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運について考える

2004年09月16日 17時54分28秒 | 哲学
運がいい、運が悪いなどといいますが、運とは何なのだろうと考えてみます。

日常での運 とは
日常では 少ない確率の事が多く引き起こった時の現象 を運がいいとか運が悪いとか言っているような気がします。1/2の確率で当り外れがある事を10回連続で当てたとか、とてもラッキーな事を運がいいと言っています。または交通事故でクルマがメチャメチャになっているのにもかかわらず、無傷だったことを運がよかった。と言うかもしれません。反対に、映画のファイナルディスティネーションやデッドコースターのように運が悪いこともあるかも知れません。この2つの映画では不運というより、運命が題材になっていますが、偶然に(不運で)死んでしまう絵は不運と観ることができる。

運 はあるのか
ここからはかなり独断と偏見で語らせていただきます。
運は容器の中の水のように、増やしたり減ったりするものではない。と思います。よく運が落ちる、とか運が減る、運を使い切ったなど言いますが、運は定まった量があるものだとは思えないのです。なぜ、そんなことが言えるのかと言われると、証明するのが難しいのですが・・・

運 は偶然か必然か
運と偶然はほぼ同意語といえるかも知れません。しかしどんなことも必然だ、と言えるのではないでしょうか。例えば大学受験の結果を見る前に神社にお参りにいかれたとします、しかしどんなご利益のある神社にお参りにいっても結果は変わらないはずです。そこでお賽銭が少ないから不合格になり、お賽銭が多いから合格になるということはありえないわけです。
そこには人間の心理が大きく働いています。不安なことや五分五分のことは神頼み(運)にしたくなっちゃう。というところです。大学受験の結果は運(偶然)ではありません。必ず必然という事実がかかわっています。
麻雀の牌パイも然り。洗牌から山につまれ、自分の牌パイにされるまで、見えないので運(偶然)のように見えますが、洗牌から山に詰まれダイスを振るまでの間に、スロットのようになにが来るかランダムになっているわけではありません。伏せられて見えませんが牌が勝手に動いたり、入れ替わったりすることはないのです。
つまり運とは、人間が感じる確率の偏り、その呼び名 ではないかと思う。

運 のイメージ
よく運がいい時のことを、風が吹いてきたと言いますが、風というニュアンスは確かに運に近いと思います。小さい時なぜ風が起こるのか考えた時とても不思議でした。地球に大気はほぼ一定であるはずなのに、なんで空気の移動があるのか?と。温度差と大気圧から気流(風)が生まれるわけです。
それでは地球の大気を確率に当てはめてみます。えーっとつまり確率的によくおこることを無風の状態とします。で、地球の大気には風が強いところがあるわけですね、そういった所は低い確率が起こったところです。もっともっと強い風のところは、さらに低い確率がおきなところや、低い確率が連続でおきた(つまりはとても低い確率)ところということになります。
このような大きな大きな確率のうねりのまっただ中に、自分という小さな個人が居るというイメージなのではないかと思います。うまく文章にできませんが、私が感じる運とはこんな感じです。

でもホントはね
実際にそんなことを考えてると面白さも半減しかねないので、単純に運がいいとか悪いとか考えるようにしてます。なんだかヒット&アウェイ的でズルイですが・・・