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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

まさかジープで来るとは??

2017-01-27 09:24:04 | 本と雑誌
 図書館の俳句コーナーに意表を突く題名の本が2冊あったので借りてきた。

 パラパラと捲って見て、ちょっと変わったキャッチコピーのような雰囲気に引かれた。

 そして著者の名前を見て更に興味が湧いたから・・・。

 
 
 「カキフライが無いなら来なかった」2009.6幻冬舎刊と「まさかジープで来るとは」2010.12幻冬舎刊 著者はいずれも「せきしろ氏」と「又吉直樹氏」

 ところどころに写真やエッセーがあって、両著者が交互に作品を載せている。

 例えば「こんな時間に家族ずれか:せきしろ」とか「急に番地が飛んだぞ:又吉直樹」とかの作品が・・・。

 短いのでは「イントロは良かった」長いのでは「朝食でも昼食でも夕食でも夜食でもないところが自由だ」。

 一瞬の心の動きを捉えていて面白いのだが何なんだこりゃ?と思って裏表紙を見たら、2008年に又吉直樹とせきしろが自由律俳句の創作活動を始め、カキフライが一冊目でジープが二作目らしい。

 五七五も季語も切れ字の縛りもない、う~~ん・・自由律俳句。

 同時に借りてきたのが俳句表現法。

 

 「俳句表現は添削に学ぶ」鷹羽狩行・西山春文(著)2009.5角川学芸出版(刊)

 学問的な裏打ちのある俳句本質論となるよう考えた、これから俳句入門を志す初学の方からベテランまで・・云々とある。

 俳句も幅が広いということだろう。

 この鷹羽狩行氏に年に一度指導を仰いでいたという変哲氏(小沢昭一氏)の句がほどほど中間あたりで私は好きだ。

 一番好きなのは「寒月やさて行く末の丁と半」という一句。

 季語に囚われなければ、まさしく川柳と見まごうばかり。

 ならば私も・・・「フィクションとことわった句に思い込め」

 
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最近俳句の本がマイブーム

2016-12-25 20:30:30 | 本と雑誌
 俳句の本ばかり3冊借りてきた。

 五・七・五の十七音で表すところは川柳と同じだが、約束事に関してはやや煩い。

 説明に納得したり出来なかったりするが、読めば内容はとても面白い。

 
 (「生涯七句であなたは達人:辻桃子」「一句悠々:正木ゆう子」「俳句発想法:ひらのこぼ」)
 季語と切れを厳密に要求するかと思えば、自由に詠ませるという懐の深さもみせる。

 更には字数・音字に拘らない句まで認めるとなれば、子規が生きていたらなんと言うのだろう。

 古いの新しいのと色々あって、流派が出来たりその結果破門されたりくっついたりと賑やかになる。

 何だか華道・茶道・書道などの古い習い事の世界のような雰囲気をも漂わせる。

 この喧しいところで静かに詠むのがまた俳句の楽しさなのかも知れない。

 「天井の高さを競うお札貼り」

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パンドラの箱

2016-11-10 09:57:51 | 本と雑誌
 一年前の昨日の私のブログは「超・反知性主義入門」という本の紹介をしていてる。

 知性とされてしまっている「既成の構造」にもの申すといった内容で、読後感として言わんとするところは理解できるが、表題の頭に「超」という文字が着いているのだけがよく分からんと結んでいる。

 そのブログを振り返って読みながら、今回のアメリカ大統領選における大方の予想を覆す「トランプ」の勝利という結果と符合する部分があることに気がついた。

 そのブログでも紹介しているように、この反知性主義というのは近年にわかに言われ出したというが、「近年」とか「にわかに」とかいうところが予言的であったともいえる。
超・反知性主義入門
 心配していた腰痛は最悪の事態は回避できそうな方向に向かって行くのではないかと推察できる。 前夜の事態は、入院騒ぎまで云った時と似ていたのだが、翌朝の動けなくなっていたあの痛さ......

 イギリスのEUからの離脱やフィリピンの大統領の言行など、何となく今までとは違った動きが感じられる昨今である。

 変革だのチェンジだのの言葉に国民は滅法弱い。

 現状追認などという政治家はいないという現実も知ってはいるが、現状否定と変革の言葉に国民は飢えている。

 そして「パンドラの箱」は大体一国に数個は準備されているものなのだ。

  
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雨の日は読書

2016-07-08 16:56:29 | 本と雑誌
 買い物に行くにも躊躇するような雨が続く。

 ただ昨日までの猛暑とはうって変わって27度くらいだから気温的には過ごしやすい。

 本でも読んで過ごすことにする。

 
 (「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年)

 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹(著)2013.4文藝春秋(刊)

 帯には「ある日ふと思い立って、机に向かってこの小説の最初の数行を書き、どんな展開があるのか、どんな人物が出てくるのか、どれ程の長さになるのか、何も分からないまま、半年ばかりこの物語を書き続けました。
 最初のうち僕に理解出来ていたのは、多崎つくるという一人の青年の目に映る限定された世界の光景だけでした。
 でもその光景が日々少しずつ変貌し、深く広くなっていくのを見るのは、僕にとってとても興味深いことでだったし、ある意味では心を動かされることでもありました。(著者インタビューより)」とある。

 羨ましい創作姿勢だなと思う。

 大凡の筋立てだの、登場人物のキャラクター設定だのと世の創作ハウツー本では創作技術を説くものが多いが、展開自体が作者を引っ張っていくという感覚でものが書けるというのは凄いなと思う。

 
 (創世の島)

 「創世の島」バーナード・ベケット(著)小野田和子(訳)ニュージーランド2010発行 早川書房

 近未来小説、この分野はどうしても西欧の方が進んでいるような気がする。

 アカデミーへの入所のための試験で、割り当てられた4時限の枠内で3名の試験官の発する質問を正しく認識し自分の考えを述べていく、事前研究のテーマに沿ったプレゼン能力もさることながら根底にある考え方、疑問点の捉え方などが試験の焦点になる。

 試験官と受験生としての主人公のやり取りが素晴らしい。

 緻密に積み上げられたお話は最後にあっと言わせてエンディング。

 この本は既に何年か前に読んでいて、種も仕掛けも知っているのだが2度目でも結構面白い。

 犯人が分かった後の刑事コロンボ的読み方で、伏線の手法など学ぶべき点の多い作品である。

 
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春の嵐の日に凹む小説など・・

2016-04-07 09:18:49 | 本と雑誌
 天気予報通り雨が降っている。

 降っているというより、西からの強風に煽られて水を横から浴びせられている感じだ。

 時々雨脚が強くなると西側の窓に叩きつける音がする。

 台風の接近を思わせるような強い風で、家の周りで色々な音がしている。

 多分植木鉢の1~2個はひっくり返っているはずだ。

 
 (里山の今の空)

 里山の上の雲の流れは速く電線も揺れている。

 多分これでギリギリ週末まで花見が可能であった筈の桜の花も一気に散ってしまうことだろう。

 「月に群雲花には嵐」とは良く出来た言葉だ。

 陰鬱な空模様に似合いの中編集を読んだ。

 
 「邪眼」ジョイス・キャロル・オーツ(著) 栩木玲子(訳) 2016・2河出書房新社(刊)

 上手くいかない愛をめぐる4つの中編とあるが、こうもうまくいかないと読み手も少し凹む。

 上手くいったのといかないのを交互に混ぜてくれると、人生浮き沈みはあるわけで何とか読み手も立ち直る。

 作者は現代アメリカ文学随一の短編の名手として知られ、近年はノーベル文学賞候補として名前があがっている・・・らしい。
 私は知らなかった。

 知っているのは村上春樹が毎年候補にあがりながらなかなか受賞してくれないことぐらいだ。

 「春風に夜桜お七の泪節」

 
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「未成年」を読んで・・・

2016-03-28 08:56:40 | 本と雑誌
 「未成年」を読んだ。

 高等法院の女性裁判官は、法廷でさまざまな問題にとりくむ一方家庭では夫との関係に悩まされている。

 仕事と家庭、公務と私生活等よくある話ではある。

 だが立場が裁判官となれば・・・・。

 
 「未成年」イアン・マキューアン(著) 村松 潔(訳)2015.11新潮社(刊)

 職業的野心に燃えて高等法院の裁判官という地位にまで上った主人公フィオーナは、法廷での冷静で理性的な判断を下すことで同僚の信頼も厚いが、一方では私生活を犠牲にしてきたツケが60歳を間近に控え老いを意識する今明らかになってくる。

 彼女が携わった数々の事件とその判決、同時に進行する彼女の私生活、そんな中で宗教上の理由から輸血を拒否する18歳に少し満たない少年に対する審理が病院側から持ち込まれ、患者の思想と病院側の医療行為という信仰と生命の問題に正面から取り組んでいく様が描かれる。

 裁判官は研ぎ澄まされ賢すぎるほどの少年の思想と感性に触れ合いながら、保護者としての両親に判決を下す。

 判決後のさまざまな出来事が丹念に描かれ、彼女の過去や現在の私生活、彼女の心の有り様が事件を別な方向に展開させ、むしろこの本のメインはそこにあることが分かってくる。

 「未成年」は少年の物語ではなく、「大人とは」を問いかけてくる。

 私にとって、何ともやるせない気持ちにさせられた一冊である。

 
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仔羊の頭・・・

2016-03-26 09:08:26 | 本と雑誌
 「仔羊の頭」を読んだ。 

 スペイン内戦の戦前・戦中・戦後を、か弱き子羊たちの目線で描いている。

 では内戦で右往左往する哀れな市民の姿ばかりが描かれているのかというとそうでもない。

 
 「仔羊の頭」フランシスコ・アヤラ(著)松本健二・丸田千花子(訳)2011.3現代企画室(刊)

 14ページにわたる序文から始まる5つ短編から構成されている。

 序文に作者の思い入れが記されていて、スペイン内戦の意味と自分の責任というものが語られる。

 「言伝」:数年ぶりに会った従兄弟との会話と意味不明のメモをめぐる物語。判然としないまま時代は動く。

 「タホ川」:反政府側に参加した中尉の葡萄畑での出来事。内戦後に心の沈殿物が浮き上がってくる。

 「帰還」:帰還した祖国で居場所を見つけられずに苦悩する亡命者。

 「仔羊の頭」:たまたま自分とルーツが同じだという家族と、興味半分で食事をする中で出された羊料理。
        デンと鎮座する「仔羊の頭」を見ながらの脂っこい料理を食べ、帰ったホテルで消化不良のため嘔吐する。
        自分の過去、家族、内戦・・・そして自分自身の生き方そのものが消化不良であった。

 「名誉のためなら命も」:作り話ではないとことわって、数奇な体験を語る人の話を物語として構成している。

 5篇のすべてが、作者独特の語り口でユーモアさえ感じるし、内戦を描きながら軍の戦闘場面は無い。

 3年間に及ぶスペイン内戦は、国民を抜き差しならぬ対立感情に巻き込み、その後心的後遺症に苦しむことを強いる。

 内戦に勝利したフランコ政権独裁は1975年まで36年間つづく。

 作者の著作が原文のままスペインで発刊されるのは内戦終了後のずっと後になる。

 21世紀になって「セルバンテス賞」を受賞し、そのスピーチの中で昨今の読書離れを憂う言葉があえて発せられたというが、本によって想像逞しいドン・キホーテが生まれた国としては、心配でならなかったのだろう。

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両シチリア連隊に迷い込む

2016-03-11 09:47:50 | 本と雑誌
 題名に引かれて読んでしまった一冊、「両シチリア連隊」。

 
 「両シチリア連隊」アレクサンダー・ホレーニア(著)垂野創一郎(訳)2014.9東京創元社(刊)

 外国の読み物の特徴は、登場人物の名前のややこしさと異常なまでのその繰り返しにある。

 例えば日本のものならば、少数の登場人物なら男女の言葉の使い分けや立場の違いによる言葉遣いなどで、一度その場面で使った名前などは一々説明しなくとも読者は分かる。

 ところが外国の読み物となると、たった二人の会話で登場人物も十分過ぎるほど分かっているのに「〇〇は言った」すると「そうでもないわ、と△△は答えた」といったあんばいに、会話のたびに出てくる。

 日頃見慣れている英語圏ならわりと素直に名前が記憶に残るのだが、これが英語圏以外のヨーロッパとなるとややこしい。

 特にドイツ語・フランス語・ロシヤ語などが入り乱れる地域ではややこしさも最高潮に達する。

 コンスタンティン・イリイチ・プフェンドルフや、ジルヴァーシュトルペなどという名前が次々に出てくると、名前だけで行数と相当部分の字数を使っていることになる。

 まあ、今日のところはこれくらいで勘弁してやることにしよう。

 「両シチリア連隊」という題名におやっと思ったのは、そもそも私に「両シチリア」の基礎知識が無かったからである。

 イタリア半島の先端の狭い海峡を隔てた隣り合う「シチリア王国」と「ナポリ王国」を総称した呼び名で、1816年フェルナンド1世の元で「両シチリア王国」という一つの国になった。

 かつての君主国、地中海世界、今は無き「神聖ローマ帝国」への追慕など、ヨーロッパ人が何処かに持つアイデンティティの一端の仄かな香を嗅ぎ取れということか。

 日本人にはややこしい七面倒くさい話だが、題名の根底に流れるものは説明なしで彼らには理解出来るのだろう。

 しかし、物語の中心はこの連隊が役目を終え解散し消滅したあと生き残った7将兵が次々と死んでいく事件である。

 ナチスドイツの勃興記に書かれた小説ゆえに、そこにはミステリーではない必然性が求められた時代背景もある。

 登場人物の語りが長く、例話が一人歩きして進行を複雑にする。

 ゴードン警部の謎解きは、ある意味「動機はつくられる」とも言える、二つの意味で。

 一つは「時代に向けて」そしてもう一つは「読者に向けて」

 不思議な気分にさせられた小説だったが、あるフレーズだけが妙に印象に残っている。

 ”結局のところ、神の何を信じるべきだろう。もっともテルトウリアヌスならこうも言えただろう。「キリストが架刑となり死亡し埋葬されたことを、私は信じている。なんとなればそれは不合理なことだから。キリストがそれにもかかわらず復活昇天したことは確実だ。なんとなればそれは不可能なことだから」・・・・”

 この本に「不思議な気分にさせられたで賞」を贈呈したい。

 
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聖ペテロの雪を読む

2016-02-19 10:45:10 | 本と雑誌
 この頃似たような傾向の本が多いなと思ったら選ぶ側の自分に原因があることが分かった。

 外国のものが国別あるいは地域別に分類されて本棚に並んでいるのだが、最近ドイツのコーナーで選ぶことが多いのだ。

 そしてまたまた今回も・・・。

 
 「聖ペテロの雪」レオ・ペルッツ(著)垂野創一郎(訳)2015.10KK国書刊行会(刊)

 病院のベッドに横たわった状態で目覚めた主人公は、数週間前の出来事を思い描きながら再び眠る。

 二度目に自然に目覚めたとき、「入院から5週間目になる」看護師から聞かされる。

 それはあり得ない、長くてもせいぜい4~5日だという認識がある。

 「それじゃ計算が合わない。そんな筈はない」と看護婦をじっと見ると彼女はうろたえた。

 目覚めたときの意識と、彼が体験した途方もない事件との出会いが思い出されて来る。

 医師であり医学博士である主人公の思い出語りで物語は進行していく。

 宗教、神聖ローマ帝国、化学、そして「聖ペテロの雪」の意味が明かされていく。

 歴史も記憶も本物なのか・・・、信じたことにして後ろを振り返らず去っていく主人公。

 後ろからの強い視線を感じながら・・・。
 
 理想の統治体制を求める物語は、いつの時代設定でも普遍性があって受け入れ易いようだ。


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1914

2016-02-12 09:40:30 | 本と雑誌
 年代や数字などを表題にした本はけっこうある。

 ジョージ・オーウエルの「1984年」とか村上春樹の「1Q84」とか・・・・。

 
 「1914」ジャン・エシュノーズ(著)内藤伸夫(訳)2015.10水声社(刊)

 読んでいて映画を見ているような気分にさせられたが、巻末のインタビューでは著者自身はこの二つはまったく違う物だと否定している。

 1914年は第一次世界大戦の勃発した年だが、この本では何が始まったかさえ判然としない。

 フランスの田舎町でのんびり暮らす主人公アンチームが、あっさり終わる筈だと陽気に見送られながら仲間と入営する辺りから始まるのだが、徹頭徹尾戦況などは描かれない。

 彼を巡る人間関係の範囲内で物語は展開していく。

 砲弾は身体を6つの部分に分けた後、他の者の首を落としいろいろな角度から滅多切りし、最後に一人の斥候猟兵の身体を縦に切断した。などとあっさり表現し最後に壕内のネズミが喰い漁る様が描かれる。

 以前読んだ「チャイルド・オブ・ゴッド」に似たところがあるが、西欧の作家に時々見受けられる凄惨な場面を淡々と描いて見せる手法が多用されている。

 断片的にはユーモアもあって面白い文体なのだが、好みは分かれるところだろう。

 片腕を無くし、戦友から羨ましがられながら戦線を離脱し復員した後、死んだライバル的友人の妻との間に子供が産まれる頃戦況は収束に向かうところで物語は終わる。

 時代に翻弄されながらも強かに生き延びていく人間模様を、一歩下がった第三者的目線で淡々と伝える。

 場面展開の早さが映画を思わせるが、多分読む側のいつか読んだ本・いつか見た映画の場面創造の産物かもしれない。

 
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