まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

息子  ソウルの話。

2013年04月30日 | 日記
まんまるな私。綺麗ごと好きな私。リベラルな私。
李さんと暮らすまでは、中産階級で、金の意味も差別の意味も、本当に知らなかった。
ワン・ラブ。
頭の中に知識だけ詰め込んで、愛と平和こそがこの世界と共存できる道だとおもっていた。
ラブ&ピース。
脳天気にもほどがある。

子供を身籠った。
父親の李さんは、無責任でその日暮らし。子供に興味がない。
「俺は知らん」
「子供は宇宙の子や。親がおらんでも育つ」
「俺もそうやった」の一点張りである。

初めての悪阻。食事も身体が受け付けない。
どんな事が遭ってもこの子を育てなければ……生むことを決めた。差別もこの子と背負って生きて行くと決めた。

身勝手で悲愴な覚悟であった。

私の尊敬する父親がこの世にいない。頼る肉親は母親しかいない。

しかし母親は私の目から見ても頼りにならない。
経済の支えにも精神の支えにもなりえない。

身体が要求するのは西瓜と水のみ。病的な悪阻。
文字どうり、言葉どうり、まんまるな私が初めて選択をした瞬間でもあったと思う。

この子は私のお腹に宿った。どんな事があっても育てていく。
怠惰で脆弱な私が、なんとか覚悟を決めたのである。

長男のソウルは私の救世主。
私の勝手な思い入れと安っぽい感傷を吹き飛ばして誕生した。

「お母さんは、ほんとに大ウソつきやなぁ」
「俺んち、本当に貧乏やったんや」
「サザエさんみたいに、毎日笑っとるから苦労してるなんて解らんかった。」
「俺は親父の事をスーパースターやと思ってこれた。感謝しとるよ」
「嘘ついてくれて有難う」

息子のソウルに言われた日。

部屋に籠って一人で泣いた。



涙の成分は「誇り」とそして「自尊心」。

そうであってほしい。心から願っている。

二男のとうたの話に続く。







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李さんのお話 3

2013年04月29日 | 日記
李さんは、大変な人である。

これは、私の本音です。

さて本音、本音と言っている。よく使っている言葉ではある。
私自身、私の本音をどこまで理解しているのだろうか?
疑問がわく。

李さんと私は長い間連れ添っているのだが、大変な男と暮らしている
私とは、どんな人間なのか。

振り回されて、取り乱しながらも取り繕って生きている私。

つくずくわが身がうとましくなる。これが本音だろうか。

職場では賃仕事。時間給も雀の涙。責任は給料袋と同じで軽い。
遣り甲斐もない。
李さんは大変と愚痴ることで、己を肯定し社会を肯定していく。
入口も出口もない、空転の惨めさだけが残る。

自分と出会えなければ、自分の中の本音とも出会えない。

自分が、自分がと言いつのりながら、己の本音を拠り所に社会とかかわる。
人間と関わる。

生き難い世の中だからこそ、自己肯定もする。
怒鳴りもすれば、取り乱しもする。

これが本音なのか。

あれやこれや、そんなこんな、いろんな思い全部ひっくるめて私がここにいる。
李さんもいる。おるのよねぇこれが。






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遅咲きの桜と映画

2013年04月28日 | 日記
朝夕が寒い。

毎日の温度差が激しい。



四月中旬まで庭の桜が咲いている。
不思議の春。

連休なので気兼ねなく映画三昧。

{最強の二人}は、大富豪とスラムの青年。
{アーティスト}は大俳優と女優志願。
ワンコが可愛い。そして巧い。
どちらも、見ごたえがあって満足。

欧州映画は内容があつくて、洒落ていて、粋。
甘さも苦さもホロリとある。

お次はお隣の韓国映画も三本タテツズケ。
{神弓}はパク・へイル主演。歴史物で実話である。
{プンサンケ}{執行者}
重たいテーマ、主演は2本ともユン・ゲサン。
上手い俳優だと思う。色んな顔をもっている。
同一人物とは思えない。
同じモンゴロイドとして、どちらの俳優にも惹かれる。

桜もホロリと散っていきます。

来年も又逢えますね。









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私〈まんまる〉への手紙

2013年04月22日 | 日記
李さんと一緒に暮らす。
家族で暮らす。

それだけでも、毎日々、よっこらしょのどっこいしょである。

その上、我が家は、居候が多い。
李さんの放浪時代の友人、知人が訪ねてくる。
李さんは、人に頼られると断れない。
自分に実力がないのに、面倒をみようとする。

三か月、六か月、長くなると三年以上という者もいる。
勿論、李さんは「いつでも来い」というだけで、責任はとれない。
それでも、居候はやってくる。

私も若い頃、友人のおうちに転がり込んだ事があるし……
居候した事だってあるから、彼らの気持ちを組むこともできる…つもりでいる。

せんだって、6か月以上いた居候が出て行った。
友人の別荘が次の居場所だそうだ。
新しい場所がみつかって彼の為にほっとしていた。

ほっとしていたら、フェース・ブックの彼のページにスパムが載っている。
誹謗、中傷である。地域が名指しである。一方的でもある。
ものすごく、気分が悪い。

お金も少ししかなく、家もなく、あてもない。だから最後に我が家に来たんだといっていた。
<結果、友人の別荘に行くのなら、初めから何故行かなかったのか?>
李さん一家だから、馬鹿にできる。楽だ。と思ったのか。

食事にも気を使ったし、寒い時期でもあり家族で暖房にも気を配った。
自分達が我慢して堪えても…である。
人間として当然、当たり前の善意だと思う。
人が一人増えると当然経費がかかる。
居候にはそれが見えない。…らしい。…としか言いようがない。

李さんの友人は社会に適応できないタイプが多い。
しかし、別の意味でスーパーな人間も多い。
平安時代からワープしてきた感じの人やら、火星人かしらと訝る感じの人やら。
面白くて、こちらに学ぶ気持ちさえあればたくさんの事を学べる。
学校では学べない事。多種、多様な生き方の見本を子供達にも見せてくれる。

ただこの度は学べなかった。
本当に頭の螺子がゆるいまんまる。
いわれない誹謗は傷つく。心が割れる。痛い。

ちょっと立ち直りに時間がかかった。
今も身体の調子が悪い。

居候は多い我が家だが、今までの居候には仁義があった。
一宿一飯の仁義を知っている。屋根を修理したりもするし、さりげない気配りとか感じるし。
地域の人間に対する尊敬が感じられた。


誹謗したり、中傷したりは我が家と土地に害をなすだけですまない。

言ったり、書いたりしている本人が塵芥で矮小である証明にしかならない。

ああ無情。












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笑うという事 2

2013年04月08日 | 日記
笑いには、ツボがあると思う。
小藪さんは上手い。
彼の風貌と語り口が、独特の味を出している。
彼自身にしかだせない味だと思う。

友人宅での事。アイヒマンの話が出た。

ナチスドイツの大量殺人の実行者、毒ガスを使う事を提案したアイヒマン。
彼は終戦後、南米に逃亡。潜伏していた。

モサドの諜報員の手でイスラエルに送られ死刑になったと記憶している。

潜伏先のブラジルでは、彼を知る誰もがそんな残酷な事ができる人物
とは思えない。本当にやさしくて、人当たりがいい人物で別人だと思う。
そう証言している。

つまり、人間の二面性の話である。
人は自分の痛みには弱いが、他人の痛みにはどれだけでも耐えられる。

そんな話をしながら、自分自身に問う。

ガス室で死んでいった人々は、私自身だったかも知れない。
反対にアイヒマンと同じ状況におかれたら同じことを仕出かすかもしれない。
どんな時代で、どの国に、生まれてくるのか、私個人の思惑の外。決められない。

そう思いながら、自分の人生の一コマを話す。

友人が、お茶を入れながら、合いの手をいれる。
合いの手は、大きな愛の手でもある。

薪ストーブの暖かさ。お茶の暖かさ。友人の暖かさ。
客人の醸し出す雰囲気。お茶請けのお菓子の美味しさ。

人間の性は残酷.これはハーバート大学の臨床実験の結果、数字が示した%である。

数字はデータに過ぎない。そんな時間の中で別の会話が生まれる。悲しみを堪えて笑う。

大真面目に私の人生を笑う。

私の笑いを受け止めて笑ってくれる人がいる。
生まれも育ちも別々に背中に背負って生きてきた女性が三人。
笑いのつぼにはまって涙目になっている。


アイヒマンの話で、笑っているのではない。












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