ボードゲームを始めよう

ボードゲームは知的で楽しく、子供から大人まで楽しめる

世の中は金か

2005年07月08日 23時45分00秒 | 哲学
人それぞれです。←結論。

世の中と言う以上、お金は全てではありません。
世の中→自分を取り巻く世界
と考えた場合、お金が万能とはいえない。
限定された社会でなら言えるかもしれないが・・・

世の中→自分の人生
と考えた場合、やっぱり全てではない。
かといって愛だとか言う気もない・・・さみしい。
私の人生、というか人生の目的は・・・
うまく説明できませんが、
意味のある生き方をすること・・・
生き方の意味を見出すことでしょうか。

お金は手段であって目的ではありません。
それはどんな人も同じだと思う。
だっていくらお金持ちだって、お金を使わないわけがないでしょう?
使うからお金に意味がある。

だからいくらお金を持っていても、
使う目的が無かったら、単なる生活費ですらない。

生きる目的を見出す
これが難しい。これこそ人それぞれ。
人生をどう生きるか、それの手段にお金を使うことが
私にとってはベター。
生きる目的かぁ・・・まだまだ若いなぁ私は。


人間は記憶でできている

2005年06月15日 23時21分00秒 | 哲学
記憶をネタにした映画、最近だとメメント、エターナル・サンシャインフォーガットンでしょうか。記憶ネタの映画は低予算かつストーリーがモノをいう映画が多いのでいい感じ。
メメントは3分くらいの記憶しか保持できない男の話、身体中に忘れちゃいけないことをイレズミにしてる。映画は逆再生かのように時間をさかのぼっていくので1回観ただけだとなかなか分かりにくい。

このような映画を観ると、
つくづく人間は記憶で形成されてるな と思う。
基本的には 忘れる がストーリーのキモになっていて記憶をなくしてしまう主人公が周囲の環境に翻弄されるのだ。記憶で自分が自分として存在することを認識している。

記憶=経験から人は言動や行動を決めていると言っても過言ではありません。以前食べた経験から「おいしそう」「食べたい」と思うし、食べたことが無くても見た目、香り、情報の先入観から「おいしそう」と思う。

自分は25歳である、自分は会社員である、自分の名前は○○である、これらパーソナルな情報は基本的に記憶によるが、周囲がそれを認めることで正当化される。
では周囲がそれを認めなかったら?
超大掛かりなドッキリがあって、あなたは29歳だ、あなたは無職だ、あなたの名前は××だと、周囲が言い出したらどうだろう。区役所にいってもそうなのだ。始めは混乱するかもしれないが、少しずつ記憶は修正されて29歳、無職の××に自分も認識してしまうでしょう。

忘れはしなくても人間は記憶違い(カン違い)、記憶の改ざん(美化)、記憶の抹消(封印)を無意識に行います。記憶ってのは実にあいまいなのです。自分がよくわからない自分は記憶がかなりあいまいなんだろうなぁ・・・

しかし記憶と周囲の認知以外にも人間を形成する要素はあります。
肉体として存在しているという物理的な形成、もう一つは本能でしょうか。本能には反射という肉体を支配する力と以下のことがあります

本能の定義を私はうまくできませんが、誰にも(自分すら)教わることのない感情、思い、気持ちです。誰かを好きになるという感情は本能かもしれませんが、誰を 好きになるのは記憶・経験です。
母に似た人を好きになる、幼少時父性が少なかった人は優しい包容力のある人を好きになる・・・しかし好きという根本の感情は記憶や経験ではなく本能です。
場合によっては記憶・経験から好きという感情をつくることもあります。

しかし現在保険体育の授業があります、
SEXの仕方を知らない男女は子どもが作れるのだろうか・・・?
原人など人間の祖先の時代は住居(ねぐら)の構造から
SEXは子どもにも身近な行為だったと聞きます
本能からムラムラと沸き起こる感情はあれど、
SEXの仕方は記憶・経験(知識)なのかもしれない

動物は子孫を残す交尾を、本能で行っているのか
記憶・経験で行っているのか分からない・・・。
交尾のない単体で子孫を残せる雌雄同体生物は・・・?
母クモを食べてしまう子クモは本能で行っている・・・のか微妙。

人間はささやかな本能のチカラと記憶・経験と
周囲の認知で形成され現代社会で形成されている。

記憶のあいまいさで自分を見誤ってはいけないし、
逆に記憶をうまくコントロールすることで自分というあり方を変えることもできる。スポーツ選手の行うイメージトレーニング、セルフなマインドコントロール。ネガティブで悩んだら前向きな(ポジティブな)自分を作って記憶してしまうことだ。
やりすぎるとモラトリアムですが・・・
うまくすりゃ観たい夢(睡眠時)だって観れる。

記憶という自我をしっかりもつことはいいことだ。



生きる

2005年06月01日 03時59分00秒 | 哲学
人間ってなんで生きるんだろうって考えたことあります?

そもそも動物や植物はなんで生きるんだろう、、
子孫を残すため?
でも、なんで子孫を残すのだろう?
種が一つの固体で、それを子孫で繋ぎとめる、
進化なんてこともあるから、
ちょっとガイア説っぽくなっちゃうけど、
生きる→種を残す
動物や植物はそれでいいのかも。

人間は脳ミソがあって、文化ってものがあって
個性ができたから、
生きる→種を残す では無くなっっちゃった。

ふと
なんの為に仕事してるんだろうって我にかえる
生活の為に仕事してるんだと考える
なんの為に生活してるんだろうと考える
生きていく為に生活してるんだと考える
生きるって・・・
人それぞれ思うところがあって
答えが出ないかもしれないし、
何かしらの答えが出るかもしれない。

自分(人間)には厚かれ薄かれ殻があって
他人と自分を区別している。
私の殻は何層にもなっていて
一番中心に居た本当の自分が分からない。
って感覚に襲われる。

どんなに哲学の本読んでも
どんなに映画を見ても
生きる がなかなか分からない。

なんの為に生きてるんだろう
とかって考えると、寂しい気持ちになるので
楽しく生きようと思う。
生きる意味が分かるまではそうやって生きてもいいかな
って思っています


ソクラテスってひと

2005年04月15日 20時00分00秒 | 哲学
その昔ヒゲのおっさんがいました。ソクラテスさんです。
ソクラテスさんは何かを知らないことを私は知っている→何かを知らないことを知らない人より勝っている。と言いました。例えば「公平とは何か」に対し、ソクラテスさんや他の人は公平とは何か答えることができない、しかし公平さを知らないことを知っているという点で他の人より勝ってるということ。二度言ってみた

知らないという事実を知ると、知りたいという欲求にかられます。
ソクラテスさんは弟子たちと問答にあけくれ、弟子たちに無知を気づかせたのです。
スクラテスさん自身も答えを知らないことを弟子に問いていったのですねぇ~でもなかなか面白いから皆さんもやってみてください。ボードゲームとは何ぞや、楽しいとは何ぞや、「だから何?」って言われるかもしれないけど、その人が興味もってるものなら「あれ、何て言えばいいんだろう」って思うんだろうなぁ

えっと、そんなことばかりしているもんだから
当時の権力者たちも、ほんまは何も知らないんちゃう?みたいなことになり、権力者たちの怒りを買いました。人の心を惑わすとして国外追放か死刑にするぞ!と言いました。するとソクラテスさんはスゴイことにこう言ったのです。

私は魂が不滅であることを知っている、だから死を恐れることはありません
ソクラテスさんは魂の不滅を論証していました、そして不滅だと知っている。知っているのに、それを信じないことはありえない。自分で知っていることを信じないことは、「知っている」ということ自体が意味がわからなくなってしまう。
ソクラテスさんは自ら毒杯を飲み干したのです・・・

ここでは魂が不滅かどうかはツッコまないでください。
ソクラテスさんが言いたいのは、知っているのに信じないのは矛盾するということです。
ひさびさにビビっときたね~
知っているということは信じるということで肯定されるんだなぁ~。いままで知ってる、知ってたってことを自分は信じているでしょうか・・・私は自分がいずれ死ぬということを知っている→しかし明日死ぬ可能性があることを信じていないかもしれない・・・。私はオバケや幽霊がいないことを知っている→しかしオバケ屋敷やホラー映画は怖くて目をそむけてしまうのです。(オバケ・幽霊がいる、いないは人それぞれです)

ソクラテスさんのように知っることへの愛に身を焦がしたい


「普通」と「セオリー」

2004年12月17日 17時57分44秒 | 哲学
普通の人、普通の事、普通とは何でしょう?
普通とはつまり一般的ということ、一般的とはつまりは多数決と思う
たくさんの人がそうだと答えた(答えるだろうとされる)ことが一般的であり、普通だと言える。

お母さんに、普通の人はそんなことしないよ!と言われる子供。っていうシチュエーションがよくありますが、(あるかなー・・・自分はよく言われました)普通の人ってどんな人だよ!って思いますよね。普通が良い、という心理は、人間の大衆心理というか、みんなと同じことをしていれば安心する心理みたいのからくるのかなー

そんな心理学は置いといて、放っておいて。
んじゃーセオリーって何よ?ゲームの手順、勝利への効率を考えた上で取るべき行動→セオリーっつー感じですかね。このセオリーってのがなかなか面白くって、ゲーム製作者たちはこのセオリーをどうゆうふうにするかってことを色々考えているんじゃないかなと思うのです。それ故に読み合いだったりセオリー通り、セオリー無視が面白いのである。

んでもっと面白いのは、社会的な普通と、ゲームのセオリーは同一でない所です。一見普通にプレイしててもなかなか勝てない、突き詰めて考えてゆくと、こうの方がいい、こうしちゃダメっていうセオリーができてくる。しかもそれが誰がどぅ考えてもそれが最高の手順であればいいのですが、そうもいかない。好き嫌いもあるし、個人個人でセオリーが違うケースの方が多いのだ。

んで結局何がいいたいかというと、万人がそうだと認めるセオリーは無い。ということ。
普通の人、なんていないってこと。
皆がそれぞれ考え方が違ってるってことを知っているか、知っていないか、だったら知っていた方が、なんかイイじゃん。ってことが言いたい。普通やセオリーで自分以外の人のプレイや思考を批判するのは、あまり良くないと私は思っている

ってことが言いたい。変な文・・・