鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

隈媛神社

2022-06-16 | 史跡

姶良市加治木町の隈媛(くまひめ)神社を紹介します。

 

前回の木田用水の右岸側にあります。

 

参道左に仁王像があります。

 

仁王像。右は木田用水の案内板です。

 

両腕が欠けた仁王像。

 

顔のアップ。

 

参道を進みます。

 

階段の上に社殿があります。

 

下に彫り物がある石灯籠。

 

隈媛神社拝殿。

隈媛は人吉領主相良家の息女で、島津義弘公夫人でしたが、島津家と相良家が不和となり離縁させられました。隈媛は辺川のほとりで、17日間両家和睦と自分の復縁を祈りましたがかなわず、川に入水自殺しました。

 

本殿。

義弘公はこれを哀れみ、宝現寺を建て媛の菩提を弔いました。廃仏毀釈で隈媛神社になりました。

 

この先に稲荷大明神があります。

 

岩の中の稲荷大明神。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木田用水

2022-06-14 | 史跡

姶良市加治木町の木田用水を紹介します。

 

前回の獺貫の滝です。池田助右衛門は木田地区に用水を引くため、1659年、この滝の上流から右岸(写真左)の岩盤に隧道(トンネル)を掘り始めました。岩は溶岩で非常に硬く、工事は困難を極め、3年7か月後、218mの隧道を掘り抜くことに成功しました。これにより6000石の水田が拓かれました。

 

下流右岸に宇曽木発電所があり、その脇の水が出ているところが隧道の下流側出口です。この隧道を獺貫の切通と言います。

上の水路は、灌漑期に発電用導水路トンネルからの水を落とすためのもので、今は水が流れているかもしれません。

 

隧道出口近景。

 

木田用水の始まりです。これを下流へ行きます。

 

用水左下の養魚場。

 

水門があります。

 

田んぼに水を落とす水門。

 

水神碑です。

 

右の崖に石像があります。

 

右が蝮(まむし)神様、中央が十一面観音です。

 

さらに下流へ行きます。

 

この写真を撮っている右に隈媛神社があるので、次回紹介します。

 

用水はまだ続きますが、ここまでとします。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺山炭窯跡(崩落後)

2022-06-07 | 史跡

鹿児島市吉野町の寺山炭窯跡は、旧集成館などと世界文化遺産に登録されましたが、2019年の大雨で崩落しました。その後どうなったかと思って訪ねました。

 

寺山公園へ行く途中から左へ入ります。

 

山道を歩いて行きます。

 

石灯籠の右上に「南洲翁開墾地遺跡碑」があります。

 

南洲翁開墾地遺跡碑。明治8年、西郷隆盛はここに吉野開墾社を設立し、生徒150人と開墾事業を始めました。

 

隣の池です。

 

黒いシートの所が炭窯跡で、まだ復旧されていません。右の斜面が崩壊し、炭窯跡を破損したと思われます。

 

正面より見る。ここで焼かれた良質な木炭が、集成館事業の火力になりました。

 

歌人八田智紀の顕彰碑です。

 

反対より見る。

 

隣に石材が保管されています。今年度、復旧するようです。

 

崩壊斜面の復旧工事は終わっています。

 

前の写真の右に谷があり、小さな滝があります。

以前、炭窯跡を訪ねた時の記事はこちらです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大乗寺跡

2022-06-03 | 史跡

日置市日吉町の大乗寺跡を紹介します。大乗寺は日置島津家の菩提寺でした。

 

入口です。

 

参道を進みます。この右に、西郷隆盛の曾孫、西郷隆文さんがやっている南洲窯があります。

 

参道の右に、精巧な彫り物の石造物があります。何でしょうか。

 

神社と狛犬。

 

この奥が墓地です。

 

墓地の入口に対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

牛の像。

 

階段を上がった正面が初代歳久の墓です。歳久は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の三男で、豊臣秀吉によって自刃させられました。

 

前に龍の手水鉢があります。

 

龍が両手で手水鉢を持っています。

 

4代久慶の墓です。久慶は、島津本家18代家久から絶大な信頼を得、薩摩藩家老として活躍しました。

 

右奥にいろいろなタイプの墓が並んでいます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上日置駅跡

2022-05-31 | 史跡

日置市日吉町の上日置駅跡を紹介します。

 

南薩鉄道上日置駅跡です。手前が伊集院方面。

南薩鉄道は大正3年に開業し、昭和59年廃線となりました。

 

枕木と釘が残っています。

 

上日置駅は、大正5年、毘沙門停留所として開業しました。

急勾配の途中に位置し、駅を出た列車が坂を登り切れないこともあり、いったん戻って勢いをつけて登ることもあったそうです。

 

昭和17年建設の石造り給水塔。

 

前の写真の入口を入った内部です。

 

給水口とバルブ。

 

駅名表示板。向こうが伊集院、手前が日置方面です。

 

ホームです。昭和20年3月、ここを出た登り列車が米軍機の機銃掃射を受け、大急ぎで大田トンネル(向こう側)に逃げ込みましたが、人的被害が出ました。

 

日置駅方面の廃線跡です。

 

廃線マニアで知られる六角精児さんのサインです。下は下田逸郎さんのもの。

六角さんの廃線紀行番組は時々見ています。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内山田の庚申地蔵と田の神

2022-05-23 | 史跡

南さつま市加世田内山田の庚申地蔵と田の神を紹介します。

 

近戸神社の下にあります。

 

左が近戸神社への階段で、その右下にあります。

 

中央が庚申地蔵、周りが逆修塔です。

逆修塔は平安中期から流行し、生前に自分の死後の冥福を祈って功徳を修めるもので、戦いに出る武士が建てることが多かったそうです。

 

庚申地蔵。下に田の神があります。

 

この地蔵は庚申信仰の一環として、1685年に建てられました。

 

下の田の神です。

 

顔のアップ。

 

階段を上がって近戸神社へ行きます。

 

近戸神社です。

 

拝殿と本殿。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加世田麓(2)

2022-05-22 | 史跡

加世田麓の散策を続けます。

 

別府城跡入口。平安末期、平家の一族別府五郎忠明が築き、加世田開発の拠点としました。

 

城跡から加世田麓を望む。

 

明治36年から53年間、ここに加世田小学校がありました。その門を学校側から見たものです。

 

城跡は公園になっています。

 

城跡を下り、この武家屋敷跡に入ります。

 

正面に蔵があります。

 

お屋敷です。人は住んでいません。

 

庭園です。

 

ここにも武家門があります。

 

少し前の写真ですが、吹上浜砂の祭典の砂像がありました。

今年の砂の祭典は、何か所かに分散して開催され、加世田麓もその一つでした。

 

砂像の向かいにある武家門と桁橋。

 

地頭仮屋跡の門です。

 

向かいにある国登録有形文化財の鮫島博家住宅です。

 

立派なイヌマキがあります。

 

屋敷内から見たイヌマキ。

 

お屋敷です。

 

美しい手水鉢があります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加世田麓(1)

2022-05-20 | 史跡

竹田神社から加世田麓へ行きます。

 

竹田神社の前に1768年完成の益山用水路があり、そこに架かる石橋です。

 

右岸より見る。これを渡ったところに島津忠良(日新公)の墓があります。

 

水門。

 

多くの桁橋が架かる加世田麓を下流へ行きます。

 

この右に六地蔵塔があります。

 

六地蔵塔。

 

島津忠良(日新公)は別府城を攻略しましたが、両軍とも多くの戦死者が出たため、忠良が敵味方の別なく供養するために建てました。

 

上の地蔵。

 

桁橋が架かる水路をさらに下流へ行きます。

 

鰺坂家屋敷跡と桁橋。

 

鰺坂家の武家門。鰺坂二夫氏(鹿児島大学教授、京都大学名誉教授、甲南女子大学学長)が居住しました。

 

ここにも武家門と桁橋があります。

 

この武家門の家に仁王像があります。

 

仁王像。日新寺の大門の前にあったものです。

 

大きな阿像。吽像は所在不明です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いにしへの道と日新公の墓

2022-05-19 | 史跡

前回の加世田の竹田神社の大楠から、いにしへの道を通って島津忠良(日新公)の墓へ行きます。

 

いにしへの道入口。この先に、日新公いろは歌の碑が並んでいます。

日新公いろは歌は、人間として社会に生きる道を説いたもので、薩摩論語と言われます。

 

最初の歌。

いにしへの 道を聞きても唱へても 我が行ひにせずば かひなし

 

イヌマキ並木といろは歌の歌碑の道を進んで、日新公の墓へ行きます。

 

墓の入口に対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

奥が日新公の墓、手前が夫人の墓です。

 

正面から見た夫人の墓。

 

ハートの形の手水鉢。

 

日新公の墓です。

 

正面より見る。

 

日新公は、1568年77歳でなくなりました。

 

隣に殉死者2名の墓があります。

 

墓の隣の池。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樋脇麓

2022-04-22 | 史跡

薩摩川内市樋脇町の樋脇麓を散策しました。

 

樋脇麓の通りです。

 

前の写真の武家門です。

 

白壁の蔵がいい雰囲気です。

 

この武家門の家には、人が住んでいないようです。

 

地頭仮屋跡の案内板があります。

 

前の写真の先の広場。ここに地頭仮屋と、樋脇小学校の起源となる学校がありました。

 

さらに通りを進んでいきます。

 

武家門の家。樋脇麓は、知覧麓などより家の敷地が広いです。

 

イヌマキのある家。

 

樋脇麓は、鹿児島の麓の中でそれほど有名ではありませんが、武家門が結構あり、昔の雰囲気が残っています。

 

以前、ここにも武家門がありましたが撤去され、敷地は更地になっています。

 

石塀だけが残っています。

コメント欄は閉じています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする