まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

合歓さん…一番人気の秘密

2013年09月26日 | 日記
ブログを書き始めて半年以上。
自分に宛てて手紙を書く。
この気持ちは変わらない。

ブログ以前は、10年日記と大学ノート。
ノートは10冊を越える。
読み帰すと、自分の中の何をどうしたいと思っていたのか、人生の何に憤りを感じたのか?
判別できない文字もある。文章に脈絡もない…そんなページも多い。

反対に子供の成長が喜び。
病気もけがも乗り越えてきた、母と息子のちょっと誇らしい記述もあり。
今日のメニューは鰆ステーキ‥レシピの記述も多い。
良いも悪いも、平凡も非凡も、笑いも涙もないまぜ。ちゃんこ鍋状態で生きてきたんだ。

自分は生来の不精者だと思っている。
その私が毎日、毎日工夫を凝らしているのが解るのも活字の不思議。
母親なら誰でもやっている当たり前の日常…それでも体力が萎える日もあった。

父親である筈の合歓さんはその事を理解できない。
父親である筈の彼は、ほとんど家にいない。
合歓さんは家庭と言うものが理解できない。

腹も立たなかったし、侘しくもなかった。
仕事が二つ。PTA活動。家宰。
そんな事を思う暇がなかったのだと思う。
身体に余裕がないのだ。心も又。
だけど、頭の中はお天気。

自分には、人間を見る目がない。
ふつうに視力はある。
普通に目が見えてはいる。
なのにちゃんと見たモノを理解し、分析することが出来ない馬鹿。
「愚か者です」と言った所で、低能の言い訳にしかならない…そうやって自分を責めていたのだと思う。

合歓さんの事を書くと、そのブログが一番人気になる。
がらくた屋は評判がいい。
不思議でならない。
この世は理不尽に満ちている。
真実…そう思う。

頭の中はお天気。まんまるはえらい。良くやった。と誉めてあげましょ。

自分で自分を誉めないと自尊心が欠けて落ちていく。

欠け落ちて、満ちる日が来なくなるよ。

そんな事思っていたら、北海道から、きたあかり<ジャガイモ>が送られてきた。

 

やはり、神様はいる。
ジャガイモの顔をして、を激励してくれる。
気持ちは天国。
アホな私のお蔭で、合歓は一番人気でいられる。

ええ、嫁さんですわね。ほんとに。

やはり、脳天気。





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エメラルドの瞳

2013年09月24日 | 日記
長男は仕事の合い間でも…夜でも、朝でも、暇さえあれば釣り。
早朝、釣り糸を垂れて、その後仕事。
仕事が終われば、そのまま釣りへ…若いって事…体力がある。

現在の釣果は烏賊。煽り烏賊。あおりいか。

「今日は皆目坊主だった」という日がない。お見事。
釣りの師匠のお蔭である。

愛弟子として面目を保っております。

 

でかい30cm超えとる。すごっ。すごっ。スゴイ。
「烏賊は胴長(どうちょう)で測る。今この時期30cm越えは無理やぞ」

無知な母親は頭の先から足まで測ってキヤィーン。デカッ。スゴイ。ラッキー。
騒ぎ立てている。足もぐーんと伸びた所で「55㎝ある。」
下手に自慢して墓穴を掘ったりもしている。
そうかぁ。胴長かぁ。私も胴が長いわぁ。感心する。
耳の所を測ったら反則かぁ。

28cmが二匹。あと26cm一匹。18㎝三匹。

お皿に二枚のお刺身。茗荷と葱の味噌酢あえ。げそのバター炒め。

食卓に賑わいが加わる。

海は一つ。
放射能だって、皆無とはいえない。
私たちが消費する全ての商品に、奴隷労働、海賊行為、偽造…
ごまかし、マネーロンダリング‥‥隠されたダークな経歴がある。

あおり烏賊の瞳は美しいエメラルド色をしている。

烏賊だって息子に釣られるまでは生きていた。
ありがとう。
ようこそ、息子に釣られてくれた。
我が家のまな板の上にのってくれた。

残さず、足の一本まで、お命…いただきます。

感謝しながら、生きて行く。

又、明日。










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アシュケナージとお葬式

2013年09月21日 | 日記
今年は、虫が多い。目立って多かった。
窓を開け放す。風を入れる。玄関口から百足。蜂。
部屋に様々な虫が訪れる。
「オニヤンマ」も2かい入室。でかい。
捕まえて外の草むらに放す。


県立音楽堂でショパンのピアノ協奏曲第2番。
シューマンの交響曲第2番。後メンデルスゾーンだったか。
17日だから、是非一緒に…T女史から誘われていた。
アシュケナージ指揮…辻井伸行さんのピアノ。

冷蔵庫に「チラシ」磁石で押さえて貼り付けて、毎日祈るように願った。
「奇跡の共演を見に行けますように」

あまり願いすぎたり、思いすぎるたりすると物事は反対の方向に進む。

お隣のYのおじい様が浄土へと旅立たれた。

駐車場のお世話やお家のお掃除…御参り。慌ただしい時間が過ぎていく。

最後のお別れをした。「おじいちゃん、新参者の私とお付き合いしてくださった。有難う」

享年86歳。山仕事の達人で、竹伐り名人でもあった。

お葬式の朝。
庭のどくだみの葉の下に「オニヤンマ」がいる。
最後の力を振り絞っているようでもある。


冷蔵庫のコンサートのチラシは、はられたまま。

アシュケナージは指揮もするが、ピアノも弾く。誤魔化すことなく、淡々とショパンを弾く。
今度はピアノ演奏でお目にかかれますように神様にお願いしながら…。

ご冥福を祈ります。
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ニーチェ 超人思想…トリノの馬 エピソード2

2013年09月17日 | 日記
前回の「トリノの馬」の続き…

ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』で人間関係の軋轢だけにおびえている人間。
「キリスト教的弱者と言う表現を使ってはいる」
受動的に他者と同じ画一的な行動をする現代の一般大衆<キリスト教的弱者>を「畜群」と罵る。
恨みと言う負の感情によってのみ動かされて生きている人間。
その負こそが苦悩の源であり、その感情<ルサンチマン>を超越する事が出来る精神の強さ。
絶対原理というものを廃して、時代によって生まれる心理の中でその真理と戯れ遊ぶことのできる者。
それが超人である。と言うような事を述べていた。
嫌、まだまだ、様々、ツァ」ラトストラの口から哲学の概念がつづくのであるが…
超人について、わたくしはその様に解釈している。
あくまでも…てんしでも、脳天気な解釈である。

唯、読み手によってはニーチェの言葉は強烈で、脳髄がハンマーで殴られる感じがしたりもするし…。
ある種、言葉の電磁波に打たれて走り出したくなったりもする人もいるのかも知れない。

レオポルドとローブは共にニーチェの超人思想の信奉者で、逮捕される恐れを一切感じることなく完全犯罪を成し遂げる力があると信じていた。
共にシカゴ大学の学生で、共に裕福なユダヤ人の息子。
2人が計画を実行に移したのは1924年5月21日のこと。
ローブの隣人の遠縁にあたる16歳のボビー・フランクスをレンタカーに誘い込んだのである。
フランクスは二人に鑿で殴打された後衣類を口に詰められ、まもなく絶命した。
シカゴ郊外の線路の下にある排水路に死体を隠した後、身代金目的の誘拐だったように見せかけるため入念に工作した。
フランクス家は裕福なので、1万ドルも要求しておけば尤もらしく見えるだろうと計算したのである。

ニーチェにかぶれた若者二人が起こした、誘拐殺人事件として名高い。

ニーチェの遺稿といわれる、「力への意志」
これも、読み手の心理でいかようにでも解釈できる。
ナチスのプロパガンダに利用されている。
映画も同じで、見る側<受け手>に解釈をゆだねる部分が多い。

タル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」は別に哲学に精通していなくても、芸術に縁がなくても見る者を感動させる。
本物が持つ力を感じる。

この監督は「ニーチェの神髄」をその慧眼で見透かしている。

ニーチェの重んじた「真実への誠実さ」が映画の中で、生きているように思える。







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ニーチェの馬…トリノの馬

2013年09月15日 | 日記
先日、M氏と話した折りに、映画「ニーチェの馬」が話題にのぼった。
話を聞きながら、これは見てみたいと思った。

1889年、1月…トリノ市往来の広場で、御者に鞭うたれている馬をみたニーチェ。
その馬の様子に動揺し、馬を守ろうとして駆け寄り…その首を抱きしめながら…泣き崩れる。
その後昏倒。
超人を目指した男が狂気の河を渡っていく瞬間。
この事件以後10年…正気の世界に戻ることなく静かに息を引き取った。

映画の原題は「トリノの馬」
監督はハンガリーのタル・ベーラ監督。

モノクロの映像。
疲弊した馬が荷馬車を牽いて走っている。
馬の荒い息ずかい。御者台には老人…馬と同様疲弊している。
強風が吹き荒れ、土埃、枯葉を巻き上げている。
そして、痺れる寒さ。

映画は父親と娘の単調極まりない日常を描く。
父親の着替え。井戸の水汲み。
茹でジャガイモ一つと塩だけの食事。馬小屋の掃除。

その間ずっと風が吹いている。暴風である。
土、小石、が舞い上がる。

不穏な空気も感じる。
尋常でない何かが起きつつある世界でもある。
毎日、大切な何かが一つ、又一つ失われていく。

仔細な状況説明はない。
日々の労働の喜び、食後の会話、冗談、歌など…一切無い。
無駄がない。
短い会話に示唆がある。
淡々と営まれていく日常に緊迫感を感じる。
6日間を2時間34分で描ききっている。

映画に引き摺られてしまっていた。

6日目の夜、荒れ狂っていた風が収まる。
7日目は暗闇。
邦題は「ニーチェの馬」だが、題名に才気を感じる。

映画の中の「馬」は老いているが、トリノの馬ほど悲惨ではない。

ニーチェの「ツァラトストラはかく語りき」が下地にあるのかも知れない。
「神は死んだ」という言葉である。

創世記…神は6日間でこの世界を創造された。

孤高の鬼才タル・ベーラ監督は6日間で世界を破壊させた。

「一切の書かれたもののうち、私はただその人がその血をもって書いたものだけを愛する」
ニーチェは、その血でもって著作を書き表し、そして又読んでもいた…のだ。

タル・ベーラ監督の最後の作品だという「トリノの馬」
この監督のその血をもって、 撮られた映画だと思う。



























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