SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

【緊急投稿】CDで押える期待の若手ヴァイオリニスト

2007年03月10日 00時00分01秒 | 器楽・室内楽関連
★無伴奏ヴァイオリンでたどる5世紀の旅
                  (演奏:ステファニー=マリー・デギャン)
1.ビーバー:「ロザリオのソナタ集」~パッサカーリャ ト短調
2.J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
3.パガニーニ:24の奇想曲op.1~ 第5番、第15番、第24番
4.イザイ:六つのソナタop.27~ソナタ第3番ニ短調「バラード」
5.イザイ:六つのソナタop.27~ソナタ第6番ホ長調
6.タンギー:ソナタ・ブレーヴェ(短いソナタ)~リリーク(叙情的に)
7.タンギー:ソナタ・ブレーヴェ(短いソナタ)~エトランジュ(風変わりに)
8.タンギー:ソナタ・ブレーヴェ(短いソナタ)~ヴェルティジニュ(めまいがするほど)
                  (2002年録音)

ヴァイオリニストは数多くいても、私が実演を聴いて楽しむのであれば、先ごろもコンサートに行ってカンゲキの演奏を聴かせてくれた礒さんがいれば充分なのですが、そうはいってもいろんな人の演奏を聴いてみたいとも思っているわけではあります。

とうぜんその舞台はまずはディスクということになるわけなのですが、若手ヴァイオリニストでCDを聴いて「こっ、これは・・・!?」と思った3人をご紹介しましょう。

これは某所で私のことをあろうことか“エロ・セオリスト”なぞと呼んでいただいているのを発見してしまったために、緊急投稿するものです。
しかしまあ、ジャケ写第2段を投稿してホッとしたところで、いつも楽しみにしているみなさんのブログをチェックしに行ったら、いきなり“エ●・セオリスト”ですもんねぇ・・・。
これまたアップする記事を、事前に読まれたようなタイミングで発言されているものですから驚いた・・・。
書きかけで寝かしてある記事まで、見られてるんじゃないかと若干心配になったりしてますがね!  ←突然名古屋弁が出る。

それにしても、どうせ言うなら最近の記事を見てくださってるならば“エビ(ちゃん)・セオリスト”とかねぇ。
他にも言い回しがあるんじゃないでしょうかねぇ!?

いくらなんでも“エロ”じゃ、仮に事実だとしても「そうですね!(^^)v」なんて簡単に首を縦に振れないじゃないですか!
“エロス・セオリスト”であればまだしも・・・ねぇ。
プラトン哲学で求め続ける対象が真実(エロス)ですからねえ、これであれば正に私に相応しい・・・。
セオリストってのも理論家のことですよね。空論に終始する人って意味じゃないですよね!?

などと、“自分の正当化”しか考えていないようなことをグダグダ言っても始まらないので、そろそろヴァイオリニストの紹介行きましょう・・・。
ご紹介のディスクの共通項としては、すべてのCDに“バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番”が収められていること。
みんな余程自信があるのねぇ~・・・ってな感じですな。

まずは、イントラーダ・レーベルから無伴奏の曲ばかりを引っさげて彗星のように現われたこの方から・・・って、いきなりこういう美形の手になるディスクを紹介すると、また“エロ”と勘違いする人が出てきやしないかと心配になりますが、あくまでも演奏本位でチョイスしてるんですからねっ、と・・・。

  えっ、疑ってないですって!?

    そりゃ~、エロすんまへん・・・。  ← お約束ですな!(^^)v


プログラムをご覧いただけばお分かり(タイトルを見るともっとよく分かるが・・・)のとおり、ビーバー~タンギーに至るまで“無伴奏ヴァイオリン”の名曲を奏したディスクであります。
最初のビーバーの鄙びた素朴な音色・節回しから、時代が下るにつれてだんだん音色が明るさを帯び艶っぽくなっていくように聴こえます。それを曲に相応しく弾き分けることができる彼女の才能が素晴らしいということが、まず言えようかと思います。
もちろん、その前提として無伴奏の名曲をこのように配した企画・選曲こそが特筆に価するのだとも思いますけれど・・・。

全ての曲が相応しく弾かれているというのは先に述べたとおりですが、このうちでもっとも素晴らしいと思ったのは、古色に溢れたビーバーですね。

今後の動静にも注目したいヴァイオリニストです。

★魂のシャコンヌ
                  (演奏:ジョセフ・リン)


1.イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番 ホ長調 (M.キロガに)
2.J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003
3.イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 (G.エネスコに)
4.J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
5.チャン・イ・チェン:「凝視」 ~地震犠牲者への追悼~ 《これのみライヴ録音》
                  (2005年録音)

ジャケットを見た瞬間、「ど根性ガエルの梅三郎(ウメさん)ってヴァイオリン弾けたんだ・・・」と思うぐらいに下顎を突き出して演奏されているジョセフ・リンに笑ってしまいました。
でも顔立ち全体としては、ゴリライモのほうが似てるかな!?

しかしこの演奏がなかなか・・・。
とにかくどこまでもおおらかで明るくてカロリーが高い・・・。
はるかモンゴルの草原を思わせるような奏楽・・・って行ったことないけどそんなイメージがあります。

魂のと謳ってあるのは誇張でもなんでもなく、カロリーが高いだけでなく燃焼度も高い演奏であります。

ご覧になって分かるとおり、冒頭のデギャン嬢のディスクと相当プログラムが重なっておりますが、本当に好対照の演奏といえると思います。
ホントにイザイの3番なんて、同じ曲とは思えないぐらい印象がちがう・・・。
デギャン嬢はどちらかというと艶消しサッパリ型(決してパサパサだとか過不足があるということではありません。念のため)であるのに対して、リン氏はコラーゲンたっぷりでぷっくリップ型という感じです。

シャコンヌひとつとっても、曲が描くキャンバスは時間の差(1分ぐらいリン氏が長い)以上に大きく取っているように感じられますし・・・。少なくとも外面的に感じられる燃焼度は、リンの演奏のほうが高いといってよいような気がします。
ただし、内省的にどこまで落としこまれているかというと相対的にはデギャン嬢のほうが声高にモノを言っていない分、却って深いような気もしないではない・・・難しいところです。
両方聴くことで、どっちの特徴もよく映えてより楽しいと思わされますですよ。

そうそう、特筆すべきは最後のライヴ録音です。
これのみピアノ伴奏付きなんですが、ウメさんにこんなセンシティブな感性があったのかと唸ってしまうような感じ切った演奏。ノッて弾けたときのライヴならではの表現の繊細さに心打たれます。これはオススメだと思います。

なお、録音の会場である魚沼市小出郷文化会館は、先ほど帰ってきた長岡の私の留守宅から約40分のところです。何も関係有りませんが。。。

★J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
                  (演奏:ヒラリー・ハーン)

1.パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
2.パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
3.ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
                  (1997年)

なんだかんだ言いながら、結局ハーンをここで出してしまう私なのでした。(^^)/

でも写真は小さくてニンニクは必要なさそうだし、このジャケならいかにも“エロ・セオリスト”ではなくエロスの探求者らしいでしょ!!
それにプログラムはこれまた無伴奏の曲ばかりで・・・これはハーンのデビュー作でしたよね。正に衝撃のデビューだと思ったものですが、もう10年にもなるんだ・・・。
いつも思うけど、トシ取るはずだよね。。。ふぅ・・・。

そこでこの演奏ですが「蠱惑的な音色をヴァイオリンから出しなさい、それも生気に溢れた質感で!」という課題を出してみたら、ハーン嬢が終始その音色で弾いちゃったという感じです。
「パルティータ第3番の冒頭がそうです」というだけなら、結構いろんなところでそのような演奏には出会えるような気がするのですが、全曲通して生気を失わないとなると・・・私はレイチェル・ポッジャーの演奏しか知りません。

実はポッジャーの演奏のほうが好きなのですが、現代の楽器である分ハーンの音色の方が濃やかな艶が乗っているところなんかもあって、テンポもじっくり取っているので指折れる美点はむしと多いのかもしれません。
でも、どっちか聴くならポッジャーだなぁ~。
いつも言うとおり優劣では決してなく、たまたま私の耳がポッジャー系の傾向の音を求めている、ということに過ぎませんのでお間違いなきよう・・・。

これらの他にもいっぱいバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータは持っていますが、どれもこれも独特の美質を備えていて、この曲を前にした演奏家はやっぱり“気合はいってんだなぁ~!”というのが感想・・・。
この曲集の全集盤で私が好きなディスクをあげれば、ジェラール・プーレ、ルミニッツァ・ペトレ、ギドン・クレーメル(新盤)、シギスヴァルト・クイケン、我が国のヴァイオリニストでは加藤知子さん、前橋汀子さんなんかの録音でしょうか・・・。やっぱりメジャーなのばっかりですね。
ほかにもあるけど、またこれらのディスクは別の機会にご紹介することにいたします。(^^)v

上の2人でシャコンヌの演奏を比較したのでついでに書いておきますが、ハーン譲のシャコンヌは18分余とリン氏よりも3分も長い・・・。

美しいかどうかはちょっと分からないけれど、張りのある思わせぶりな(アンニュイとはちょっと違うんですが、うまく言えません)音色で終始多彩なワザを使えるところを見せてくれています。
8分の曲だったら大絶賛しますけど、18分この音で巧みに工夫をし続けてくれたとしても、それはそれで凄いこととはいえ、チョッと冗長に感じてしまいました。
残念ながら“こんなおじさんを許して状態”ですなぁ~。

あくまでも私の個人的な意見としては巧まずしてもっと内から湧き出すとか、にじみ出るものが、特にこのように人口に膾炙している“シャコンヌ”という曲であればこそ欲しいんですよね。
もちろん「この音色・弾き方がたまらない」と仰るかたも大勢いらっしゃるだろうとは思いますけど・・・。


こんなに書き連ねてしまったために、この記事を書いた意図がわかんなくなってきちゃいましたが、要するにこれからは私のことを形容するときは、どうか“エロスの探求者―エロス・セオリスト”というようにしてつかーさい!
・・・ってことです。ゆめゆめ“ス”を節約しないよ~に!! (^^)v


エロすんまへんが、また事情により先日付投稿させていただきやす!

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4 コメント

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穴埋め問題 (梨形館 裏 主人)
2007-03-09 23:08:22
>“エロ・セオリスト”
インリン・オブ・ジョイトイみたいで
        ちょいといい感じでしょ……?

ずいぶん以前の話ですが、芸大音楽科の女の子がバイトに来ていたので、
“貴女の御学友に以下の問題を出題すべし”と、
このような穴埋め問題を出しました。

   ○ープランド

後日結果を訊いてみると、全員、“コープランド”と答えられなかったということでした。コープランドは草葉の陰で泡食っているにちがいない……。

ところで、ヒラリー・ハーンの例のCDをジャケ買いしました。
一緒にエルガーの『ヴァイオリン協奏曲』も、聴いたことがないので買ってみました。……げ、協奏曲で演奏時間50分はつらいだろう、などと早くも二の足を踏みかけてますが。

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アーロンといえば・・・★ (クラウディオ アラウ)
2007-03-10 00:40:12
ネヴィルでしょう・・・。
“WARM YOUR HEART”というアルバムを持っていますが、これはこの世界では最高の音楽です。人恋しいときに聴くとたまりまへん!!

それとも755本のホームランを打ったスラッガーとか? (^^)/


“梨形館 ○ 主人”さんに“エロ・セオリスト”に認定いただいた手前、その責任において上記音大生コメントの事実を分析させていただきますと、いまどき“エル・サロン・メヒコ”とか“アパラチアの春”なんて曲はまっとうな音大生は聴いていないということなんでしょう。
アメリカ音楽の父なんて書いてあったのを見たことがあるように思いますが、やはり音大においては欧州が本場かもしれませんね。


ところで、もしかして“裏”主人さんが出された問題というのは、音楽科の人が対象ということで・・・

「適当な“音名”を当てはめて意味のとおる単語にしなさい!」

だったのではないですか?
だとすると“コ”は入らないですもんねぇ・・・。

それに“穴埋め”問題という単語も、何とはなくイミシンに思えるのは私だけなんでしょうか?
なにかこう、別に意図されるところがあったのではないですか?
“ないはずはない!”と睨んでおりますが・・・。

こう考えるとたとえインリン様でも困って、ちょっと引いちゃう問題だったかもしれないのではと勘ぐってみちゃったりする私。(^^)v

まぁ、インリン様であれば、あの設問の前提がどうであれ“コ”を入れるとは思えませんけど・・・。

さて、ヒラリー・ハーンは確かに凄いヴァイオリニストです。ヴァネッサ・メイとは音楽性もあらゆるスタイルも違うけど、素材としてはケタ違い。
ただ、一時のソニーのジャケットのコンセプトはまったく彼女にとって益にならなかったものと思います。

彼女の演奏にも通じる姿勢についてですが、どうもインリン様のように不自然に見せすぎです。
黒いボンテージでびっちりと覆って大胆に蹲踞(そんきょ)するよりも、薄手の布が自然に閉じられた大腿に掛かっているほうが、数万倍そそられると思います。

それを終始、流麗な技巧とアイデアで突っ走ってしまわれては・・・。一瞬、正気に帰ったときに、私はどうしても引いてしまうことになるのです。

黒いボンテージでも、白い薄手でも、たゆみない素材・技術の練り上げはもとよりたいへんな勇気もいることであろうかと思いますが、効果の差を考えるとハーンやインリン様の行き方には妥当とは思えない点が散見され、残念な思いを禁じえないのがセオリストとしての見解であります。

なおエルガーのヴァイオリン協奏曲は、ズッカーマンの演奏で持っておりますが、当然のことながらカップリングされているオケ伴奏の“愛の挨拶”のほうを数段名曲であると判断しております。
威風堂々も好きですけど、コンチェルトはちょっと・・・。

《愛の挨拶》
これも古今東西名演にことかかない曲ですが、昨年のゴールデンウィークに軽井沢で聴いた磯絵里子さんの演奏は、至福の体験でしたねぇ。(^^)v
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聴いてみた…… (梨形館主人)
2007-03-10 19:52:12
エルガーは……実はあまり相性のよい作曲家ではなくて、『序曲 コケイン』などの演奏会序曲は軒並み×で、『チェロ協奏曲』も馴染めない。『威風堂々第1番』すら、中間部を除くとなんだかモサモサしていてそれほど好きではありません。
 ところが『交響曲第1番・第2番』『ヴァイオリン・ソナタ』『ピアノ五重奏曲』は聴けましてね、お気に入りの中に入っております。
『ヴァイオリン協奏曲』もOKでした。お好きじゃないようなのでくどくどとは書きませんが……(^_^;)。

そのあと、隠れ名曲、トール・アウリンの『ヴァイオリン協奏曲第3番』を聴きなおす。加齢により涙腺が緩みつつあるので、何年か前の“なんか期待していたものとずれている”という感想を覆して、ほれぼれと聴く……。
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それはよかったですね! (クラウディオ アラウ)
2007-03-10 20:59:47
エルガーのヴァイオリン・コンチェルト、梨形館主人さんのお耳に適ったようで、ご同慶の至りでありまする。

トール・アウリンという方は寡聞にして存じませんが、いずれ何かの機会に当たってみたいと思います。私がエルガーのヴァイオリン協奏曲をほれぼれと聴くことができるようになったらね・・・。

この楽曲については、庄司紗矢香さんのチャイ・メンの協奏曲の記事を踏まえて教えていただいていると勝手に解釈させていただいておりますが、真にありがとうございます。

ずれていると思っていたものが、振り返ってもう一度聴くとなぜかしら自分の感性にフォーカスしているということはままあることですよね。

この何日かの間に、セレンディピティという概念についての記述を読みました。それによると、自分の中にとにかく取り込んでおいた知識は、そのときは自分の中で腑に落ちていなくとも頭の中に寝かしておくことによって、時間とともに自分のものになっていって、あるまったく別のきっかけによって覚醒するということがあるようです。

その文章はノーベル賞の田中さんの分子をイオン化して計量する方式(機械)の発見や、ポスト・イットの元になるごく弱い接着剤開発のいきさつなどが、このセレンディピティの恩恵を受けているということを紹介するものでしたが、私にはまさにセレンディピティの効果こそが自分の楽しめる音楽の領域を拡大する要因であると信じられる発見でありました。

かねてより書いておりますように、エルガーのコンチェルトも嫌いというのではなく、まだ私にその良さを聴き出すためのレセプターがないだけであるということです。
きっと、ホレボレと聴くことができる日が来るものと信じております。

ちょっとおカタい文章になり恐縮ですが、一応セオリストとしての見解を述べておきまする。(^^)v

ところで、エルガーのコンチェルトのどこがいいんですか?
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