日置市吹上町の海蔵院跡から参道を進みます。
参道の正面に南方神社があります。
鳥居の右に、クスノキの巨木が2本あります。
クスノキの全容。
根元。
上部。
ここで伊作太鼓踊が奉納されます。赤い鳥居の前に、杉の巨木があります。
階段横に巨木の切り株があります。杉でしょうか。
南方神社(諏訪神社)社殿。鹿児島5社の第1で、島津氏の氏神として崇敬されました。
石祠の中の像です。
杉の巨木です。
根元。
上部。
日置市吹上町の海蔵院跡から参道を進みます。
参道の正面に南方神社があります。
鳥居の右に、クスノキの巨木が2本あります。
クスノキの全容。
根元。
上部。
ここで伊作太鼓踊が奉納されます。赤い鳥居の前に、杉の巨木があります。
階段横に巨木の切り株があります。杉でしょうか。
南方神社(諏訪神社)社殿。鹿児島5社の第1で、島津氏の氏神として崇敬されました。
石祠の中の像です。
杉の巨木です。
根元。
上部。
南さつま市加世田の熊野神社を紹介します。
熊野神社。鳥居の横にクスノキの巨木があります。
南さつま市名木古木です。
根元から大きく三つに分かれています。
上部。
鳥居をくぐって神社へ行きます。
熊野神社拝殿です。
赤い本殿。創建は1385年と古いです。
社殿の横にヤマモミジがあります。
ヤマモミジの下から神社を見る。紅葉の頃はきれいでしょう。
イチョウです。
切り株から小さな木がびっしりと生えています。
南九州市川辺町の小野南方神社(諏訪神社)へ行きました。
田んぼの中に、古墳のように盛り上がったところがあり、ここに神社があります。
鳥居が二つあります。
鳥居の前から田園風景を望む。
境内です。左にスダジイの巨木が2本あります。
2本のスダジイの巨木。境内が暗く向こうが明るいため、逆光で暗い写真になりました。
左のスダジイ。境内に木陰を作っています。
根元。
右のスダジイ。
社殿。
日清戦役記念碑の両側に対の狛犬があります。
右の狛犬。1689年、久保田大右衛門という石工が彫刻しました。
左の狛犬。保存状態がいいです。
姶良市蒲生町の霧島神社のムクロジを紹介します。
霧島神社。左に巨木が2本あります。
境内から見た2本の巨木。右がムクロジ、左はクスノキです。
ムクロジ(無患子)の全容。
幹周り:3.5m
樹高:27m
樹齢:190年以上
下部。県内で、これほどのムクロジの巨木は珍しいそうです。
中部。実は石鹸の代用になり、種は羽根つきの玉になります。
上部。勢いがあります。
クスノキの下部。
霧島神社社殿。創建は1851年頃です。
近くの城山から高千穂峰が見え、住民は霧島神宮に月参していましたが、遠いため霧島神社を創建したそうです。
スダジイの古木もあります。
幹に穴が開いています。
穴から社殿を見る。
日本一の巨樹、蒲生の大クスはこれまでも紹介しましたが、蒲生に来たので訪ねました。
姶良市蒲生町の蒲生八幡神社。左にもクスノキの巨木がありまが、これが大クスではありません。
左のクスノキの全容。
根元。他の神社だと、御神木としてもおかしくないです。
社殿の左にあるのが大クスです。
境内から見た大クスの全容。
幹周り:24.22m
根回り:33.57m
樹高:30m
推定樹齢:1500年
蒲生八幡神社社殿。創建は1123年で、その時クスノキは御神木として祀られていたそうです。
社殿の前から見た大クス。
根元。日本一の巨樹にふさわしく、堂々たる風格です。
反対側の根元。苔や草が生えています。
根元には直径4.5mの空洞があり、入口に扉があります。
中部。多くの植物が寄生しているそうです。
上部。まだ勢いがあり、当分大丈夫でしょう。
右にはカヤの巨木もあります。
姶良市姶良町寺師の大王神社へ行きました。
道路から見た大王神社のイチョウです。
神社へ行きます。
参道左のイチョウです。
根元から田園風景を望む。
中部。
大きく枝を広げた上部。それほど巨木と言うわけではないですが、黄葉の頃はきれいでしょう。
参道を進みます。
寺師氏発祥の地碑。ここは地名も寺師ですが、寺師氏の出身地のようです。
大王神社社殿。寺師の氏神です。
隣に寺師花菖蒲園があり、5月にいろいろな色の花を咲かせます。
前回のいちき串木野市の旭小学校近くにある、十里塚の榎を紹介します。
十里塚の榎。電柱の右が国道3号です。
正面から見た2本の榎。左が親、右が子と思われます。
1706年の覚書によると、出水筋、大口筋、高岡筋に、鹿児島城下より一里ごとに塚を設け(一里塚)、榎、松又は桜を植えたそうです。
下部。ここは出水筋の十里(40キロメートル)の塚です。
根元。
親の榎です。これは初代から4代目で、樹齢約130年と推定されています。
大きく曲がり、幹は支えられています。
根元は大きく空洞化しており、倒木が近いかもしれません。
子の榎の上部。こちらは勢いがあり、まだ当分大丈夫でしょう。
霧島市国分姫城のこがの杜を紹介します。
レンゲソウの向こうにクスノキの巨木があります。こがの杜です。
小さな公園になっており、案内板があります。
鹿ヶ谷事件が失敗し、平清盛によって僧侶俊寛、平康頼、藤原成経は鬼界ヶ島に流されました。その時の船出の場所がこの付近だったと言われています。今は海岸から離れていますが、当時はここまで海だったのでしょう。
こがの杜の碑。
藤原成経の愛人であった伯耆局(ほうきのつぼね)は、成経を慕って鬼界ヶ島に渡ろうとこの地まで来ましたが、かなわずにここで亡くなったそうです。
クスノキの全容。伯耆局を哀れんで植えられたクスノキと伝えられています。
下部。
風格のある根元。
中部。
上部。まだ樹勢があります。
案内板の絵。江戸時代後期の三国名勝図会に、水田の中に楠の大樹がある、と書かれているそうです。絵から海が近かったことがわかります。
種子島の増田郡原にあるヤクタネゴヨウを紹介します。
民家の庭に、ヤクタネゴヨウ(屋久種子五葉)の巨木があります。
全容。幹周り3m、樹高20m、樹齢150年以上です。
屋久島と種子島に自生する五葉松です。種子島のヤクタネゴヨウは年々減少しており、絶滅危惧種になっています。
右から見る。
下部。
根元と上がほぼ同じ大きさで、軟らかく加工しやすいため、丸木舟に使われてきました。
上部。まだ樹勢があります。
庭の別の巨木です。
種子島の現和にある風本神社のイヌマキを紹介します。
湊川河口左岸にある風本神社です。
鳥居の右の招魂碑です。
参道に、多くのイヌマキの巨木があります。
参道左のイヌマキ。
さらに先のイヌマキです。
鳥居の前のイヌマキ。
下部。
上部。イヌマキの多くが蛾の幼虫にやられましたが、ここは健在です。
風本神社社殿。種子島家が航海安全を祈願した神社です。
本殿。女の子の着物を供えると、女の子が誕生するという言い伝えがあるそうです。