まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

理不尽は続くよ…どこまでも

2017年10月26日 | 日記
メールが入っていた。
去年の今日のブログの記事。
(合歓)ネムさんと私の関係は不条理である。
筋道が通らない。
道理にあわない。

子供を育てる義務を放棄している。
家族という概念が希薄である‥そんな父親。
70才で老人後期高齢者‥になった今も子供の精神のままなのだ。
現在も尚…ライフラインの意味が解らない…日常の潰えが理解できていない。稼ぎがないのに要求だけはする。
(子供の精神と幼児の知能)

己を切り刻んで働きずめ‥擦り切れた雑巾のような母親‥それが私。

もともと低血圧で朝は頭が働かないのだが‥擦り切れるとさらに筋道が見えなくなえる脆弱な身体。

合歓さんの成育歴(日帝時代のルサンチマン)と遺伝子レベルでの考察とは別に、彼は社会に適応できない。
私にとっては異人種である。宇宙人と言う人もいたが、酔っぱらった合歓さんに閉口して二度とこなくなった。
役立たずの芥。ゴミ。
異人種はいいとして、ゴミはひどいぜ。あんたもごみやがな…わたしもやけどな氏だけはやさしい。
そんな男の子供を産んだ自分自身もゴミ。
そう思い定めなければ‥自分の胎(はら)に落としどころを据えなければ‥精神が不安定になる。
私が倒れたら子供が育たない。
先の事は考えられないし、考えたくもない。それでも子供二人は何とか育ってくれたのだ。
最愛の人と結ばれて子供を授かるという事はそれだけで奇跡。末永く幸せにくらしましたとさ。お伽話でしかない。
それでも人は生きて行けるし毎日の食事は美味い。
日頃はアラーも仏陀も キリストも混然一体の私だけれど‥子供の元気な姿を見ると「神様 有難う」と手を合わせたくなる。
どんな神にでも。
合歓さんは今年も元気だ。楽しそうに釣り三昧。幸せな人ですよね…と言われている。

私は私で四苦八苦しながら‥ゴミの頭で考えてきたのだ。

友人と勉強する。
ハンナ アーレントの「全体主義の起源」。
大衆は潜在的にすべての国、すべての時代に存在し、高度の文明国でも住民の多数を占めている。
ただし彼らは普通の時代には、政治的に中立の立場を取り、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している。
しかし、平生は政治を他人任せにしている人も、景気が悪化し、社会に不穏な空気が広がると、にわかに政治を語るようになります。
こうした状況になったとき、何も考えていない大衆の一人ひとりが、誰かに何とかして欲しいという切迫した感情を抱くようになると危険です。
深く考える事をしない大衆が求めるのは、安直な安心材料や,わかりやすいイデオロギーのようなものです。
それが全体主義へとつながった。・・・アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐える事。
「わかりやすさ」の罠にはまってはならないーということであり、私達にできるのは、この「わかりにくい」メッセージを反芻し続けること・・

毎日の生活の中で学ぶこと。
同じことの繰り返しを楽しみながら続ける事。

犠牲でもなく、欠乏感でもなく、非難者でもなく、出来る事をしていく。

深まる秋の夜…しみじみと思う。


秋の出来事 Ⅳ…サムワン ライク ユウ

2017年10月21日 | 音楽と日記
2011年…TSUTAYA の店内で聴いた。
バックグラウンドミュージック…BGM( ビージーエム)でそのとき思わずその声に聞き惚れた。
次男に「ちょっと この歌が気になる‥」そういうと彼は曲名を言わず「アデルやね‥」と答えた。
“とうた”は音楽全般にアンテナが鋭い。

アデルは良く聴く。
 アデル


しかして…そのまま…その時に聴いた楽曲は私の脳みその隅で埋もれていたのだった。

“someone like you”というその歌を車の中で聴く。

Y市y村で二泊 したのは10月初旬。
老師のおうちのR君と息子ソウル&氏と私でお寿司大会。
楽しく食べた。
氏はゴンザレス…私はリベラ…もうひとりメンドーサはリタイヤ。
どれだけ食べるのかを競う大会。
R君はセコンド。
ソウルが主催者。
笑って 笑って 食べて 食べて 呑んで 真に阿呆な四人組。
とにかく楽しかった。

次の日リタイヤしたメンドーサ氏の家で話し込んだ時、アデルのCDを見つけた。
そして…借りてきたのだ。

I heard
聞いたわ
That you're settled down
身を固めたんだってね
That you
あなたは
Found a girl
素敵な彼女を見つけて
And you're
あなたは
Married now
結婚したのね

I heard
そして聞いたの
That your dreams came true
夢が叶ったね
Guess she gave you things
きっと彼女はあなたに
I didn't give to you
私があげられなかったものを与えてくれたのね

Old friend
私たち、昔からの友達よね?
Why you so shy?
そんなに恥ずかしがることはないよ?
Ain't like you to hold back
あなたらしくない…秘密にしたり
Or hide from the light
暗闇にに隠れたりするなんて

I hate to turn up out of the blue uninvited
呼ばれてもいないのに姿を見せるのは嫌だけど
But I couldn't stay away, I couldn't fight it
だけどじっとしていられなかった 我慢できなかったの
I hoped you'd see my face and be reminded
私の顔を見て、あなたに気がついて欲しかったの
That for me it isn't over
私にとっては、まだ終わりではないんだってこと

Never mind
でも気にしないで
I'll find someone, like you
私も相手を見つけるから あなたのように好きになれる相手を‥
I wish nothing but the best for you, too
それからあなたの幸せも願っている
Don't forget me I beg
私のこと、忘れないでね お願い
I remember you said
あなたの言ったこと、覚えているわ
Sometimes it lasts in love
永遠に続く恋もあるけれど
But sometimes it hurts instead
その代わりに傷つくこともあるんだってこと
Sometimes it lasts in love
永遠の恋もあるけれど
But sometimes it hurts instead
その代わりに傷つくこともあるのだ…ってこと
Yeah
そう… 

歌の意味は恋愛でしかも失恋だが詩には興味がもてない‥アデルの歌は深くてそれ以上の悔いと慟哭を感じる。
哭(コク)を感じさせるのは彼女の声だ。
6年前に耳に残った曲が、私の思い出や過去を容赦なく撹拌する。
彼女は人生の不条理を身体全体で歌っているのだと思う。

縁がある。
どんな道程を経ても再び顕われる。
それは 人でも 歌でも 風景でも 事象でも‥

私は恋愛経験が少ない。
一番好きな異性は父親で、肉親であることを思えば、異性とはいえない。
父親に可愛がられた思い出しかないのが幸福である。
根拠のない自信が持てるのは、父の大いなる愛情の産物だ。
「お前はお前その物でいい」
「他の誰かではない お前自身でいい」

そんな父のお蔭で‥もしくはそんな父のせいで、次に好きになったのはバート・ランカスターだった。
アメリカの俳優である…という事はリアリティがない。
それでも大いに好きで好きすぎて(映画を観て思いを募らせて)彼の下着の洗濯をしたいと思いつめて密航まで計画した…ファン心理を超えていたと思う。
父親にやんわりとたしなめられて 諦めた。

たしなめ方にも愛があった。

好きな人と添い遂げて その人の子供を育てる。
当たり前の事なんだろうが 当たり前に出来ている人がどれだけいるだろうか。

とりとめなく考えながら車を走らせる。

10分位の道程が30分を超えている。

メロディと妄想で走っているのだ。

この秋は思いがけない出会いや邂逅があった。

記憶の隅で眠っていた楽曲との再びの出会いも含めて‥

まだまだ秋は深まる。

何が起きて来るのか楽しみ。 

楽しみ。

そんな毎日に感謝している。

私と家族とそしてご縁のある方達全ての皆様へ‥健康で過ごされます様に…

では 又。

秋の出来事 Ⅲ

2017年10月11日 | 日記
「野生に 声あり」 ナナオ サカキ

ひとりの人間は 自然と 人間性を 代表する
20世紀の経済社会は
自然に反し 人間性に さからってきた
悲惨と屈辱の歴史を これ以上 くりかえさないよう
さわやかで たのもしい 経済社会への道を
みんなで さがそう

1.ぎりぎり 必要なものだけを 求めよう
2.工場製品でなく 手づくりを
3.スーパーマーケットでなく 個人商店 または生協に つながろう
4.虚栄と浪費のシンボル―誇大広告を まずボイコットしよう
5.最大の浪費 ミリタリズム(軍国主義)に かかわらない
6.生活のすべてに もっと 工夫と創造を
7.新しい 生産と流通のシステムを 試みよう
8.汗と思いを わかち合う よろこびから
9.真の豊かさとは 物と金に 依存しないこと
10.野生への第一歩 - 私は 歌 私は ここを歩く

 ナナオ サカキ


30年以上前‥滋賀県の小学校(廃校)でゲーリー・シュナイダーとナナオ・サカキの“ポエトリーリーディング”が開催された。

息子を連れて参加した。まだ次男は生まれてもいない。

主催者は福村祖牛。
僧侶であり庭師でもあり‥山水人(やまうと)の主催者。

ナナオに誘われてカリフォルニア、ニューメキシコ、ニューヨークと共に旅をし、アレン・ギンズバーグとゲーリー・スナイダーの日本での朗読会の準備をした。
ニューヨークでのアレンとナナオの朗読会では超満員で入りきれない人がたくさんいた。詩人に対する評価がこちらとはかなり違う。
(若き日の祖牛の感想)

9月下旬の加賀 山代のライブには祖牛さんがいて、アキーラやひろさんの横でパーカッションを担当。

10年は一昔《ひとむかし》‥20年なら二昔《ふたむかし》三十年は三昔《さんむかし》いや みむかしか?
祖牛さぁーん 懐かしい お変わりなくてなによりです。
差し出した両手をしっかりと暖かく握ってくださって有難う。

息子ソウルも大感激‥小さかったからねぇ。

ナナオが逝ってから10年。

思いがけない懐かしい人‥との邂逅で‥縁の不思議さと人生という途(みち)の醍醐味をしみじみと噛みしめたのだ。

夜はナナオの話に花が咲いた。
ひろさんのパートナーがインドのブッタガヤでナナオの散骨をしたという話も含めて‥思い出の数だけナナオがいる‥

魔法にかけられたような時間がすぎていく。

ナナオは死ぬ直前まで毎年能登半島に来ていた。
一年のうち合計すると1~2か月は我が家に滞在していた事になる。

「うちのお爺ちゃんは世界をほうろうしているひとです」
次男が作文に書いたのは、笑い話だったが‥小学生だった彼が‥いまでは30前のおっさんである。

私は歌 私はここを歩く

それぞれの場所と時代でナナオと出逢った人々が‥年齢も性別も超えて時間を共有している不可思議さ。

自分ではない誰か‥ここではないどこか‥ではなく いまここで、誰もが、身の丈の自分の歌を歌っている。



秋の出来事 Ⅱ

2017年10月09日 | 音楽と日記
9月下旬 加賀 山代温泉の友人の招待で一泊。
ライブがあった。

左から二番目(アキーラ)三番目(ひろさん)

松久浩之(ひろさん)⇒日本で唯一人のSatvik Veena(インド古典楽器)シタールとギターを融合した楽器の奏者。
シンガーソング ライター、キールタンシンガー。

アキーラ・サンライズ⇒大学の頃から自分の音楽世界で生きて行きたいと思っていた‥友人のKさんが語る。
ジャンベ、ハングドラム、ディジュリドゥ‥多彩に操る 波動演奏家、即興演奏家.

二人のコラボレーション。

Satvik Veenaの音色でゆったりとはじまった演奏は‥身体の中を血液がめぐるようで眠りそうになる。
心地いい。
身体に根が生えた様な気がする。
音楽はゆったりと吹く風だ。
違和感がなく、どんな場所でも、どんな国でも、どんな人種(私を代表とする怠慢な人間達)でも包み込んでいく。

ひろさんのVeenaとアキーラの琵琶リラの調べが共鳴していると思ったが‥瞬間アキーラが立ち上がってジャンベの前に座った。

彼のジャンベは台風のようで、ゆったりと根が生えていた身体が震えて思わずゆれる。

眩しくて輝く音だ。

アキーラの身体が燃えている。

自分の中の命を削りながら光を放っている。

それは、高校生の頃‥深夜放送でR・ツェペリンのロバート・プラント(移民の歌)の声を聞いた時の衝撃に似ている。

身体が震えて鳥肌が立った。

ひろさんの静とアキーラの動が呼応している。

争わず 挑(いど)まず たゆまず 逃げ出さず ただそこに笑いながら立っている。 
ひろさんのCDアルバムの紹介文。


呑みすぎて遅い朝ごはん‥食堂にいってコーヒーを飲んでいたら、彼が入ってきた。
立ち姿と歩く姿とすわり具合と声がいい。
二言 三言 深くて暖かい声の持ち主。

紹介の文章が人柄を顕している稀な例で‥初めての経験。
だいたいは、紹介文と紹介されている本人は乖離している。

アキーラさん(夜呑みながら話した)も穏やかで姿勢の正しい男子だった。

息子とそう変わりない年齢の二人。
共に30代である。

贅肉がなく鍛え上げた無駄のない身体。
コーヒー・セレモ二―のTさんに似ている。
水面下の水鳥の足の如く努力を重ねている。

眩しく輝くためには、燃やさなくてはいけない。

自分の中に眠る炎を。

その為の燃料エネルギーは、自分で、自分の身体の中から捻出するしかない。

鮮やかでなくても、鈍い炎でも‥。

心が沸騰した夜。

空を見上げるとお月様も沸騰していた。