まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

便利屋…萬の事承ります。

2015年05月30日 | 映画
映画『まほろ駅前多田便利軒』『まほろ駅前狂騒曲』…ドラマ『まほろ駅前番外地』
三浦しをん氏の原作はオフ・ビートでリズム間が気持ちに入ってくる所がいい。

ドラマも…映画も…原作のイメージを損なわず人情の機微を感じさせてくれる。
さすが、大森監督。
オフ・ビート…通常とは、はずれたところ…ジャズ演奏で特徴的に現れるリズム…強拍があること。
映画の中…随所のシーンで感じた。
舞台は東京近郊のまほろ駅前。
便利屋を営む多田啓介(瑛太)と、そこに転がり込んできた同級生、行天春彦(松田龍平)。
ペットあずかり…塾の送迎、納屋の整理、遺品の整理etc.etc.
都会ではありふれた依頼のはず…なのだが、多田便利軒のコンビ(多田&行天)がからむと、きな臭くなるし…ドラマが生まれる。
起承転結がビシッとしてなくて、なんとなく流れていくようなゆるい映画だが微妙に心に残る。
ジム・ジャームッシュの味がある…まほろ駅前。

チラシ配布、害虫駆除、不用品引取り。
エアコンサービス、ハウスクリーニング、引越し・家具移動、水廻りサービス、庭周り作業。
便利屋さんは仕事が多い。

長男がなんでも屋〝萬屋金ちゃん〟を立ち上げてから4年目。
なんでも屋は便利屋である。

メロンの出荷、昆布の収穫、暗渠、田植え、稲刈り、草刈り。
運送一般、ころ柿の消毒、剪定…出荷。
さすがに都会とは一線を画す感がある…そこは、ど田舎の便利屋。

人のつながりと運命の出会いで仕事が広がる。
都市部でも、ど田舎でも…ビートがオフでもオンでもニュートラルでも。

人間が出会う、触れ合う、その時に生まれる音。
 がら ガラ 柄。
〝人柄〟の柄(がら)は人間同士が出会う、袖擦りあう、肩がぶつかる、会話を交わす時に生じる音だ。
音を理解すること、感知する事、その音を本能で取り込んでぶつかっていける事、その事の煩わしさも含めて呑み込んでいく気概。
そして呼吸、仕事をくれるみなさんを愛してます…そんな希望をもつ勇気。
そして希望を自分の財産に変える力…それは才能だと思う。

萬(よろず)とは…何事につけ、すべて、万事の意味がある。…が…。
ビシッとは決まらない。…萬どころか千ほど、嫌 百ほど、否 十です とほほ、その方がピッタリくる話…だが。
仕事の切れ間がないのは流石。
ソウル(長男)の持ち味だと誉めておく。
ウ~ン。
誉めるのも苦しい。

    

自分で決めて、種をまいた。
蕾くらいまでは…育てた。

大輪の花が咲き、終わりかけの頃に、花茎ごとばっさりと切ってしまう…思い切りの良さが肝心。
すべての芽を育てると栄養が十分に行き渡らない。
次の年に花が咲かなくなったり、咲いても小さな花しか咲かなくなるので注意が必要。

老婆心だけの母親は助言ができない。

本人が頭を打ち、迷いながら歩いていく道。

何分にも現実は映画のようではない。

只、現実が映画や小説を凌駕する事もある。

自由に生きて行く事を選んだ息子に羨望を感じながら…心から応援している私がいる。

陰ながら。

bad job …割の悪い仕事 だぜ Baby

2015年05月24日 | 日記
一年半以上家内の仕事。楽をした。
手首の骨折も少し落ち着いてきたという事もあるし…
楽は苦の元。
だらだらは、身体に悪いし、心にも悪い。

ネットで仕事捜しをした。週四日程度、高齢者が多く働き…和やかな職場です。
結構なお給料で座りながらできる仕事です。
常套句に魅かれて…
久しぶりに履歴書送付…面接…合格…までに3週間。
そして研修という流れになって一週間以上だが…研修中に挫折する感がある。
ネットの上での情報と現実は違う。

 ボタンの蕾 

人格権、基本的人権など 夢のまた夢。
そもそも人間が存在しない世界。ミニミニ MINI支配者とその奴隷。
奴隷であることに一生気づくことのない人間たちの秩序がはびこっている。

挨拶に返事がない。
大声で怒鳴り命令する。

だから…求人が絶えないのだ。

声には…地声、ミックスボイスや裏声(ファルセット)の他に…美しい声。聞きづらい声。ざらざらで病気を誘発する声。ハンサムな声。鈴を転がすような声。
癒す声。臆病な声。メリハリの利く声。鶴の一声。怒鳴り声。
さまざまあると思うが、人格を殺す声…音声自体が虐待でしかない声のトーンという物もある。
声の主は認識すらない。
罪の自覚がない。
その声だけでエネルギーを吸い取られる。
日常の会話の内容が大声の濁声で悪口。愚痴。罵倒。低俗な猥談。
賤しさ以外に何も匂ってこない。
そこは…低姿勢で臨む。
30年ぶりのG・ヒット。
頭痛がひどくなる。
である自覚のある者とかすりも自覚の無い者。

精神力が試される。
真実の力とは何か。
上から高圧的に抑える事ではない。

 あやめの花

自分の傲慢を恥じる力。奪う力ではなく分け合う力。
己が取るに足らぬ存在である事を知る力。

その事は、人を裏切り、踏みにじってきたにんげんには理解できないと思う。
反対に井戸の中でばかり生きて来て踏みにじられてきても見えようがない。

世の中には自分の物を与える人間もいる。
他人の心を暖かく包み込める人間も少なからずいる。
喜び・愛・豊かさが身近にあると心が平安で充たされる。

頭痛がする。
身体によくない。気分が悪くなる事はやめよう。

明日もいい天気になる。
ファイティン。



自己犠牲の罠

2015年05月23日 | 日記
先だってブログで、鬱病の事にちょっと触れたら…見知らぬ女性から電話があった。
とめどなく話がとまらない。
共通の知人に電話番号を聞いたと言う。
話すだけ話すと納得する。

そういう事が多くなっている。

困る。

いい事なのか、悪い事なのか…それとも浅学菲才のこのわたくしめに相談してくれるなんてと涙する事なのか…。
話を聞くだけでもお役にたてまして、恐悦至極に存じますると感じ入る事なのか……。
ふぅぅぅぅっ。
出るはため息ばかり。

それほどに自分の悩みを打ち明けられる相手がいない。
季節は夏に向かっているのに、家族間、夫婦間、そして人間関係が寒く凍えている。
その事だけを強く感じる。
ふぅぅぅぅぅっ。

主人の為に、子供の為に、家族の為に、または他人の為に自分を犠牲にしてきた。
自分が犠牲になるのはいい事だと思っているから。
自己犠牲はいい人がする事だと思っているから。

しかし、自分を犠牲にする事は〝絶対的な不幸〟という前提に立っている事を忘れてはいけない。
自分さえ我慢すれば、自分さえこらえれば、急場がしのげる。
何事も自分を後回しにする。
この考えは悲壮で日本人の情緒に訴える物である。

ただ、依存的な我慢(犠牲)は良い感情とは言えない。
最も大切な事は、良い感情は気分もよくするが、悪い感情は気分を害するという単純な法則である。

自己犠牲が高じると…時がたてばその感情は〝怒り〟に変化する。
〝怒り〟は他人はもちろんだが、自分自身を傷つける。
癒しがたい傷を負うのは、他ならぬ自分である。
その事を忘れてはいけない。
私自身が経験した事でもあるし、今なお経験の途上にある。

  

外に出ると暮れた空…帯状の夕焼け。

空の風景は〝創造主〟である筈の自分を呼び覚ましてくれる。

どんな場所にいても、どんな境遇でも、幸福でも、不幸でも…脱毛症でも、老眼でも。

外の誰でもない自分が、人生の途上で選択した結果が、現在(いま)ここにある。
……という事も。





…I was very tired today…鬱という病(やまい)

2015年05月19日 | 日記
今日はとても疲れた。
…I was very tired today…
脳みそも身体も疲れた。
久方振りの疲れだが、なぜか…とてもすっきりとしている。
身体と神経の疲れが心地よい。

  氏の生姜ポット
青椒肉絲の隠し味・はちみつ生姜ジュース・身体がぬっくと温まる。
疲れた筋肉がほぐれていく気がして気分がいい。

うつ病の発病メカニズムは未だ不明である。
身内や友人が疲れているのを見るとつらい。
話を聞く。理解と共感を示す。(カウンセリングマインド)
何の手助けも出来ない。
話を聞くだけだが、身体がどよどよ~んと淀んでくる。
聞くだけで解決方法はない。
疲れが身体にへばりつく。
何の対策も浮かばない。

人生の中で一回も鬱状態を経験したことがないと言いきれる人がいるとすれば…
よほど物事を考えない人(脳天気)か、或いはよほどの修行を積んで達観した人(悟りを開いたお方)ということになる。
鬱状態になる原因は日常的にいくらでもある。

但し、鬱状態が鬱病に以降すると、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥(しょうそう)、食欲低下、不眠などが続く。

家族(友人)は 病人に希望を与え、不安や絶望をやわらげる接し方をしなければいけない。
「早く元気になってね。応援するから」なぞ…励ましてはいけない。
「鬱病なんて贅沢病だわ。食うに困っていれば鬱病にかかる暇なんてないよ」
もちろん口が腐っても禁句である。
明日は自分の番かもしれない。
誰でもが、鬱病予備軍であると言えるストレスフルな世の中だ。
間違った概念の為に、鬱病患者を自殺に追い込むことは良くあることなのだ。
うつ病の発病メカニズムは未だ不明である。
身内や友人が疲れているのを見るとつらい。
辛さが、あっちに飛んだり、中州で澱んだり、こっちで居座ったりして、拠りどころがない。

今日はとても疲れたが…身体を動かして気力を使ってすっきりと疲れた。
すがすがしい。

お風呂に入ってゆっくりと眠れそうな気がする。

毎日すっきりと疲れて暮れていければ…いいのだけれど。
自己犠牲はほどほどに。
楽天的…楽観的で暮らしていこう。
笑いながら。

くまぷー…くまのプーさんRepeat

2015年05月15日 | 児童文学
自分で掘った落とし穴の底に仕掛けた蜜の壺…
ハチミツの壷の誘惑に耐え切れずに深い穴に落ちて自ら罠にはまってしまったプーさん。
A・A・ミルンの児童書でも、ディズニーのアニメでも有名なお話。
世界中の子供に愛されているプーさん。
プーさんの例に及ばず熊は、はちみつが大好物なんだそうだ。

私の中にもプーさんがいる。

罠があっても(自分で掘った罠でも)すぐさま忘れて、蜂蜜欲しさに飛び込んでいくぷーさん。

ミツバチをみたら頭の中がすぐに…助走なしで三段~五段以上跳ぶ。
ミツバチ=蜜…即座にはちみつをかかえている自分を連想する。
小麦粉=パンケーキ…たっぷりバターのとろとろっっ…単純な思考能力・
中抜き(まず巣箱を作らねばならない)
手間抜き(蜂を誘引する植物を育てることが必要)
努力抜き(両方が揃ったところで巣に切れ目を入れて垂れ蜜を取り…垂れない所は圧縮蜜を取りと……)
日々のたゆまぬ研鑽と、日々の営為努力の事は後から考える。
もしくは考える力そのものが欠けて落ちている。

という訳で友人は殆んど〝くまぷー〟の親戚筋。
類は類を呼ぶ。
今日は幸せ、でも明日はきっと今日よりいい日になる。
脳天気で物事をすべからく陽気にとらえるくまぷー達はΩアスキットΩというアイテムを所与の物として持ち合わせている。



脳天気なくまぷー仲間も、長生きをしてきたせいかバッテリー切れ。

当たり前の事だが、外見はクマのプーさんのような愛らしさには欠ける。
(それは、年齢のせいではない…昔からあんたは愛らしさに縁がない…という外野の声がする)
声の主も人の事なぞ言えないわ。
この所…「妬む、怒る、愚痴る」プー仲間が増えてきた。
私の中にも怒りの残滓がある。
ΩアスキットΩアイテムがくたびれてボロクなってきている。
ちょっとした手入れとオイル交換も必要。
怒ったところで脳みそがプー。
ひきずらないのは…流石のくまぷー。

仏教では〝とんじんち〟(貪・瞋・痴)…三毒というそうで…。
老いるほどに膿のようにあふれてくる毒。
むさぼり求める・ いかりと憎しみ・ おろかで愚癡で、真理に対する無知の心。

(貪)豚 (瞋)蛇 (痴・癡)鶏…言葉を象徴する動物の中に〝クマ〟はいない。
なんだかほっとしている。

くまぷー仲間が、元気よく孫のおもりが出来ます事を…
未来に希望の種をまける老人になれます事を…

きっと なれるに違いない。
いや、もう、そんな存在になっていますけど。