まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

謹んでお悔やみ申し上げます

2023年12月30日 | 日記
心からご冥福を祈っています。

気を落とさないように…とか、ご愁傷様ですとか…言われてもしっくりこない。
ただ機械的に、痛み入ります…恐縮です。

生前の思い出を話している慰問客を迎えては、送り、迎えては送り出している。
その動作を繰り返しているだけで精一杯。
沢山の、思い出、逸話、感謝の意、涙が流れる慰問客の顔。
彼ら、彼女らの思いは、しみじみと沁みる。

他人にとっては面白い人だったろうし、面倒見も良かった。

慰問客の数だけ、故人の顔があり、悲しみの形がある。
「ねむさん」「合歓」「ねむちゃん」「合歓爺」

私にとって、合歓さんの存在は何だったのだろうか❔

和尚さんが、読経の合間に「ねむさん、あんたは我儘で滅茶苦茶な男やった」。
「そんでも、わしはねむさんが大好きやった」
そうつぶやいたとき、すすり泣きが上がった。
和尚の立ち居振る舞いに心が動く。

合歓さんが逝った事に悲しみは沸かない。
私は彼が嫌いだった。


皆様、いつも気に掛けて頂いて、助けてもらっています。
たくさんの人が合歓を送ってくれました。
バケツどころか、盥(たらい)をひっくり返したような土砂降りの雨の中、出棺でした。
皆が喪服と礼服を濡らしながら立っていました。
若い世代に痺れます。
その立ち姿に涙が流れます。
合歓が嫌がって泣いている…誰かが呟く。
それほどに大振りの雨でした。

どうぞ安らかに眠ってください。

悲しいという感情は抜け落ちてしまった。

そうこうしているうちに、初七日、二七日(ふたなのか)、四十九日と日々が過ぎてくれた。
涙も乾いて流れない。

ただ…喪失感だけがある。
身体の真ん中に大きな穴が開いたようだ。

私は、この人が嫌いだった筈なのに。


来年はどんな出来事が私を待っているだろか。

確かなことなど何一つないが、一つだけ言える。
私だけが残っているという事。

今年も暮れようとしている。
かかわってくれた全ての皆様へ。
お世話になりました。
心から有難うございました。

どうぞよいお年をお迎えください。

党はヒトラーである。

2023年12月02日 | 日記
ヒトラーの為の虐殺会議…ハイドリヒを撃て…ナチスの時代の話の続きになる。

党はヒトラーである。
1942年、「非常時大権」が国会で承認される。

立法 司法 行政 そして軍事のすべてにおいてヒトラーは絶対権力を得た。
その上に国民の身分保障にかかわる一切の規定は、戦争終結まで効力を停止するとの決議がなされた。
アドルフ ヒトラーは個人で、ドイツ国民一人一人に至るまでの,生殺与奪の権を握ったのだった。

生かすも殺すも、与えるも奪うも彼の思うままに…。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

第一次大戦後のドイツ(敗戦国)は、いつ果てるとも知れない不況が続いて、社会には不安と混とんが漂っている。

時代は変動し、激動していた。
企業倒産が相次ぎ300万人以上の失業者が街に溢れる事態だ。

ヒンデンブルグ大統領は貴族の反発を抑えながら、共産主義者の台頭と革命を防ぐために、躍進目覚ましいナチスを利用しようとする。
そして、保守派の大団結を主張するが、貴族たちの利権争いが始まる。

1933年1月30日にナチ党の党首ヒトラーは、首相になった。
(ヒンデンブルク大統領は、ナチスが保守派と連立政権を樹立することを前提に、ヒトラーの首相任命書に署名)

ヒトラーのドイツの躍進はこの日が起点だ。

首相就任の二日後、ヒトラーの意向で国会解散…そして選挙。

2月27日国会議事堂が炎上。
(ヒムラーとハイドリヒはこの頃闇の工作を始めている…SS・SA)

又 ヒトラーはゲッペルスを使って、大衆迎合主義(ポピュリズム)の政治を行っていく。

親衛隊を使って恐怖政治も追行するが、この時期は明確な形は見えてこない。

1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去。

ヒトラーは、首相と大統領の権力を併せ持つ権力者になった。




タイトルのあとの言葉は、ドイツはヒトラーであり、ヒトラーがドイツである。
と続く。

敗戦国・大いなる借金・大恐慌・膨大な数の失業者・責任政党の無能・
確かに原因は様々にある。
選挙はナショナルアイデンティティー❝民族的自己意識❞に訴えるのが早い。

ヒトラーには演説の技術が備わっていた。
彼の姿と声は、集団ヒステリー(陶酔状態)マスヒステリー状況を生み出す効果があった。
始りはゲッペルスの宣伝力…そして政権を掌握した後は密室政治。
必要なら暴力もSS・SA・ゲシュタポ。


20世紀のヨーロッパに怪物が生まれた。



ホロコーストの実態を公式に撮影した映像は残されていない。

ナチス・ドイツが国家の力で、記録を許さず、証拠を隠滅したからである。

アラン・レネ監督の「夜と霧」は記録映画だが、アウシュビッツ収容所の跡地の映像と、フィルムとスチール写真を織り交ぜて構成されている。
全世界に大きな衝撃を与えた。
中学校三年生だった私は、父と一緒にみた。

その映画の価値は、今なお色褪せていない。