。
晩年の作品にはそこかしこに感じるイメージですが、このあたりの作品からこのような要素を曲中にグッと閉じ込めるようになっていったんですね。
具体的例を挙げれば、中間部冒頭の和音には長調と短調を決める音がわざと省かれていること・・・
調性がカムフラージュされるだけでなく、聴き手に何らかの不安定な気持ちを惹起させるのに十分な効果を挙げています。
この曲は自分でも弾いたことがありますが、楽譜を見ていても気づかなかったことを演奏を聴かせることで気づかせてしまうというのは大変なこと。
多佳子さんの解説を聞き実演を聴いて、こうしてパラドキシカルな印象を与える本質を突き止めることができたために、正しい作品分析ができたのです。(^^)v
(それが正しいかどうかは別にして。^^)
マジョルカ島から命からがら引上げてきて、寄る辺ない道中を過ごしたショパン。
パリの南200キロの田舎“ノアン”にあるサンドの別荘で療養し、体力が回復するとともに作品も傑作が続々と生まれるようになりました。
ショパンにあった気候のノアン・・・
ショパンは毎年夏に赴いて、作曲に専念する絶頂期が訪れるのですがそのころを代表する曲として弾かれたのが“英雄ポロネーズ”。
きびきびしてとにかく雄渾、暴れるピアノの響を猛獣使いのように制御するさまが圧巻でした。
多佳子さんは中間部の左手オクターブをペダルで伸ばさないタイプの演奏をされました。
私にはすっごく新鮮に聴こえました。^^
そして・・・
サンドの家庭内の問題に巻き込まれ、サンドと破局へ向かおうとしていたそんななかで生まれた愛の賛歌たる大傑作・・・
つねづねシ私がョパンの3本の指にはいる作品と評価している“舟歌”です。
実は先月浜離宮のコンサートホールで多佳子さんの演奏で聴いています。
ただ・・・
浜離宮のピアノはスタインウェイで、ここのはベーゼンドルファーとピアニストにとって大きく勝手が違うように思われます。
音色そのもののクラルテで勝負するのがベーゼンドルファー、響を潤沢に活用するスタインウェイ・・・
低音のバスのサスティーンが効かない・・・
そんななかでも、ピアノの良さを最大級に発揮できるよう弾きこなすということで、ピアニストって大変だなと思いました。
例えば・・・
マニュアル車では、車ごとにクラッチあわせの左足の感覚が微妙に違うことがわかると思います。
ピアノも同様で一台一台音色が違うし、ペダルの効き方も違うのに一定水準以上の演奏をしなければならない・・・
多佳子さんご本人もことある度ごとに演奏前の心境は例外なく「怖い」と述懐されているとおり、ピアニストという商売はとっても精神衛生上好ましくない職業なのかもしれません。
多佳子さんは非常な練習の虫。
だから、コンサート会場でも事前に練習をみっちりしてピアノとホールの特性をインプットされています。
今回2日続きのリサイタルですが、初日が終わった後もホールのピアノでひとり深夜まで練習を重ねていたそうです。
だからこそ我々は感動できるわけであり感謝の念とともに、その努力にはただただ頭が下がるというもの。(^^;)
そして・・・
最後の絶筆マズルカ。。。
晩年はもう何もする気がなくなってしまったかのような生活が続き、力ない字で書かれた楽譜・・・なんだそうです。
この曲は最初の1音でやられました。
ピアノの1音ですべての雰囲気を語ってしまえるというのも、一流ピアニストなればこそ。
あの1音が聴けただけでも、コンサートに足を運んだ甲斐があったというものです。
そういえば・・・
後半の楽曲は英雄ポロネーズはともかく、他は“あっちの世界”にまつわる曲・・・
もしかしたら多佳子さんにはそんなコンセプトもあったのかもしれません。
ところで・・・
ショパンは3つの遺言をしていたそうです。
まず、遺体はパリに埋め心臓はワルシャワの聖十字架協会に安置して欲しいということ、次に、葬儀にはモーツァルトのレクイエムを使って欲しいこと・・・ここまでは守られました。
最後は、出版されていない楽譜は破棄して欲しいということ・・・
でしたが、これは楽譜を預かった友人のフォンタナが骨を折って出版してしまったため守られませんでした。
が・・・
だからこそ「幻想即興曲」などショパンを代表する曲が抹殺の憂き目から逃れえたんですよね。
全人類のためには間違いなくよかったのかなと思います。
これも因縁というものでしょうか・・・。
アンコールで弾かれたこのっ曲も多佳子さんからよく聴く曲・・・
フィギュアスケートのエキシビジョン演技を思わせるリラックスした弾きぶりで、愛奏曲であることが伺われました。。。
フィギュアスケートといえば、4回転に挑戦してバランスを崩したり、回転不足になったりとか・・・
演奏会ではすべからく演奏家の方の思惑と外れた箇所があるはずで、お郷の知れないおたやまじゃくしがいたり、神隠しにあったおたまじゃくしがいたりするのが私でもわかるような箇所も確かにあります。
でも・・・
私はプルシェンコの論の味方。
最善を尽くした準備をしたうえで限界にチャレンジしてくれている姿勢こそが尊いと思います。
その期待に必ず応えてくれるピアニスト、それを応援する体制を備えたコンサートホール・・・
トレビアン!(^0^)/
というわkで、次の機会も事情が許す限り安曇野に行きたいと願っています。^^
みなさん・・・
多佳子先生の講義のノートを駆け足でたどりましたが、ショパンの39年の生涯をイメージいただけましたでしょうか?
音がないとやっぱりムリかな!?(^^;)
演奏会2日目の模様は、次の記事でご紹介します。(^^;)
You Tubeで高橋多佳子さんを投稿してくれたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=L6s19MZh2pM&feature=related
楽曲よりも肉声によるトークですが、声を聴いたのはこれが初めてです。本来なら春本番なのに冬の日が多い。
昨年から更新のペースが落ちました。
書くことがないのではなく、近隣で起きているブログ荒らしといったスパム書き込みによるものです。
記事には文字制限がありますが、コメント欄には文字制限がないのか、ブロガーの気持ちを平気で無視して書きたい放題の落書き帳。書きたいことがあるならば自分のブログで書けばいいと思ったこともあります。
2回目の記事を楽しみにしています。
自分のブログを書くのはおろか、見ることすらなかなかできない状況になっておりちょっと残念です。(-"-;)
youtubeありがとうございます。
こんな画像がアップされているなんて知りませんでしたが、実演だと演奏も声もさらに魅力的ですよ。^^
スパムにお困りとのこと、大変ですね。。。
時折、拝見させていただいていますので、eyes_1975さんもマイペースで更新なさってください。
後半も近日中にはアップしますね。^^