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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

表現の限界と垣根

2019-01-18 12:48:32 | 本と雑誌
 近頃短詩型の文芸物を読むことが多い。

 同じ俳句でも、同じ短歌でもいろいろあって面白い。

 
 (俳句と和歌)
 
 (詩・短歌・川柳)

 それぞれ、その分野毎に許容の範囲を手探り状態で少しずつ変化させながら。

 その変化が、読む者・聞く者にピッタリはまった時に、状況によっては幹を圧倒する太い枝に育ってしまうことも。

 時代が求めた変化だという話になる。

 俳句に関する話では、気になったことが二つあった。

 高名な俳人と、大学の教授の対談のなかで先生が「俳句をやっていたが自分が言おうとする事、表現したい事に制限が多すぎて無理だと分かったのでやめた」というのがあった。

 今一つは、歌集を出した俳人が「東日本大震災の悲惨な光景を伝えたり、自分の今の気持ちを伝えるにあたって、咄嗟に短歌という手段を選んでしまった」というのがあった。

 俳句と短歌の垣根を意識しない柔軟な考え方とも言えるし、俳句で表現する可能性を模索してもよかったのではないかとも思ったことがある。

 この頃、新聞の読者文芸蘭などを見ると、短歌にも俳句にも同時に川柳にも投稿し、それぞれ3つ掲載されている人を見かける。

 小説を書く人だっているわけで、こうなってくると第二芸術論などという言葉も遠い昔の話になってかすむ。

 いずれにしても、困難ではあっても自分が追求してきた手段で、現実にファイティングポーズをとってみることは必要な気がするが・・。

 「身の程を知らぬ間が成長期」

 
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お正月は読書週間

2019-01-05 15:34:21 | 本と雑誌
 図書館も正月休みに入るので、例年年末になると何冊か余分に本を借りてくる。

 今年は家事手伝いどころか、家事本業になることは判っていたので、3冊しか借りなかった。

 しかも字数が少なかったり、写真の方が多かったりといった本ばかりに絞った。

 
 「田中清光詩集」「千度呼べば:新川和江」

 田中清光詩集は、収められている詩の篇数が多く2段組になっていてちょっと時間がかかったが、千度呼べばの方は、1ページに数える程しか字がないので、すいすいと読めてしまった。

 自分の心情ばかりを表現するものより、社会や自分の心根の矛盾なども含めて表現する詩の方が私は好きである。

 まあ詩の方は年前にあっさりと読んでしまったのだが、写真入りの探訪ガイドには手こずった。

 
 「神話ゆかりの地をめぐる・・古事記・日本書紀・・探訪ガイド」

 これにはかなり頭を悩ませられた。

 主として古事記に由来する土地を71箇所選定し、見どころを紹介しながらなおかつ記紀の内容もピックアップして説明してあるが、その説明に登場する神々の名前と関係が覚えられないのである。

 登場する神々は、ほぼ一度は聞いたことのある名前ではあるのだが、人間関係というか神々関係というか、神々の系譜がややこしいのである。

 ロシアや中南米や東欧などの翻訳本に登場する人物名と、その相関関係などを把握しながら読むのも骨が折れるが、この日本の神話に登場する神々の名前のややこしさと、相関関係に比べればどうってことはない。

 しかも、系譜を追って話が進むならまだしも、探訪スポットと物語の時代が微妙に前後しているし、登場する神々も断片的に登場したりするので、まあ偉い神様がこの神社には祀られているのだと思う程度で読み進めるなら苦にはならない。

 ところが探訪スポットの紹介より、むしろ記紀神話との関連性の方に興味が湧いてしまって、なかなか前に進めない。

 以前読んだ「神々の流竄」が頭にちらついたりするのだ。

 
 「神々の流竄」梅原猛(著)1983.1集英社(刊)

 36年前に買った本だが、引越のたびに本などを処分してきたのに、この本はずっと引越荷物と一緒に移動してきた。

 私としては、当時一冊2000円の本を買って読むなどということは、とんでもない話だったのだ。

 ただ、お陰で目からウロコが何枚かポロポロと落ちたのを覚えている。

 内容もポロポロものだったが、記紀が著された時代そのものに目を向けるという切り口がポロポロものだった。

 特に物語性の強い「古事記」については、誰が編さんを命じ、読者として誰を想定したのかなどが推理されている。

 古事記編さん当時の権力構造と、権力者の先祖神及び古事記の中の神々の系譜との符合や、関係性などが推理されていく。

 36年前に読んだ本でも、細かい内容はともかく著者の意気込みのようなものは今でも印象に残っている。

 とても面白い物語ではあるが、たぶん大河ドラマには不向きかも知れない。

 
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「言葉」この不思議なもの

2018-11-21 10:02:39 | 本と雑誌
 定期的に図書館に行く。

 貸出期限が2週間だが、最近2~3冊しか借りないので一週間に一度くらいのペース。

 この頃は、詩・短歌・俳句など、短詩型文芸ものを借りることがが多い。

 先日、地域の文化協会が催す新春のカルタ大会に参加して欲しいと誘われた。

 カルタなど犬棒カルタを子供の頃、やった程度でまったく経験がないので断ったら、枯れ木も山の賑わいとして参加して欲しいような雰囲気が漂って来たので、都合がつけば~・・・となかり語尾にビブラートをかけた答えをしておいた。

 で、今回本を借りるにあたり、百人一首なるものを探してみた。

 
 『百人一首』久木田恵子(著) 二星天(絵)2012.12岩崎書店(刊)

 百人一首を紹介・解説してあるのかなと思ったら、ストーリーで楽しむ日本の古典のシリーズものの3刊目。

 ”百の恋は一つの宇宙・・永遠にきらめいて”などと副題があって、王朝絵巻風の挿絵が所々に。

 児童文庫コーナーの棚から借りてきた読みやすい本。

 ストーリー展開は、選者の藤原定家が500年に及ぶ和歌の作品の中から百人を選ぶあたりから始まって、それぞれの時代の作者の中から8名を抽出して、人となり人間関係などが著者の豊かな想像力(というか空想力)で、フィクションとして描かれていくもの。

 とても物語として面白く読むことが出来た。

 一番最後に、一覧表的に「百人一首」が表記され、「平安時代の女流作家関係図」が付記されていて興味深い。

 あと一冊は・・。

 
 『一日の言葉、一生の言葉(旧暦でめぐる美しい日本語)』白井明大(著)2018.5草思社(刊)

 いわゆる格言めいた言葉がずらずら出てくるのかと思ったら、違っていて良かった。

 基本的には時間の流れに応じた、一日の或いは一月の或いは一年のそして一生の事象・現象などにどういう言葉が割り当てられたかという話である。

 一日の言葉の中に「夜さり」という言葉があって、「さり」は去るで夜が去るから明け方の事ではなく、「さり」は「来る・近づく」という意味もあって、夕方や夜が近づく頃とあった。

 子供の頃、祖父母から「夜さるまでにゃ帰ってこい」などと声をかけられたことを思いだした。

 中央(都)で使われていた言葉が地方に伝わり、都では廃れたのに地方では残った言葉というのは少なくないようだ。

 そう言えば当地では、「そっちに〇〇頃に行くから・・・」と言わずに「そっちに〇〇頃来るから・・」と言う場合が多い。

 相手の立場に立っての会話と自分では解釈していたが、「いく」と「くる」の関係もひょっとすると「さり」と「くる」の意味合いと近いものがあるのでは??・・・などと、急に今になって思いついた。

 「明るさの違いで時を呼び分ける」

 
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本の返却日は要チェック

2018-09-24 10:03:44 | 本と雑誌
 朝からシトシト雨が降っている。

 梅雨の秋バージョン「秋雨前線」というところか。

 この雨の降り様なら、子供の頃から慣れている。

 慣れていないのは、季節などお構いなしにやってくるゲリラ豪雨だ。

 雨だと直ぐ本を連想する、晴耕雨読なんていう四文字熟語の連想ゲームだ。

 で、返却期限が迫っている本がある筈だと調べたら、なんと昨日がその日になっていた。

 じつは、期限の9月23日の3を眼鏡を掛けないとき8と読んでしまいそのままインプットしていたのだ。

 慌てて図書館に駆けつけると、今日は月曜で休館日。

 仕方なく夜間・休館日返納ポストに返却してきた。

 
 
 詩の本ばかりを3冊借りていた。

 「名詩の絵本」川口晴美(編)2009.7ナツメ社(刊)

 「一夜だけの詩遊び」谷川俊太郎、内藤里永子(著)2011.10メディアファクトリー(刊)

 「茨木のり子」{没後10年「言の葉」のちから}文芸別冊2016.8河出書房新社(刊)

 言葉を選び、展開し、不要なもの或いは強調するためにあえて削除し、短切にまとめる。

 それで人の心を揺るがし、感動や力を与える。

 状況を分からせようと苦心して説明すると、内容が多くなる。

 

 それは車の進入防止のため設置されたコンクリート柱の存在を知らせるカラーコーンのようなもの。

 図書館の本の返却期限を1日過ぎたことで、ブラックリストにのって出入禁止なんてことにならねばいいが。

 小さな文字は眼鏡を省略してはならないということだろう。

 明日は図書館に謝りに行き、もし許されたら調子に乗って、本を借りてくることにしよう。

 
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子供が主人公の凄い本

2018-08-22 20:59:54 | 本と雑誌
 町の図書館からとても面白い本を2冊借りてきた。

 どちらもカバーの色調が似ていて、どちらも子供目線の作品である。

 
 「憂鬱な10か月」イアン・マキューアン(著)村松 潔(訳)2018.5新潮社(刊)

 母の胎内で、国・時代・宗教・環境など両親を含め選ぶことが出来ず、与えられた宿命の中で思考する胎児(わたし)。

 取り巻く外界の人間模様が母の言葉からイヤホンの情報から伝わってくる。

 とても重大な犯罪が計画され実行されていくが、わたしは動くことさえままならない境遇にある。

 わたしは「生まれるべきか、生まれざるべきか」胎児版ハムレットは痛快に繰り広げられる。

 ”というわけで、わたしはここにいる。逆さまになって、ある女の中にいる。”

 という書き出しで始まる物語は、前半3分の1は結構理屈っぽいが入り込むともう抜けられない。

 何処かで見たことのある作者だと思ったら、以前借りたことのある「未成年」の作者だった。

 
 「孤独なワイン」イレーヌ・ネミロフスキー(著)芝 盛行(訳)2018.5未知谷(刊)

 5歳から21歳までの女の子の物語で、子供ながらその思考は大人以上に大人で老成している。

 ”ひとは12歳で年寄りになれる”彼女が対峙するのは外部の社会より自身に対してである。

 大人とりわけ母親に対する復讐心は並みではない。

 ちょっと辟易するほどだが・・・。

 さて。

 この2つの作品には、ワインが何度も顔を出す。

 一つは大人としてワインを嗜み、一つは母親が飲み僅かに遅れて胎盤を通じて送られてくるワインを嗜む。

 以前TVで、映画の解説者が「映画って本当に面白いですね。またお逢いしましょう」と最後に言っていたが、さしずめ今回の2冊は「本って本当に面白いですね。また読みましょう」と言いたくなるところだろう。

 
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腰痛と台風対策は読書です

2018-07-31 09:33:48 | 本と雑誌
 腰は痛いは、台風はウロウロして居続けているはでもっぱら家の中でゴロゴロしている。

 腰が痛いので椅子に長く座るとよろしくない。

 椅子に座ったり、室内でのストレッチ用に購入したマットに横になったりしながら、何冊かの本を読んだりしている。

 
 「日の名残り」カズオ・イシグロ(著) 土屋政雄(訳)2018.4早川書房(刊)

 作品は1989年に発表されブッカー賞を受賞しているが、ノーベル賞記念版として発刊されたものである。

 名前は聞いたことがあるが、読んだことはない作家だが折角ノーベル賞記念版として新刊図書のコーナーに並んでいたので手に取った。

 主人公の執事の語り口調で進む物語は、独特の雰囲気が漂っていて、面白い。

 執事の品格というものにこだわった主人公の生き方は、日本の武士道を彷彿とさせ日本人なら違和感なく読める。

 多分ヨーロッパの中でも、とりわけ騎士道を重んじるイギリスの気風にはピタッと収まる文体なのだろう。

 主人公の思考は前後に自由に飛び、内容もその都度前後するが語りに矛盾はなく、一貫して「品格」について語られる。

 一日の終わりの名残の明るさが、老いを自覚しつつもそれを楽しむというシーンがいい。

 多分カズオ・イシグロの若い時期の作品だと思うが、この心境を語らせる作者の感性に脱帽。

 あと1冊は俳句の練習心得帳。

 
 「俳句特訓塾」ひらのこぼ(著)2017.7草思社(刊)

 読んでいて思いだした、以前に一度借りて読んでいた。

 二冊目の俳句入門書という位置づけの本と紹介されているが、確かに1ランクアップを目指す特訓塾の本。

 句会も吟行も二の足を踏む入口モタモタ組の背中を押す仕組みになっている。

 川柳的読み方で読んでもとても参考になる。

 著名人に何かをさせてみる、という設定で。

 「ルノアルの女に毛糸編ませたし(青畝)」に対し「信長にさせたきものに盆踊り(こぼ)」と返す。

 間違えて2度も図書館から借りてしまったが、この分では3度目は確信犯的に借りることになりそうだ。

 「本物の腰抜けになり湿布薬」

 
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本で歌ってしまった

2018-07-06 11:35:51 | 本と雑誌
 図書館で3冊借りてきたのだが、どうも選び方がずさんだったようだ。

 詩集「ありがとうは僕の耳にこだまする」は、読んでいる途中で似たような詩に出くわすなあ、と思ったら一度借りて読んでいた。

 「イナカ川柳」は裏表紙の、「東京に続いている気がしない空」という句が気になって借りてしまった。

 サラリーマン川柳のイナカ版といった風情で、「しまむらの服着て今日もしまむらへ」でかなり凹んで、「色鉛筆何度聞いてもエロインピツ」で完全に打ちのめされた。

 

 「あの日の歌」あの日の歌制作委員会(編)2014.2ソル・メディア(刊)

 これはなかなか良かった。

 ほのぼのしたイラストも良いし、モノトーンの当時の写真も郷愁を誘う。

 一度読んだ後に、知っている歌を口ずさんでみた。

 荒井由実の「あの日に帰りたい」とか「いちご白書をもう一度」とか、イルカの「なごり雪」なんかは、かなり入れ込んでしまった。

 ただ、入れ込みのあまりに、そのメロディーに支配されて、他の知っていた筈の曲で歌えないものもあった。

 端的に言うとさわりの部分だけは歌えるのに、といったあんばいである。

 吉田拓郎の「落陽」とか「我が良き友よ」とか「ペニーレーンでバーボンを」なんかがあれば更に盛り上がったのだが・・・。

 「あの雲のあの下辺り秘密基地」

 
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川柳が集団でやって来た

2018-06-27 17:03:10 | 本と雑誌
 ここのところ川柳誌が同時期にやってきた。

 川柳誌の特別増大記念号なるものを、先般の全日本川柳大会の場で他県の参加者から頂いた。

 その少し前に勧められて試し読みに一ヶ月分1冊だけ同じ出版社の川柳誌を購読していた。

 面白そうだったので、年間定期購読に申し込んだら7月号が今日配送されてきた。

 
 (頂いた記念号、試し購読の5月号、定期購読する予定の7月号)

 3冊がほぼ同時期に手元にくると、あれ~ってなことになる。

 川柳誌だから、川柳が載っているのは当たり前だが、こう川柳ばかりだとちょっと引く。

 所属する吟社の川柳誌はやや薄手なのだが、出句者の句を全部読むのにはこれまでだって骨が折れていた。

 最近は編集・校正を手伝ったりしているので、その際次号の句を読ませて貰って読んだ気になったりしている。

 いろいろな句会や川柳誌のなかで、いいなあ凄いなあと感心する句にはしばしば出会うが、それが自分の作句に余程ヒントになるとか、思考が広がっていくかと云うと、まったくそれが無いのである。

 むしろ小説・詩・短歌・俳句などの方が読んでいて閃いたりする。

 そのため最近は図書館からその手の本ばかりを借りて読んでいる。

 飽食ならぬ飽読によって、頭の中味の体脂肪が過剰にならないか心配な昨今である。

 「写真より写真のような絵に惑う」

 
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言葉と表現法

2018-05-23 17:14:26 | 本と雑誌
 自分の意思を伝える、伝えたいことを表現するということの難しさを痛感する昨今である。

 作者は忘れたが、気になった川柳に「四百字言いたい事は言わせない」という句があった。

 あなたのご意見を、400字詰め原稿用紙一枚に書いて下さいといったことに対する十七音字での意思表明だ。

 この頃は図書館に行けば、俳句・川柳・短歌・詩など所謂短詩型文芸の類本をつい手にとってしまう。

 

 俳句の本などを手にすると、作者との対談なども載っているものもある。

 評論活動などを活発にやっている年配の女性と、俳人の対談記事を読んだ。

 長いこと俳句をやっていたという女性は、十七音字での意思の表現に限界を感じて止めたと述べていた。

 俳句で意思を自由自在に表現しようというのがどだい無理な注文のなのだと思うが。

 具体的な社会批評など俳句には馴染まないし、川柳でも一部分を切り取る程度で限界がある。

 そんな中に、「俳句でつくる小説工房」という本を見つけた。

 一般の人が投句し、選者がテーマ毎に秀作を選んで披講を加えている。

 そのテーマ毎の秀作の中から更に1点を選んで、テーマ毎の小説を作り上げるという仕組みになっていた。

 短篇に仕立て上げるために俳句が題材にされたということなのだ。

 小説にも「ショートショート」という極めて短いものがあって、どうかすると「詩」より短かったりする。

 各々が最も自己の表現に適する方法を選び出して、創作していくのだ。

 400字では言い足りなかったり、十七音字表現に限界を感じたりという意見もあるが、わざわざ縛りを加えた中で表現してみようという、特異な言葉の文化は日本人が誇っていいものの一つだと思う。

 
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雨の降る日は詩にしましょ

2018-05-07 11:00:47 | 本と雑誌
 夜半から風が強くなり、朝から断続的に雨になったり風が強く吹いたりしている。

 嘘のように降り止むこともあって、ちょっと外に出かけてみようかなと思って準備しているうちに猛烈な雨音が聞こえてきたりして、やる気を打ち砕く。

 仕方が無いので本を読むか、次の号の機関紙への投稿依頼でもするかなどと思う。

 「400字言いたいことは言わせない」という川柳があるが、なかなかどうして鋭い。

 投稿依頼の際に「600字を基準としていますが多少の増減は構いません、長い場合は分割して連載させて頂きます」というのが、私の常套句である。

 俳句・短歌・川柳など短詩型の文芸は、400字どころか極端な字数制限を課している。

 この頃詩を読むことが多くなった。

 これも又短いながら、言いたい事をけっこう言っている、しかも鋭く。

 
 「詩の本:谷川俊太郎」「こころ:谷川俊太郎」「朝の私は幸せになる:大越 桂」「心のてのひらに:稲葉真弓」
 
 「花の冠:大越 桂」「ありがとうは僕の耳にこだまする:東田直樹」
 
 「祖さまの草の邑:石牟礼道子」「聴くと聞こえる:谷川俊太郎」
 
 「愛の縫い目はここ:最果タヒ」「死んでしまう系のぼくらに:最果タヒ」

 以前はなんだこりゃと思っていた、最果タヒの詩集を2冊も読んでしまったが「愛の縫い目はここ」が今回読んだ詩の中では自分に一番ピタッと来た。

 死を間近に捉えて生をみる、誤魔化しの利かない若い魂の詩。

 小説は一冊で、詩は一篇の一行で心に語りかけてくる。

 
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