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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

平成に昭和がツケを取りに来る

2016-02-03 08:27:42 | 本と雑誌
 本屋にハッキリした購入目的をもって向かうことは希で、何気なく立ち寄って何気なく眺め、手にとってしまう。

 今日の本もそんな流れの中で選んでしまった一冊。

 
 「大人のための昭和史入門」半藤一利・船橋洋一・出口治明・水野和夫・佐藤優・保坂康正他(著)2015・8文藝春秋(刊)

 著者の項目が〇〇他で結ばれているのだが、実際は他の方が大勢で13名が名を連ねている。

 第一章は座談会「世界史の中の日本史」で、各界を代表する4名による座談会。

 第二章は、「第2次大戦前夜」というところで、満州事変、国際連盟の脱退、五・一五事件、二・二六事件について

 第三章「第2次大戦の勃発」は、日中戦争、三国同盟、日米開戦、原爆投下

 第四章「戦後とその後~第2次大戦の遺産」はポツダム宣言、東京裁判、GHQ占領、人間宣言、日韓歴史認識

 その他として最後に年表が付けられている。

 平成になって28年を迎えたが、昭和という時代を一時代前として括ってしまうにはあまりに現在に密着しすぎている。

 昭和史の転換点として捉えがちな、重大な事変・事件等は明確な区切りがあったわけではなく、気づかぬうちに或いは気づいていながら、それこそ一億ナントカよろしく突き進んで行った歴史のようだ。

 今また「冷戦構造の崩壊」「経済のグローバル化」など歴史は大きく流れている。

 台頭する中国、揺らぎ始めたユーロ圏、激動する中東情勢など国際秩序のあり方を巡って各国は自国の国益を念頭に置きながら丁々発止の駆け引きを展開している。

 次に来たるべき安定のためのルール作りに日本も加わるわけであるが、この分野が日本の最も不得意なところで、昭和史の歴史はまさにその失敗の悪循環の結果といっていい。

 柔軟な思考、タフな交渉、少数意見や異論をくみ上げる政治の度量など昭和史は失敗から立ち直りまでの歴史のサンプルのようなものだ。

 「平成に昭和がツケを取りに来る」

 では、困るのだ。

 
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う~んとため息読書あれこれ

2016-01-28 09:08:02 | 本と雑誌
 本を借りるときの選択材料は、ちょっと変わった題名・出来れば短編集、さもなくば中編200ページ前後を基準に選ぶ。

 短編や中編はなかなか個性的で凝ったものが多いが、この2冊もご多分に漏れない。

 
 「四角い卵」サキ(著)井伊順彦・今村楯夫・辻谷実貴子・奈須麻里子・肥留川尚子・渡辺育子(訳)池田俊彦(挿絵)
 2015・10風濤社(刊)

 12の短編が収録されているが、エドワード7世時代のイギリス上流社会を、毒のある風刺を効かせて描いた作品。

 クルーズに一人の悪女を登場させて皆の反感を一身に負わせ、全体の安穏を図る「ミセス・ペンサビーは特例」、原因不明の病によって、生死不明の状態に置かれている主人公が地獄の手前で客人として扱われる「地獄の議会」が特に面白い。

 それに挿絵が強烈に変わっていてちょっと恐ろしいくらい。

 紙質は全ページ厚手の灰色で目は疲れなかった。

 
 「チャイルド・オブ・ゴッド」コーマック・マッカーシー(著)黒原敏行(訳)3013・7早川書房(刊)

 暴力的な性向をもった主人公が、家族も家も失い山中で社会と繋がりの少ない生活を送るうちに凄惨を極める犯罪に手を染めていく。

 凄惨さを端的にズバッと表現する文体だが、読者にとってはそれが救いであって、かろうじて自分を神の目線にまで引き上げてくれ続けるのである。

 人間の怖さをここまで描くかとため息の一冊。

 
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「澱み」と「七人目の陪審員」

2016-01-15 12:37:33 | 本と雑誌
 確か年が明けて1週間目くらい経って、図書館から本を2冊借りてきた。

 返却期限は迫っているのだが、なかなか読み進めなかった。

 
 ヘルタ・ミュラー短編集「澱み」ヘルタ・ミュラー(著)山本浩司(訳)2010・10三修社(刊)

 作者は1953年ルーマニア生まれ 現在はベルリン在住のノーベル賞作家

 表題の「澱み」を含めて19の短編からなっている。

 ただし「澱み」が113ページで全体の半分以上を占めていて、その他の18作品は2~10ページの短編。

 全作品とも、セリフの部分も「 」で囲ってなくて地の文と一緒になっている。

 セリフは土地の人や自分に近しい人は関西風の言葉をつかい、遠くの人とか偉い人は標準語で話している。

 それは全作品を通じて共通している。

 訳者の手になるものだろうが、著者はルーマニアの中にあって一地方の少数派であったドイツ人として独特の立場を言葉を違わせて原作の中でも描いているに違いなと思う。

 とにかく、「澱み」を読み終わるのに苦労した。

 それこそ作品自体が澱んでいて、一気に読み進めるような文章ではない。

 それ以外の短編はとても読みやすいが、内容はとても深い。

 激動の時代を激動の地で過ごした体験を文章に表現したいという意欲全開の短編集である。

 
 「七人目の陪審員」フランシス・ディドロ(著)松井百合子(訳)2015・1論創社(刊)

 数ページ読めば犯人は分かるので後は物語の展開を楽しむというスタイルになる。

 刑事コロンボが謎解きに挑んでも、視聴者はとっくに真犯人も動機も凶器も分かっているという手法と同じである。

 違うのは、この作品が59年も前に刊行されたものだということを念頭に置くべきで、決して二番煎じではないという事だ。

 おまけにラストは別の意味での予定調和となるところなど面白くて恐ろしい。

 「借りてきたんだろう、最後まで読めや」と本に叱咤激励されたような2冊だった。

 
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酔った頭で本を読む

2016-01-06 08:47:55 | 本と雑誌
 去年の暮れに借りてきた図書館の本の返済期限が迫ってきた。

 最初からこうなることは予想できていたので、軽くさっと読み飛ばせるものを選んでいた。

 
 「ことわざの論理」外山滋比古(著)2010・8東京書籍(刊)

 ことわざには同工異曲のものを外国にも見いだすことが出来る。もし、他所の国に対応するものがないのなら、それはその民族・社会に固有な面を反映することわざだと考えてよい・・・以下略(まえがきより)

 ことわざというのは、どこの国にも申し合わせたようにあるようで、不思議なことに別の言い回しで表現しているだけで、内容が符合するものが多いようだ。

 「転石、苔を生ぜず」の解釈・用法
   ・イギリス:一ヶ所に長く腰を落ち着けていられないような人間には成功はおぼつかない。
   ・アメリカ:転がる石は苔をつけない。
   
 流動社会と定着社会の違いだと著者は述べる。
 さて、日本ではどうなのだろう、近いのはイギリス的には「石の上にも三年」だろうし、米国的には「流れる水は腐らない」かな?

 本の内容としては、知られたことわざばかりが紹介されているので、せめて同趣旨のことわざを幾つかの国別に並べて対比させるようなこともなされていれば、もっと興味が持てるものになっていたろうに例話などを面白く紹介する単なるエッセーになってしまっている感じがして、私的には期待がはぐらかされた思いだ。

 まあ軽くさっと読み飛ばせる本などと、動機が不純だった当方に非があるのだが・・・。

 
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「骨の山」を読む

2015-12-21 09:25:50 | 本と雑誌
 不思議なもので、ちょっと変わった表題の本には直ぐに目が行く。

 で、ちょっと中を覗いてみる。

 特に目次を。

 これは、かなり変わっていた。

 
 「骨の山」アントワーヌ・ヴォロディーヌ(著)濱野耕一郎(訳)2015.1水声社(刊)

 それぞれが同じ題名の本を書いた男女が、本の内容について拷問を受けながら取り調べられている場面から始まる。

 一部は女が調べられながら、その本の内容が明らかにされていく。

 二部は男が同じようなパターンで調べられ、そして男の書いたものが描かれていく。

 全体主義体制の中で拷問が現実に繰り広げられながら、拷問を受けている側の書いた本の内容が、本作品のほぼ全部に当たるという、凝った構成になっているのだ。

 しかも、男女の作品には共通した登場人物が別の視点から描かれていく。

 捉えどころのない、不安定な足場を歩きながら読み進むことを強いられる。

 フランスでは今最も注目を浴びている作者の一人だということを訳者のあとがきで知った。

 このあとがきがまた長い(30ページくらいある)。

 彼の作品に初めて足を踏み入れる読者は、軽い目眩に似た感覚に襲われるのではないかと訳者は書いているが、目眩どころか私など始めの20ページ辺りで、読んでいた姿勢のまま不覚にも眠ってしまった。

 気がついた時はかなり時間が経っていたが、続けて読むうちに少しずつ目が冴えてきた。

 
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はじまり・はじまり

2015-12-10 09:50:29 | 本と雑誌
 図書館の良いところは、個人では購入を躊躇するような高額の本がタダで読むことが出来ることだ。

 例えばこの本「はじまり はじまり はじまり」は本体2400円とある。

 
 「はじまり はじまり はじまり」姜信子(著)2015.9羽島書店(刊)

 確か「ふうてんの寅さん」の歌に、♪目方で男が売れるなら こんな苦労もかけまいに・・・なんてのがあったが、目方や厚さやページ数で本の価格は決まらないということだろう。

 ページ数は表紙を除けば80ページ、40枚・・。

 「あいのはじまり」「うたのはじまり」「たびのはじまり」の三部構成になっている。

 詩のようであり、童話のようであり、語りかける不思議なお話なのであるが、抵抗なく頭にす~と入ってくる文章である。


 著者がサハリンや中央アジアの旅をした時の事は新聞に連載されて読んだことがある。

 自分をたどる旅だったと記憶する。

 日本人が意識しない、あるいはしようとしないもの、何を得、何を失ったかをも消去して思考停止している大切なことに気づかせてくれる。

 どうやら枚数は関係なかったようだ。

 
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反知性主義とファシズム・・ん?

2015-12-05 10:43:54 | 本と雑誌
 どうやら反知性主義という言葉は流行っているらしい。

 流行語大賞にはノミネートされていたのかどうだかは知らないが・・・。

 
 「反知性主義とファシズム」佐藤優・斎藤環(著)2015.5株式会社 金曜日(刊)

 著者紹介では、二人とも著書紹介の最後に「・・・など著書多数」とある。

 相当に発信し続けているいるのだろう。

 AKB最終原論、「つくる」の解釈に色彩を持たせる、「風立ちぬ」の「ふやけたファシズム」、日本にヒトラーは来ない。 などなどよくもまあ次々と話題が出てくるなビックリするような幅の広さ。

 とっかかりのややこしさに、読み始めたことを半ば後悔したが、読み進むうちに何となく面白くなってきた。

 何というか覗き見的な快感に似たものが湧いてきたのだ。

 二人の言う反知性とは純粋な意味合いのものらしく、既存の価値観を破壊し創造するという意味合いの反知性とは少し趣を異にする印象を受けた。

 確かに知性のそもそもを掘り下げもせずに、反知性主義やファシズムなどは論じられないということだろう。

 歯に衣を着せぬ論調からは多分論敵も多かろうことが想像できるし、それが望むところだろうとも思うのだが。

 
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雑草の和名が難しい

2015-12-02 14:52:20 | 本と雑誌
 雑草と一括りにしてしまって、引き抜いては捨てる邪魔者扱いの庭や菜園の草々も歴とした名前がある。

 ところがこの名前がなかなか手強い。

 
 たのしい自然観察「雑草博士入門」岩瀬徹・川名興(著)2007.3全国農村教育協会(刊)

 毎日見ている庭の花の名前だって1年に一度咲いたとき、「はて、君の名は?」なんてことがよくある。

 まして子どもの頃から慣れ親み遊んで、踏みつけていたはずの雑草なのに名前はあまり知らなかった。

 同じ固有種でも地域によって、あるいは時代によって名前が異なるそうで、それじゃ困ると統一した和名がつけられているらしい。

 その表記はカタカナで表すことになっているそうで、例えば「ホトケノザ」は「仏の座」ではない。

 「ヤブカラシ」も「藪枯らし」ではなく、「セイヨウタンポポ」も「西洋タンポポ」とは表記しないらしい。

 この他にもちゃんとラテン語表記の学名が国際的に通用する標準名になっているという。

 なお道路脇などの雑草は外来種がほとんどで、在来種と似たものは和名の前に特有の文字をくっつけたり、和名の後に「〇〇モドキ」などと付けたものも多いらしい。

 植物全般に言えることだが、和名のカタカナ表記は意味の特定を避けるために考えたことのようだが、覚える側とすれば漢字の意味などから植物の特徴に結びつけて覚えることが多いのでかえって覚えづらいことになる。

 多分今日覚えた草の名も、1~2週間後には忘れ去って雑草で一括りになることだろう。

 
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本の装釘意匠

2015-11-28 09:05:48 | 本と雑誌
 なぜか本棚の中には以前から有ったのに読んでいない本が何冊かある。

 ちょっとしたイベントの場を借りたフリーマーケットかなにかの古本コーナーあたりでまとめて買ったものだろう。

 そんな中に真っ黒な表紙で表題などまったく見えない本があったので引っ張り出して読んでみた。

 
 「日本歴史を点検する」対談:海音寺潮五郎・司馬遼太郎 1975.8(13刷)講談社(刊)

 初版は昭和44年(1970年)だから45年前に出版された本ということになる。

 封建の土壌、天皇制、産業革命、西郷と大久保、日本人の意識の底、幕末のエネルギー、言語感覚の特異性などなど両氏の対談の雰囲気を損なわないよう文章的には無理があってもそのまま編集したとある。

 内容は幕末あたりに重点が置かれている感じだが、人物評はなかなか面白い。

 いったいこの本は幾らで売られた本なのだろうと見てみると、「定価はカバーに表示してあります」とある。

 カバーなどはじめから見た記憶もないが、外せば定価はもちろん表題さえ見えないようになっているのだ。

 

 真っ黒な表紙の裏は真っ赤で、もう一枚間にある真っ赤なページをめくると表題が出てきた。

 木でも入っているのかと思えるくらい堅くて、金輪際まがるものかと頑張る表紙。

 微かに銀色の光沢のある表題。

 前書きの次のページの目次の最後に、「装釘意匠 山藤章二」とある。

 最近では滅多に見ない装釘の頑丈な本で、試しに頭を叩いてみたら、コンと音がしてとても痛かった。

 
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ポックリ名人

2015-11-26 09:38:55 | 本と雑誌
 図書館から借りた本だが、語り口がやさしくてちょっとした講演を聴いている感じの本だった。

 
 「ポックリ名人。」帯津良一(著)2009.10東洋経済新報社(刊)

 数年前に前著があって、これはその続編のようなものらしいが私は初めてだった。

 内容はハウ・ツウものの感じもするが、死をテーマにして深刻にならず、持論を展開して小気味よい。

 人間はどこかにスピチュアルな一面を持っているし無視できない本能のようなものとも言える。

 壮大な宇宙観には共感するところが多い。

 今を自分なりに生き抜いて、ポックリ死ねたら言うことはない。

 やりたいことは思いきってやっておかないと、などと思う今日この頃。

 「加齢から逃げず加齢を楽しんで」

 ですな。

 
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