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鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

寺島宗則記念館

2023-11-22 | 史跡

阿久根市脇本の寺島宗則記念館へ行きました。

 

新田川河口右岸にある寺島宗則(松木弘安)旧家です。

寺島宗則は、1832年、近くの長野家に生まれ、幼い時伯父松木宗保の養子として、この松木家に来ました。その時の名前が松木弘安で、その後寺島宗則に改名しました。

 

旧家は記念館になっています。

寺島は、島津斉彬が進めた集成館事業に参加し、電信実験、日本初の自家製蒸気機関搭載船「雲行丸」の実用化、大砲鋳造のための反射炉の完成などで活躍しました。

 

大きな手水鉢。

30歳の時、医師兼通訳として幕府遣欧使節団に同行しました。

 

庭から脇本浦を望む。島は改名のきっかけとなった寺島です。

その後、五代友厚と共に薩摩藩英国留学生を率いて再びヨーロッパへ行きました。

 

庭に養母ヤヲが建てた石像があります。

 

左は田の神、右は神像です。嘉永元年(1848年)、松木弘安、母などと刻まれています。

 

玄関を上がったところに、肖像画があります。

帰国後は、外交や電信の整備など日本の近代化に大きな足跡を残しました。

 

3間続きの座敷です。

 

寺島宗則の子孫の長野さんに案内していただきました(長野は寺島の生家の性)。

 

ビデオの説明もありました。風光明媚な脇本浦と寺島です。

 

薩摩藩英国留学生の写真。後列右から二人目が寺島宗則です。

薩英戦争(1863年)の2年後にイギリスに留学生を派遣するとは、送る薩摩も受け入れるイギリスもすごいことです。

 

古いトランクは、ヨーロッパで持ち歩いたものでしょうか。


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (元単身赴任のYH)
2023-11-22 19:44:45
こんばんは。

先日友人たちと鹿児島を訪れた際、維新記念館に寄りました。英国への留学が、物語として映像化され、観ました。
薩英戦争の2年後でしたか。
当時の薩摩は、本当にすごいですよね。
返信する
映像 (chiro)
2023-11-23 09:04:32
YHさん

おはようございます。
鹿児島での同窓会の時、記念館で薩摩藩英国留学の映像を見られたんですね。
ありがとうございます。
戦争のわずか2年後に留学生を送るなんて、すごい度量だと思います。
返信する
こんにちは。 (momomama)
2023-11-27 10:07:01
【寺島宗則 】五代さんと違って 知りませんでした。
>薩英戦争(1863年)の2年後にイギリスに留学生を派遣する

ほんとにすごいですね。 親御さんは 無事に帰ってくるように・・・祈ったことでしょうね。
仰るように 送るほうも迎えるほうも・・・あっぱれ
返信する
度量が (chiro)
2023-11-28 09:30:08
momomamaさん

おはようございます。
寺島宗則は、鹿児島でも五代友厚ほどは知られていません。
でも、調べるとすごい人だったことがわかります。
幕末にヨーロッパへ行くなんて、普通の人には考えられないことだったでしょうね。
迎えたイギリスも、度量が大きかったと思います。
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