まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

大雨の後の川刈り…の後

2013年06月30日 | 日記
先週の日曜日、川刈り。

川刈りを終えて、輪島市の友人の家に2泊。

帰ってから右手首が痛い。腱鞘炎になった。

川の中で苔にぬめりながら、流れる萱、草を拾って堤に上げる。
結構しんどかったんだなぁと右手、右腕を見てため息。
知らぬ間に利き腕を酷使している。
水道の蛇口が回せない。洗濯しても干せない。
身体の一部でも痛くなったり、不自由になるとひどく困る。
ガスが点けられない。調味料のキャップが開けられない。
とにかく困る。
年齢はだませない。
川刈りの次の日は痛みが鈍くて気にもならなかった。
2…3日後で痺れて痛くなる。
若い時はすぐ反応する筈の身体が、おそっ。
遅いのである。

川刈りの後の風景を書くつもりが、おそっ。遅くなった。
痛い右手でキーボードを叩く。

  

作業を終えた村人が一同に会している。
お酒飲んだり、お弁当食べたり、おつまみ摘まんだり、長閑。のどか。
この地方ではどこでも見られる風景かもしれない。が…しかし。

偉大な力だけが、この世の闇を封じ込めるのではない。
些細な日常、日々の行いを、愛情を持って、思いやりを持ってこなしていく村人たち。

普通の人々の日々の行いが、闇を追い払うのです。

ガンダルフの言葉が思い出される。
そんな、半日でありましたよ。

次回はヤルタ会談。いや、やんなった会談かな?











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大雨の後…川刈り

2013年06月23日 | 日記
毎年この時期は、村の人口総出で川刈りをする。

全国ニュースになった大雨の後。


心配された水量も何とか減り、天候も何とか晴れ、一気呵成に始めましょう。
   

若者は少ない。しかし精鋭である。

伯母さんの私では、猫の手にもならない。

川底の苔に足を取られ、下半身水浸しで、落ちてくる萱、小竹、葦、柳の枝などを拾う。

おばあちゃん達は、達者である。身体のこなし、水のかわし方、鎌の使い方。
どれをとっても経験値が高い。動きも美しい。
無駄がない。

とにかく、雨の落ちてくる前に作業を終えたい。
汗が流れる。
ちょっと中休み。缶コーヒーがこんなに美味しいなんて…嬉しい。

身体を動かしていると、心の中に何かが入ってくる。

「うきうき」「ぽかぽか」「いきいき」そんな感じの何か。

オニヤンマのやごを見た。

の親子が葉っぱにへばりつている。必死である。

汗を何度も拭く。
深みに足を取られながら私も必死です。

「くよくよ」「うじうじ」が心に入る隙間はない…かな。




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善人なおもて往生す…いわんや悪人をや。善人とは…

2013年06月20日 | 日記
親鸞聖人の歎異抄の中の一節である。
「 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、
いかにいわんや善人をや。
この条、一旦そのいわれあるににたれども、
     本願他力の意趣にそむけり。」 

悪人については解る。
わたくし、合歓さんと暮らしている。ネムを悪人と言わずして誰を悪人呼ばわりできる。
と言うほど断固たる自信がある。

それより善人とはなんだろう。
長く疑問であった。
自分以外のひとを思いやる。相手の立場に立って物事を考える。誘惑に負けず正しい行為を行う。
国家を憂える。戦争は回避する。富は分配する。
私自身が正義感の塊、藤原の鎌足〈なんのこっちゃ〉ようするに清く正しく、普通らしく。
しかるに正しいとか、普通とか、そんな言葉自体に引っかかる私もいる。
善人は困るのである。自分の行為を言葉で固める。嘘ですら守ろうする。
善であると信じていることが、または信じたがっていることが、真実の姿〈真実の実相〉を見る事を避けさせる。
その事に気づかない。
悪意は拒む事ができる。
善意は拒めない。

現在の私は、顔も身体もメリメリと壊れているが、〈脳も粗鬆〉でつり合いが取れてきている。
どの世界にも、小さな矛盾や、ずるさや、引け目はある。
同じくらい、誠実さと信念、もしくは勇気だって存在している。
齢を重ねた分だけは出世したのである。
 自慢したい。ぷふぷふぅ。

歎異抄とは親鸞聖人の口伝が、歪んで伝わることを悲しんだ唯円房がそれを嘆きしたためた物。

つまり嘘吐き達に真信の教えを知らしめた物である。









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下請けの下請けの下請け…名も無く、貧しく、美しくも無く

2013年06月18日 | 日記
合歓さんの仕事も、私の仕事も、下請けの下請けである。
合歓さんは特にそうで、本人が選べなかった部分もあるとはいえ、「ごみや」である。

私は、そこの所をちゃんと見てこなかったし、見ようともしてなかった。
脳みその中には、自分が見たい世界が入る。大風呂敷な私の脳みそは、スーパーポジティブ。

しんどい事は横において、見たくないモノは見なくとも若さでブッチギレタ。のである。

脳天気な事であった。つくづくアホな自分に感心するし、飽きれもする。
気がつけば、バッテリーが上がって、エンジンは爆発です。って事もあり。

人間が生きている途中で、足を踏み外したり、大きな穴に落ちる時には、原因がある。
原因は一つではない。

がさつに笑い飛ばして自転車漕いで、こいで、こいで。
足が攣る。
子供二人が小さい頃は、仕事2つもこなしていた。

「お金の話は下品だから…」「お金だけでは、幸福になれないし…」「友情はお金で買えない」
こんな話をする仲間内には、要注意。
自分で汗をながして働いていない人はいる。
どんな言葉にも出所があるし軽重がある。

「今は理由があってお金がないんだ」と言うことは 恥ずかしい事ではない。
いつも奢られてばかり、人の思いやりに胡坐をかいてばかり…その方が卑屈である。
人を人でなくしてしまう物っていうのは、確かに存在している。

今日も元気に自転車操業。ではあるが、子供たちにお金の話をする時がきていると思う。
金銭感覚は人間感覚。
自分の境界線を知るという事と、金銭は無縁で有り得ない。

もちろん、お金だけだと考えたら何もできないし…何も生まれない。

 

5匹生まれたヒナの内、2匹が弱くて心配だった…なのになんとか元気。
飛び方練習している。

ツバメの親は見守っている様に見える。
子ツバメの飛翔感覚を。

























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私に似た人

2013年06月15日 | 日記
時間給で働きに出ている。

末端の接客業〈コンビニ〉である。
お店での出来事。
 うら若き女の子、男の子〈従業員〉が「まんまるさんお願いします。私では無理ですぅ。」
こういう事、結構多い。一ヶ月に10日ほどある。
お客はハンサムな男の子である。言葉が言えない。「あぁ、あぁ、うええあぁ。」雑誌が欲しいのかな。
上手く伝わらないと叫ぶこともある。
ティーン向きの付録〈ポーチ〉が好きらしくたくさん持っている。
雑誌のコーナーに行こうとすると…あらら、今日はカップヌードルだった。
「これ、新発売。美味しいと思うよ」食べてないので、そんな進め方しかできない。
欲しい物を手にとると、柔和な顔をする。
にっこりと笑って、買ってくれました。

ゆとり世代と一括りには出来ない店の若者達。

田舎の事である。地域ぐるみの組織票でなりったっている部分がある。
顔見知りであろうと思う。嫌な顔もみせられず、私を呼ぶ。

「まんまるさんは、彼に好かれてますよね。」
「うん、ものすごく好かれてるよ」
他にも複数人いるその手のお客さんは、私の担当という事になっている。
「本当、その手の人に好かれてますよね」……無言でお返し。
その手って、どの手の事いっているのか。さっぱり。
忙しい時間に来られると、ため息がでそうになる時もある…とはいえ無碍にはできない。
「私にもこんな部分がある」…如実に思えるから。

「モンスタークレイマー」と言われる種類のお客さんもいる。

彼等はモンスターですら有り得ない。少しだけ、ほんの少しだけ常人と色合いが違う。
見ている風景が違う。
彼等、彼女等は本能的に同じ匂いを感じて、私の所に来てくれてるんだろうと思える。
「有難うございました。またお越しくださいませ」
心からそう思う。

「コピー50枚」「わし、出来んのや」「すまんな」
「次は拡大で同じ50枚、頼む」「悪いな」

すまん、悪いと言いながら、口先だけの、ど厚かましいおっさんより、よほど愛すべきお客だと思うよ。































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