鹿児島市石谷町の史跡巡りをしました。
石谷の石坂です。
道路中央の低いところに石畳の坂があります。
石谷領主町田久長の嫡男町田久成は、1860年から1861年まで、伊集院の有馬新七を石谷奉行として招き、青少年の教育に当たらせました。(町田久成については次回の町田家の墓で述べます。)
青少年の不真面目なものには、罰として遠方から石を運ばせ、鹿児島・伊集院に通じる、ぬかるみの街道に石坂を造りました。
石坂を歩きました。当時は150mほどの石坂でしたが、今は50m程度が残っています。
石の形も大きさもまちまちです。
中にはかなり大きな石もあります。遠方からこれを運ぶのは大変だったでしょう。
終点の階段が見えます。
終点です。
階段の上から起点側を望む。
坂道をさらに上がると石造物があります。
1828年に建立された地蔵菩薩像です。