里山の麓の集落にある「そうめん滝」と呼ばれる灌漑施設まで歩いた。
目的地に到着して、付近を歩こうとしてふと「砥川用水」と呼ばれる用水を歩いてみる気になった。
OB会の機関紙編集を引き受けているので、郷土の施設紹介ネタとして使えると思ったからである。
(そうめん滝)
稲作の真っ盛りなので、灌漑施設として満水状態にある。
通常は、もっと水量も少なくて山際の岩の隙間から清冽な湧き水が吹き出しているのが見えるのだが・・。
滝のように一年中水は出ているが、高さは1m弱のささやかさなので「そうめん滝」と呼ばれている。
(進入禁止)
日頃は出入り自由で、子供が池に入って遊んだり釣りをしたりも出来るが満水時は立ち入り禁止。
(用水の出口)
貯まった池の水は、この出口から各々農業用水路に分散しながら付近の田んぼを潤す。
その出口の穴の水面から上部の空間を埋めるように、ビニール製のボートが押し込んであった。
この出口の先から「砥川用水」ははじまる。
(砥川用水最上流部)
江戸時代に、下砥川の庄屋職の富田茂七翁が水不足に悩む農民のために造った用水である。
中砥川・上砥川の庄屋と話し合い「そうめん滝」の豊富な湧き水を下砥川まで引こうとしたのである。
土地の形状から、一部中砥川付近が標高が高く導水は困難と皆が諦めていた。
藩の郡代に工事の許可を申し出て、いろいろな困難を乗り越えて数百ヘクタールを潤す工事は完成。
この間、工事の困難性は当然あるものの、最大の障害は藩のお役人の了解を求めることに費やされる。
(現役で今も使用される用水)
費用も作業員も、全部地域もちの工事だったようだが、失敗を乗り越えて用水は完成し今も現役。
その偉業を称えて、顕彰碑が用水の途中に建立された。
(苔むした顕彰碑)
自然石を使った顕彰碑は、苔むして文字も簡単には読み取れない。
郷土の偉人の業績を広く町民にも知って貰おうと教育委員会が説明板を設置。
(顕彰碑の説明板)
この町に住むようになって30年目を向えた私も、初めて用水を見、そしてその内容に触れた。
先人のこうした地道な業績は、現在の生活に不可欠になっているにも関わらず埋もれてしまう。
私としては、郷土の偉人と施設紹介コーナーを埋める記事がなんとか出来そう。
ただ、歩数計1万6000歩は・・・少々きつかった。
「お役所の癖は今でも治らない」・・・しろ猫
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